茶道としてのお茶。日常のお茶。特別な日のお茶。なんでもない日のお茶。

茶道を始めて2、3年目。
ちょうど全ての勉強を終えた頃。
そこから15年ほどの間、茶道としてのお茶と、日常のお茶との違いがとても苦しかったです。

同じお茶なのに、伝え方、伝わり方、表現の仕方、使うお道具…
何から何まで違ったんです。

茶道の中で喜ばれるお茶の味や楽しみ方は、日常ではあまり好まれませんでした。

味覚としての適正もあります。

淹れ方、見せ方の適正もあります。

「人・場所・状況で選ぶ」というよりも、「人・場所・状況を見て、感じて合わせる・寄り添わせる」が近いのかと思います。

それは差別しているわけではなく、区別して、その人、その場、その時に合わせたお茶の葉を選び、合わせた淹れ方をする、という事でした。


そこが長い期間わからず、ずっと苦しかったんです。

どちらのお茶もわたしは大好きで、身近なものだったので…。

そして、それが“正しい”と教わってきたので、何が違うのか、間違えているのかが全くわからなかったんです。


今はその時よりもわかるようになりました。
そして、その淹れ方、見せ方、伝え方も様々なバリエーションができてきました。

何よりすごいなぁ、と感心してしまうのは…
何に対しても、しっかりと対応してくれ、その応用力を見せてくれるお茶です。

「こんなこともできるの?!」
「こんな合わせ方まで…!」
と、日々楽しさと驚きを与えてくれます。


茶道としてのお茶。
日常としてのお茶。
特別な日のお茶。
なんでもない日のお茶。

うんうん。
どれも全部対応できているよね。
主張し過ぎず、控えめ過ぎず、ちょうどいい感じでその場に寄り添ってくれる。

わぁ、お茶ってやっぱりすごいなぁ。
と日々感じています。

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