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『全自慰文掲載 又は、個人情報の向こう側 又は、故意ではなく本当に失敗し、この世の全ての人間から失望されるために作られた唯一の小説』その12

            Ⅱ-4 私のアトリエ④
 
寝ては、だめだ。
今日は、久々に姉が来るのである。
母はよく、
「お姉ちゃんは、はじめと会話していると、癒されてるんだと思うよ。じゃないと、わざわざ嫌いな管理人(父親)がいる、気まずい家に来ないから」
と言っていた。
実際、帰り道を、駅前まで送ってあげると、毎回、姉は嬉しそうではある。
だとすると、姉を「明るく迎える」ためには、ヘパリーゼを過剰ドーピングしてでも、起きていなければ。
ここまで、わざとらしく、「中断」という概念を使っているわけだが、その通り、俺は度重なる「中断」による「イラつき」のパワーを、自殺に利用しよう、と思っているのだ。
これまで、溜めに溜めた向精神薬を一気飲みし、ラリッた状態なら、あっけなく、自殺することが出来るだろう。
ガンガンに冷房をかけ、包丁で首をかっさばく。
出血性ショック死でも、凍死でも、どちらでもいける。
冬山は人工的に作れるものだ。
そこまでのふんぎりは普段の俺はなかなかつかないわけだが、くどいようだが、「中断」に「中断」を重ねた今なら、やれそうである。

