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出さないであろう手紙(下書き)。

あけましておめでとうございます。
元気ですか? こじかです。
何も、年賀状を書くつもりも無かったのですが、今(元日の午後)、衝動的にパソコンに向かっています。投函するかどうかは分かりませんが、投函するとするならば、パソコン印字であること、許してください。

昨日(大晦日)、実家に帰りました。
母さん(**さん)には伝えましたが、母(ばあば)は12月の末に右手首を骨折し、多少不自由な生活をしているので、私も(何の足しにもならないのですが)時々顔を出しています。
去年は7月の父(じいじ)の死もあり、*(***)と***を往復することも少なからずあったのですが、一番つらいのは夕方に****台近辺を走ることです。なるべく****台に上がることはせず、遠巻きに、***、***を通って帰っていました。

昨日(大晦日)も実家に帰り、母とふたりで昼食(買って行った巻き寿司)を食べ、ふたりで庭を眺めながらいろいろと話をしていました。
そのとき、母が、*くんが0歳から小学校入学くらいまでの5冊のアルバムを見せてくれ、さすがにこみ上げるものがありました。
5人で行った四万十の写真とか、白浜、牛窓の写真、*っくんが**台で初めて2泊、3泊したときの写真、新幹線に乗せてもらったときの写真、母さん(**さん)と母(ばあば)が一緒になんとかクルーズに乗った写真などもありました。
*っくんが、「*っくんのとうさん、かあさんへ」と書いた封筒の写真もあったのですが、それは私の手元には無く、とても残念な限りです。(銀行の通帳の袋の中に、*っくんが描いた抽象画(?)があったのですが、それも**に置いてきてしまいました。)

私は、**さん(母さん)に単身赴任と言われて「家」を出たのですが、その単身赴任は試験不合格だったようで、「家」に戻る余地は無さそうです。私は、この3年間の何が悪かったんだろうかと、ずっと思い悩んでいます。
カウンセラー(もじゃ)には、「めっちゃ嫌われてますよね!」と言って笑われます。そうなのか。そうだとすると、私の何がそこまでの「失敗」をしたというのだろう…?

実家でその5冊のアルバムを見、私はもう一度***くんの父親に(もちろん!)戻りたいと思うし、出来ることならば、改めて、**さん、**くんの父親になりたいと思います。でも、それは、もう、許されないことなのですか? 私はこの3年間も、それだけの不満をあなたたちに与え続けましたか? もし、そうでないとするならば、これは、最初から勝敗の決まっていた勝負だったのではないのですか?(私がアパートの鍵を渡したとき、あなた(**さん)は「はぁ?」って言いましたよね?) 最初から、「単身赴任」なんかじゃなかったんじゃないのですか?

もう無理だろうとは思いながら、*くんへの誕生日、クリスマスプレゼントには、母の絵、カレンダーを添え、母(ばあば)と亡父(じいじ)の様子を見せ、「本当は私たちもこうありたかった」と伝えてきました。でも、そう出来なかったのは、ひとえに私が悪いんですよね? もし、そうでないならば、話し合いの機会がほしいです。修復の可能性が無いのか、話し合えればと思っています。

私がどう思おうが、結婚は、ふたりの思いで成り立つものだろうと思っております。だから、それが噛み合わなければ、我々(あなた方の父母)は、別れざるを得ないのだろうと思っています。でも、私は*くん(はじめみんな)の父親を降りる気はないし、そこには今の時点では納得が出来ていません。でも、みんながそれを求めるのなら、致し方ないとも考えています。

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書きかけ。
出さないかも知れない(出さないであろう)手紙の下書き。