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人生は選択の連続

生きてると選択を迫られることがたくさんある。

今日のご飯は何を作るか。
目の前のおやつを食べるか食べないか。
子どもらの習い事をどう続けていくか。
どのくらいの時間仕事をするのがいいのか。
家庭と仕事のバランスをどこにおけばいいのか。


選択とは、何かを選び何かを捨てることだ。
今日のご飯でアジの干物を選択したら、候補にあがっていた肉じゃがは作らないことになるし、おやつを食べるを選択するということはダイエットへの道を少し遠ざける選択をしたことになる。
子どもらの習い事もたくさんやれば上達スピードはあがるだろうが、それは送迎頻度が増し、私が犠牲にしなければならない時間が多くなることを意味する。仕事をたくさんすればコミット度も給与も多少あがるだろう。が、私の心の余裕はなくなる。

働くお母さんをしていると、選択を迫られる機会はとても多い。
この選択は、日々の献立や学校への提出物とかいう細々したものもあれば、自分の働き方や人生、仕事への取り組み方、働く場所、勤務先、仕事内容など自分の生き方に大きく関わるものまで色々ある。
自分単体もだが、子らの選択についてもある程度は見る必要があるし、必要に応じて判断を迫られることもあるので、なにかを選択・決断する機会は出産前より圧倒的に増える。選択は疲れる。

私は仕事も大事にするけれども、家庭もちゃんとしたいと思っている。ここでいう「ちゃんと」は、私にとっては「家族がほがらかに楽しくいられる状態」を言う。「家族がほがらかに楽しくいられる」ためには、ピリついた人が常にいるのはよくない。なので、私は自分がごきげんにいられて、ピリついたり人にあたったりしない自分をキープしたい。
要は「家庭内の心理的安全性確保」。これが私の最も大切にしていることだ。
だから、仕事については「無理しない」というのを大事にしてきた。仕事の割合が大きくなると家庭の割合は減り、私の心の余裕も減る。心の余裕が減ると子どもたちにイライラし、急かしたり怒ったりしてしまいかねない。そんな生活は彼らの成長を阻害する要因となる。それは何よりも避けたい。

そう思い、自分で納得して今の働き方や仕事の仕方を選んだはずだし、その選択を良しと思っている自分もたしかにいる。絶対いる。
いるんだけれども、仕事も自分がやりたいと思うところまで思いきりできず、個人的にやりたいことも少しずつ我慢したり諦めたりしている生活を10年続けていると、「なんか…もうしんどいな…」という気持ちになってくる。
中途半端歴10年。
覚悟して納得してやってるハズだけど、これからもそれがとうぶん続くことにちょっとうんざりしている。「もう、この中途半端の原因のひとつ(仕事)を切ってしまったら楽になるのでは…」みたいな逃げの発想がうまれている。

そんな感じでもやもやしていたら、同じような気持ちの方のツイートが流れてきて超共感。

みんな、同じようにもどかしさに苦しんでいる。
同じ立場で、ただ共感しあえる人がいるだけで、救われるなぁと思った。


職場には広い深い知識のある人、その道のベテランがたくさんいるし、Twitterやnoteを見てても一流の人たちの一流の思考や考えがたくさんでていて、そういう人と自分を比べて変に落ち込んだりしてしまう。
そんな焦りのようなネガティブ感情と、母としてのいい意味での諦めや覚悟の感情がここ最近、頻繁にスイッチしてなんだか心がとっても疲れる。

でも。
やっぱりこの選択(家庭優先)に後悔はない。…たぶん。

仕事でバリバリやる選択肢は今はもてないけれども、かわりに3人の子どもを育てるという経験値は得られているし、それはそれで誰もが選べるわけではない貴重な経験。
私はそっちを選んだのだ。

家族を犠牲にして自分の仕事に邁進しても、たぶんそこには猛烈な罪悪感を伴うだろうし、その状態が長く続くとも思えない。家事育児を外注して、家族との時間を減らしてまで仕事をやりたいのか?と言われるとそこまで仕事をやりたいのかもわからない。我が子の健やかな成長以上に大切なことなどない気がする。

そう思っているはずなのに、何者にもなれない自分にがっかりする。心のどこかで何者かになりたがっている自分にもなんだかがっかりしたりする。

そんなもやもやを夫にはきだしてみたところ、一定の理解を示してくれたうえで、
「でも、働いてね。豊かな老後のために。あなた専業主婦は向かないと思うから」
とのことで(笑)…。
ですよねーー。

子育て期間中10年。中途半端との折り合いをつけながらだったところに加えて、さらにコロナ禍で今まで以上に中途半端と折り合いをつけていかなければならない状態が続いたので、なんかちょっと疲れちゃったんだろうな…。仕事も、まだまだ動き方模索中なところもあるし…。

これからもとうぶん、自分的に中途半端な状態は続くのだろう。が、救いは子育てのピークには終わりがあるということだ。いつかこの状態は終わる。今はそのときに向けての準備期間ととらえ、のんびり歩いているからこそ見えるものに目を向けながら、自分のペースでやっていこう。やっていくしかあるまい。
私は私。
あの一流の人たちにはできない葛藤を経験できているのだからこれはむしろ経験値UPのごちそうだ。この選択にはこの選択なりに得られるモノが確かにあるのだから。

と、ひとまずありったけのポジティブでそう言い聞かせてみる…。

とりあえず、6月と7月はちょこちょこ休もう。
ひとりでのびのびする時間を作って、エネルギーをチャージせねば。
今の私は疲れている。疲れていることに自覚できてるってだけで私は偉い。


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