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〆切ギリギリ体質も変われます

かつて私は〆切ギリギリ体質だった。それが、齢(よわい)○○にして、前倒し体質に変わってまいりました。

中年になって、どっちかと言うと死に近い年齢になってきたのに今頃かーい。もっと早くから出来んかったんかーい。と思う一方、習慣って、行動って、変えることができるんだと静かに感動しています。

このギリギリ体質。てっきり父親譲りのものと思っていました。

たとえば、何年も前の話。父が珍しく電話してきたことがあった。兵庫の実家に電話して父が出ると、「おぅ」と嬉しそうな声を発しながら、いつもすぐ「お母さんに代わるから」という父が。どうした、どうした?

聞くと、母校である小学校が統合されるため、新しいロゴマークを公募しているとのこと。で、考えてみた。応募したいのでデータにしてもらえないか、とのお願い。ちなみに、この母校というのは、父も私も通った小学校。

「お〜。いいよ、いいよ。で、いつまでに?」

「明日なんやけど」

ズッゴーン。もうちょっと、はよう言うてぇな。

そうなんです、父は〆切ギリギリにものを成すタイプの人。一方、母は、余裕を持って早め早めに、の人。たまに実家に帰った時など、東京に戻る日、母は電車に遅れないよう早めに支度しろしろと、心配します。ハッパかけられます。

その日は、自分の仕事はちょっと置いといて、ファックスで送られてきた父のロゴマークのラフをパソコンでデータ化することに。最初は「もっと早く言ってくれたらいいのに」とプンプンしながら作業していたものの、こんなふうに父とやりとりできるなんて、楽しいことだとじんわりしてきた。

データ化したものをプリントして実家にファックス。父が校正したものがまた送信されてきて、電話でやりとり。

「この部分は白抜きで」等々、父の指示が的確でわかりやすく、まるでデザイナー?

父は字を書くのも上手。以前、実家の建て替えの際の建前のとき、木の板にぶっつけ本番で筆で文字を書かねばならなかったときも、サラサラ収まるよう一発で書くレイアウト感覚のある人であった。このとき、兄と顔を見合わせて、父へのリスペクトを確認し合った。このデザイナー気質、受け継ぎたかった。

そんなこんなでデータを仕上げ、翌日、応募先にメールで送信。無事、納品終了いたしました。

後日、実家に帰ったとき、応募結果が掲載された書類を「おまえの勉強にもなるだろうから」と、父が見せてくれた。採用されたのは京都在住のデザイナーの方の作品でした。

プロも応募する公募案件、競争も厳しかったことでしょう。でも、父の考えたロゴマークは、父の母校や地元への愛情を感じるものでした。

「私が審査員だったら、お父さんの作品、選ぶな〜」と言うと、「せやろ?(そう思うだろ?)」と、父。

他の公募案件を見つけたらしく、リベンジする気満々でした。いいぞ、いいぞ。

こんな父から、デザイナーとしての素養をもう少し受け継ぎたかった私ですが、仕事や書類の提出は〆切当日がスタンダードという行動はしっかり受け継いでおりました。

ギリギリになるたび、ときどき父のことを思い出す。だがしかし、これは「血」の問題ではありません。単なる言い訳。

「余裕を持って」を初めて意識したのが、藤子不二雄Aさんの自伝漫画『まんが道』を読んだとき。

いつ不測の事態が起きるかわからないので、〆切の3日前には作品を仕上げるという、先輩の漫画家さんの話が出てくるのです。立派だ。

そのとき目から鱗。それまでは「〆切の日に出すもの」と思っていたような気がします。

学生時代の卒論も当日に提出。友人たちもほぼ全員そうだった。一人だけ、例外的に早く仕上げていた友人がいたのだが。

先輩にもそんな人が一人いた。「(たとえば)火事になって焼失したら大変だから」と、さっさと提出していた。そのリスク管理、素晴らしい。お若いのに。

さらに、念押ししてくれたのが、作家の森博嗣さん。森さんが時間に余裕を持って仕事を進めているお話はいくつかのエッセイに出てきますが、もっとも強烈だったのが、森さんのお父さまのエピソード。

「家族旅行のとき、切符を買った列車の発車時より1時間もまえにプラットホームに到着する、途中でどんなアクシデントがあっても遅れないようにする人だった」(森博嗣『悲観する力』幻冬舎新書、56ページ)

いくら何でも1時間前は……。と、初めて読んだとき、驚愕した。しかし、いつトラブルやアクシデントが起こるかわからない。最悪の事態を想定するのは何ごとにも大事なこと。と、徐々に体に(脳に)染み渡ってきた。

森さんは、質のよいものを作るには時間的な余裕が必要で、執筆などのスケジュールも余裕をもって立てているとも書かれていました。毎日、少しずつ進めて行けば、確実に(目的とするところに)たどり着ける、とも。

たとえばの話、親の葬式があったとしてもしても、無理なく毎日できるような仕事量で進めている、とも。

親の葬式とは極端に聞こえるかもしれないが、たしかに、いつ何が起きるかわからない。突然、自分が体調を崩すことだってあるかもしれない。

そんな発想に出会え、行動が変わった。出かけるときも、仕事や書類関係の〆切も、できるだけ余裕を持って、が習慣になった(当社比です)。

何より、ギリギリになってしまったときの「時間を逆戻りしたい」と、じわじわ焦る感じは、できるだけ味わいたくないですしね。

その後、父に何か変化はあったでしょうか?  ちなみに、今年の確定申告は〆切前に提出していたようです。


*タイトル画像にある「Festina lente」は、「ゆっくり急げ」という意味のラテン語の格言です。桑沢デザイン研究所で学んでいたとき、講演してくださったアートディレクターの葛西薫さんから教わりました。

ようこそ。読んでくださって、ありがとうございます。