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【読書感想】「世界から格差がなくならない本当の理由」 池上彰

読了日:2017/5/9

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生まれた環境で、人生が決まってしまう社会—格差はいろいろな原因によって起きています。「原因はこれだ」「こうすれば解決できる」とは一概に言えません。たまたま生まれた家がお金持ちだったからいい教育を受けられる、あるいは貧しかったから教育を受けられないということではなく、どんな子供もスタートは同じにする。その後は、本人の努力によってそれなりの差が出るのは仕方がない。でも、まずはスタートを同じにする。そのために、私たちができること・やるべきことを本書で一緒に考えたい。
「BOOK」データベースより

格差があることはいいこと?悪いこと?

難しい問題だねぇ、格差社会。
超難問。

格差をなくすことがいいことなのか?といわれるとそれはビミョーだなぁと私は思う。
頑張ったら頑張ったぶんの報酬が欲しいと思うのはみんな一緒だし、頑張ってない人が頑張ってる人より報酬をたくさんもらってたら「納得いかない!」って思うのも自然なことだし。
巨万の富を築いてる人たちのロジックも基本はそれと同じなんだと思うのです。

とはいえ、度が過ぎるってのも実際あって…。
世界の富豪1%の資産合計は、その他の99%の人たちの資産合計と同じなんだそうです。
それを聞くとさすがに「えげつないな~格差(T-T)」とも思う。

でも。
えげつない格差があるもしても、やはり大人たちに格差が生じるのは仕方ないのかなぁと私は思う。
自由と平等は両立しないし、両立しないなかで世界は自由な資本主義を選択してきたのだから。

それに、楽してお金を稼いでる人というのは、ホントにとってもマレな存在で、世界の大富豪たちは、
チャンスを掴む運とか、
ポジティブマインドとか、
人真似じゃなく自ら考える力とか、
不屈の執念とか、
人の数倍の努力とか、
多分一般人とは桁違いの熱量をもって動いてきた結果の大富豪だと思うんです。
だから、単純に「金持ちはズルい」っていうのは違うのかなと…。
だってそれだけ頑張ったんだもん。(富豪に知り合いいないけど。多分。)

努力の方向性

こう言うと今度は
「自分だって毎日必死で働いてるもんっ!」
という文句を言いたくなる人もたくさんいます。

でもね。
努力も、ただ努力すればいいって話でもないと私は思うんです。
努力は、適切な方向に向いてれば効果を発揮するけど、自分で深く考えず、あさっての方向に努力をつぎ込んでも全く意味がないんです。
そこらへんを深く考えずに「努力は報われる」と言って、「努力」自体を美化するのはよくないし、害だと私は思います。

こどもの格差

大人の格差は、ある程度仕方ない部分もあるけど、こどもの格差は確かになんとかしたい。
なんとかしないといけない。

格差の最大の被害者は社会的弱者で選挙権も親を選ぶ権利もない子供。
それがたまらなく悲しい。

相対的貧困

貧困には、
衣食住にも困る「絶対的貧困」と、
衣食住など日々の生活はギリギリなんとかなるけど、塾や進学のお金がない「相対的貧困」
というのがあります。
日本の貧困のほとんどは「相対的貧困」です。

100円あればパンは買えるので、死なない程度に暮らすことはできます。
でも、今はほとんどの人が高校・大学まで進学します。相対的貧困家庭の子どもは、死なない程度に生きることはできるけど、多くの人と同じように高校・大学にいく生活は望めません。
モノは安く手に入るけど、サービスや教育へのコストはやはりべらぼうに高い。
それが今のニホンの現実。

それに、貧困家庭の親は、もともとの教育リテラシーが低く、その思想がこどもにも引き継がれるという点も問題です。
親自身がもともと勉強が嫌い、
生活が困窮して相手をしたくても子にかまう余裕がない、
「人生、常に行き当たりばったり!!」
という人もたくさんいます。(すべての貧困家庭がそうだというわけではありません)
もともと子供の進学や学習意欲に関して意識が低く、それが子に刷り込まれていくんです。
なので、貧困は連鎖してしまいがち。

根深い。
悲しい。
難しい。

未来の教育環境を考える

西欧諸国では大学まで無料という国もたくさんあるし、手っ取り早く大学まで無料にしちゃえばいいじゃん!といつも思います。

全部は無理でも国公立大くらいは無料にしてほしい。お金を持ってないと進学できないというのがそもそもダメなんだし。
他の国でやれてるわけだから、絶対できないってわけじゃない。年寄りにお金を出すか、徹底的にこどもにお金を投資するかを決断すればいいだけ。
財源の問題じゃないんです。
大人側の覚悟の問題。

公立の学校も、仕組みをかえればいいのに、とあいうのも最近本当によく考えます。
授業は全教科レベル別、
学年も関係なし、
飛び級もちろんOK、
年齢問わず同じくらいのレベル感の人たちごとのクラス、
というのが、誰にとってもいい気がする。

「クラスの団結!」がどうしても必要なら、大学みたいにそれ用のクラスを作ればいい話だし、それだって異年齢でなんら問題はない。
全員無理に横並びにしようとするから軋轢が生じるのであって、そこの根底を変えてしまえば公立学校だって、塾行かずにそこそこのレベルまでもっていけると思うんですよね。

社会にでたら、同じ年の人間だけで仕事することなんてまずありえない。
なのに、年が一緒というだけで1年間も同じクラス、同じメンバーに縛られるのはよく考えたらすごく変。

あと最近思うのは、世界が誰も制御できないサイズ感になってるのがよくないのかなぁとか考えたりもする。

たとえば、トランプさんの考え方って、全体的に「とりあえずアメリカさえ良ければいい」的な考え方だし、イギリスのEU離脱も同様だと思うんです。
グローバリゼーションといわれ、世界の国境が経済的な面でフラットになってきていますが、やっぱり色々無理があって、
「あ~、もう無理~(T_T)」
となった国が、各自都合よく鎖国政策とってるような雰囲気を感じています。

江戸時代も、鎖国のおかげである意味長い間平和が保たれてた部分もあるし、国のサイズをコンパクトにして、各自、鎖国ぎみに付き合うのも悪くないのかな、とか思ったり(笑)。

今のところこれがベストっていう答えはないですけど、現実無視して、妄想で色々考えるのは楽しい♪

大きく変えるのは大変だから、教育特区を作って、新しい教育制度を試していけるといいですよね。

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