姉が、やって来た。
姉がやってくると、父は気まずく思うのか、挨拶もろくにせず、必ずリビングから席を外し、自室に引っ込むのである。
なぜ、この態度を息子の俺にしないのか、というと、俺が弱腰のピエロで、組しやすい相手だからの一言に尽きる。
姉が一時期、弟の俺と同じように精神病を患い、大学中退まで追い込まれた時期がある。
その原因は、父親、とその頃のカルテに載ってある。姉は、今の旦那さんと家を出て、結婚していなければ、おそらく、とっくのとうに自殺している。
そして今も、まだ完全には治ってはいない。
そのくせ、父は3歩歩けば忘れるような性格なので、庭で作った自作の野菜をあげたい、という一方的な理由から、姉夫婦の家に、よく通っているようだ。本当は未だに嫌がられている、ということも知らずに。
俺は、一階に降りて行くとき、実際、務めて明るく振舞おうとする。
この日はまるで漫才の導入の如く、
「いやぁ、お姉ちゃんが来てるのかぁ、ああ、明るく振舞わなきゃ、逃げちゃだめだ、ウィーン」などと言って、リビングに飛び込む。
母と姉は、フローリングの床に座り込み、何かの資料を読んでいる形である。
姉は俺の道化に苦笑しながら、
「そんなに、無理するんだったら、はじめちゃん、降りてくる必要ないよ」と、資料を観ながら、言う。
俺は自然なフリとして、
「うち、クーラー代がえらいことになりそうなんですけど、お姉ちゃんのとこは、クーラー、使っているんですか?」
と話頭を転じる。
「うちは、あんま、使ってないねぇ。健康に、悪いし」と姉。
「そうなんだぁ」と母。
墓穴を堀った、と思った。健康の話から、不妊治療の気まずい話になってしまうではないか。
そう言えば、二人の、ぼそぼそした調子の、小声の会話から察するに、さっきから二人が見ている資料は、不妊治療の資料っぽいではないか。
「涼しいはずなのに、なぜか、冷や汗が。ははは」
などと俺は誤魔化した。
姉は俺のことを、ちら、と見て、
「汗だくじゃない? 大丈夫? 服、着替えた方がいいよ?」
と言ってきた。
それに対して俺は、
「ああ、それは有難いんですけど、この後、駅前までお姉ちゃんと歩いていくんでね。いや、実際、もう、たばこがないんで、買いに行かなきゃいけないんすよ。全部終わってから、風呂、入りますから、大丈夫です、ええ」
と言い返した。
それから小一時間、母と姉は、不妊治療の資料を観ながら、「子宮の検査だけで、こんなにかかるんだぁ」とか、「いや、そのチェックが通らないと、無理だと思う」だとか、断片的にしか聞き取れなかったが、とにかく、不意人治療に関する会話を交わしていた。
姉は、「そろそろ、帰らないと」と言い出した。「ご飯、少しだけ、食べていかない?」と母が言うも、姉は、「ごめん。大丈夫だから」と、断る。
「そろそろ、行きますか」と俺。
姉は、出立の時、かんとびんのゴミのコーナーに、俺が飲んだヘパリーゼが、チェスの駒のようになっているのを見て、「はじめちゃん。健康に、一番、良くないからね、そういう栄養ドリンク」
と言った。
姉と俺の距離はもうこんなにも離れているのだ。
俺がもう、こういうドーピングをしないと、ろくに動けない体であることを、知る由もあるまい。
俺が、自殺しようと思っていることも、知る由もあるまい。
しかしもう、そんなことを、分かってもらおう、とは思わない。そのぐらい、距離が、離れているのだ。
帰り際、父は、「礼子、おお、来てたのか? 大丈夫か? 仕事は? 大丈夫か?」などと、矢継ぎ早に、白々しい確認をし出す。姉は、とにかく、大丈夫、大丈夫、となだめるだけである。
季節上、まだ、完全に陽が落ちていない。
俺の実家の目と鼻の先には保育園があるのだが、姉の不妊治療を聞いてから、というもの、こんなにも気まずい風景に変わるとは、思わなんだ。
「早く、行きましょう」
全然、違う意味で、俺はそう言った。
姉は、まだ陽が落ち切らない、駅までの帰り道で、至る所にいる、さぎや、白鳥や、からすなどの、鳥を見つけると、「見て、見て」と少し、はしゃいだ。
姉は、なぜかしら、鳥が好きなのだ。
以前、よく夫と山登りをしている、山の魅力の一つとして鳥が可愛いから、という話してくれた後に、俺が物書きだからなのか、何か小説を貸して、という下りになった。そのとき、鳥と関係がある、という一点のみの理由で、大江健三郎の『個人的体験』を貸してあげたことがあった。
それも今考えると、――子供の出産に関する話ではないか。ああ、気まずい、気まずい。
とにかく、鳥や自然に関する、どうでもいいようなお喋りをべらべらと姉としていたら、駅前まで着き、別れ際に言われた一言が、
「凄いよね。本当は、はじめが、社会に出たら、私なんかより、よっぽど仕事できるんだろうなぁ。もったいない」
であった。
「ははは」そう笑って済ましたが、なるほど、と思うところもあった。
姉は、不妊治療、即ち、自分たちに子供が生まれるにあたって、俺が今のような引きこもりではなく、しっかりとした社会的地位に立っていてくれたらどんなにいいだろう、という当てつけの気持ちもあるのかもしれない、ということだ。
ようやっと、家に戻って来た。
汗だくである。
これが、最後のシャワーになるわけか。
シャワーを浴びながら、最後の髭剃り、最後の腋毛剃り、最後の陰毛剃り、最後のすね毛剃りに熱中していると、――良い「中断」だ、父が、勝手に、リビングで皿洗いをしているのか、シャワーの出が悪くなった。
それだけでなく、予想通り、父は、俺がシャワーを浴びていることを知らないゆえ、彼は皿洗いを終えた途端、勝手にお湯の電源を切りやがった。
冷水になる。
俺は、ひゃっ! という叫び声を挙げる。
良いねぇ。
良い「中断」のイラつきじゃないか。
ガラガラ、と風呂場の戸を開け、リビングにいる父に、
「シャワー使ってるんで、勝手に消さないで下さいね!」
と叫ぶが、彼はクーラーを使う時は、扉を閉め切っているので、全くその声は聞こえていない様子である。
良い。
良いねぇ。
良い「中断」だ。
本当に、苛々しながら二階へ上がり、母の部屋に行き、姉を送り届けた、という報告をした。
母は71歳で、趣味もやり、家事もやっている時点で、午後8時ぐらいから、自室のベットで横になっていることが多い。
「お姉ちゃん、不妊治療の方、大丈夫そうですか? 結局、帰り道も、不妊治療のことは、聞けなかったんですよ。だから、気になりましてね――」そう俺が喋り続けていると、母が、
「……ごめん。疲れているの。明日に、してくんない?」
と、いかにも迷惑そうな顔をして、話を遮ってきた。
「は?」
「いや、はじめはさ、こうやって、いつも夜になると、テンションが上がって、私しか話し相手がいないから、私と話をしたくなるんだろうけどさ、私には、スケジュールがあるのよ。明日も早いのよ。だからもう、寝たいのよ」
「……」
い・い・ねぇ! 
とても良い、屈辱的な、「中断」だ。
母親しか話し相手がいない引きこもりにとって、もはや、これ以上、恥ずかしい「中断」は、ない!
――そう考えれば、良かった。
――自殺する前に、直接、姉に言ってやらなくて、本当に良かった。
姉に、
「作ろうとしている子供、流産した方がいいと思っている」
と、直接言って、すっきりしなくて、本当によかった。
このまま、――この「中断」のイラつきのままなら、俺は、包丁で、俺の首をぶっ刺せる!

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