「お前は本当に何も変わっとらんな」

今朝トイレしてたら急に思い出した。父にいつか言われた言葉。


家事全般は愚か、自分の日常生活もままならなかった私が、
3人の子供の母になり、テキトーだが人並みに家事ができるようになった。

結婚10年経っても父は私がご飯を作ったり、掃除や洗濯、子供達の世話をするのが
信じられなかったようだ。
子供の入園セットのバッグやコップ入れを、実家のミシンで作っていたら、
「お前がそんなことするようになるなんてな」と言われた。

私の両親と弟は毎朝、出発30分前には支度を整えて、
コーヒーを飲みながら新聞を読み、余裕を持って出発するというのが通常。

家族の中で私だけ、いつも時間ギリギリで出発直前にバタバタ家の中を走り回る。
階段を登ったり降りたりするのがうるさいといつも注意されていた。

私は毎日のように注意され、いつも薄ら笑いを浮かべてヘラヘラしていた。

母はフルタイムで働きながら、家事も完璧にこなし、
家はいつも綺麗に掃除されていた。
私の崩壊した日常生活を嘆いて「お母さんの子やとは思えんわ」といつもため息をついていた。

潜在的に「ああ、私って出来損ないなんだな」と思いながら育ったと思う。
母を見てたから、自分には母という仕事は到底できないと思った。

もはやサイボーグ。なんで家族の予定が全部頭の中に入ってて、
自分の出勤も早いのに、全員のお弁当を彩りよく作って、
仕事でクタクタなのに、掃除や洗濯、アイロンがけまでできるの?
自分の時間ないやん!私は無理!と思っていた。

そして、中学校くらいの時に友達のお母さんをみて、
自分の家が珍しい家なんだと気づく。
自分が出来損ないと思っていたけど、みんなも結構出来損なってる。

友達の弁当覗いたら、全部冷食の揚げ物だらけでまっ茶色。
お母さんが弁当作れないからパンを買ってきてる子もいる。
毎日遅刻してくる子もいる。
みんな時間ギリギリに出ても私ほどボロクソに言われてない笑

我が家は日常生活においてかなりの高レベルを求められる家なんだと気づいた。

私は実家にいたとき一切家事も手伝いもしながったが、
(私が掃除しなくても常に綺麗だったし、家事を手伝おうとしてもやり方が違うと注意されるので手も出さなかった)

サイボーグ母の姿を見ていたからか、やってみたら色々できた。
料理も裁縫も好きではないけれど、やれと言われたらそれなりにできる。

実家では褒められたことはなかったが、結婚して夫の実家で料理したら
おばあちゃんやお義母さんにえらい褒められた。
「手際がいいし味もいい、やっぱりお母さんの血を引いてるんやわ」を言われ、
サイボーグ母のサイボーグ度が夫の実家にまで知れ渡っていたことに気づく。

結婚してやっと「出来損ない」と自分で貼ったレッテルを剥がしてやることができた。


そんな中で、結婚10年目ぐらいのころ、実家に帰ってゴロゴロしてた時、
父から言われたのが上記の一言。

父の中ではサイボーグ母が基準だから、私をみて母として主婦としてなっとらんと責めたい気持ちもあったのだろう。

でも私は。そんなに悪くない自分を知っているから。
聞き流せるようになっていた。

父から認められなくても、このままの私でいいと夫や子供から許されているから。
今じゃ、掃除もたまにしかしないし、ご飯も手抜きだけど、夫も子供も文句言わずにいるし。

そして10年前より今は、何より自分自身が許している。変わる必要がないこと。
このままの私で何の問題もないし。
オプション追加したければ、するけど。

何にでもどうにでもなれる。なりたい自分になればいいだけ。
ならないといけない、っていう義務感はきっと、誰かの価値基準。
そうなりたいと心から思っているかだけが重要。

なぜか用を足している時にそんなことを思った笑



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