見出し画像

大学生時代〜ヤングケアラーの始まり〜

ご無沙汰しております。最近は落ち込みが激しく、中々文章を書く気分になれませんでした。

今回の記事では、大学生時代の私についてお話させて下さい。

【大学生時代】
大学は私立に入学し、心理学を専攻していました。集団に馴染めるか不安でしたが、ありがたい事に声をかけてくれる人がいたため、友人が出来たので楽しく過ごしていました。
心理学を学ぼうと思ったのは、『人の話を聞くのが好きだから』という単純な理由です。
大学2回生の時、母が入院しました。病名は糖尿病のためです。私が小学生の頃にも、一度同じ病名で入院した過去がありました。母は食べる事が大好きで、肥満でした。
入院期間はおよそ1ヵ月程度でした。また、退院時の栄養指導も熱心に母は聞いていました。
しかし、もういつだったのか忘れてしまいましたが、また再度入院する事になりました。呂律が回らない、手足が思うように動かない等、明らかに脳梗塞と思しき兆候だったため、救急で病院へ向かいました。
受診の結果、やはり脳梗塞でした。そして、右半身が麻痺状態となり、利き手を動かす事も難しく、歩く事すらもやや困難になりました。また、糖尿病も悪化していました。
元々、母は自宅内でピアノ教室を開いていましたが、この状態では続けられないため辞めざるを得なくなりました。
退院後、右半身麻痺のためリハビリとして、父とも協力して、運動器具を購入していたものの、母自身もリハビリに疲れたのか、気力を失いがちになり、徐々に能力は低下していきました。
そんな母を見るのは、本当に何よりも辛い事でした。以前まで出来ていた事が、急に出来なくなったのです。
父も献身的ではありましたが、ずっとリウマチがあり、仕事も忙しかったようです。
家事については、退院した当初は簡単な調理が出来たものの、段々と出来なくなり、代わりに私が料理をしていました。

突然な話になりますが、世の中には色々な家庭のかたちがあります。私の家庭は中学生頃から私と母が一緒に食事を摂り、父は帰宅後に1人別室で食事をしていました。
家庭内で、私と母のコミュニケーションはとれていたものの、父とはかなり会話が少なかったです。かと言って家庭内が冷え切っていた訳ではたりませんでした。父は性格的にはとても真面目でしたが、とにかく怒りっぽく、些細な事でも怒鳴られていました。感情的になりやすく、気持ちを表に出すのが難しいようでしたが、とても家族への愛情に溢れていたと思います。
それは、父が亡くなってから分かった事です。愛情のかけ方や表現が、本人なりのもので、とても伝わり辛かったのです。

大学は無事に卒業し、臨床心理士を目指すために大学院へ進みました。この理由もまた、人の話を聞くのが好きだったというだけです。

長い拙文を今回もお読み頂き、本当にありがとうございます。
読んで頂ける方がいるというのは、とても励みになります。貴重なお時間を割いて頂きまして、心から感謝しております?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?