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言葉の魔力

言葉の魔力と、言葉を狩ることの無意味さ。

ジェンダーの話だと本当に多い。

本当の意味で魔力をもっているのは、言葉の下にある意識で、言葉はそれに形を与えている。時に、自覚を促すことで意識を強化する役割もある。

変えたいのは、断ち切りたいのは、意識。

言葉にフォーカスすることで、その意識を批判することもできるのだけど、それはあらわれ(表れ/現れ)にとらわれているとも言えて、言葉を狩っても、見えない意識は消えない。

それよりは、自分自身が、その意識を無視したあるがままの振る舞いを、表す、現すほうが、パワーがあるなと思う。

言葉に囚われ、言葉と戦っているうちは、その下にある意識を、実は自らも内面化している。

その言葉が世の中に存在しても、その事象が気にならなくなったなら、自分はその意識を本当の意味で無効化し、自分の世界から消し去ることに成功したのだ。

わたしも、言葉によるたくさんの呪いをかけられたし、今だって、多少呪いと戦っている。内面化している呪いがある。

言葉があることで、表現があることで、呪いの存在がわかるし、逆に、自分のなりたいもののイメージを結ぶこともできる。

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わたしの大好きな作品『陰陽師』のなかで、ずっと印象に残っているやりとりがある。

「うむ。この世で一番短い呪(しゅ)とは、名だ」
「名?」
「うん」
晴明がうなずいた。
「おまえの晴明とか、おれの博雅とかの名か」
「そうだ。山とか、海とか、樹とか、草とか、虫とか、そういう名も呪のひとつだな」
「わからぬ」
「呪とはな、ようするに、ものを縛ることよ」

ことばを「呪い」と捉える感性は、この辺からの気づきかもしれない。

わたしの「呪い」はネガティブな意味だけど、清明のいう「呪(しゅ)」はポジティブネガティブどちらでもなく、元来はこの方が適切だろう。

意識を動かしているという意味では、ひとはみんな魔術師だ。ことばで意識をあやつる魔法使い。

魔術師のツールである「言葉」は、意識をコントロールするためのものであって、振り回されるためのものではない。

なりたいわたしになるように、わたしは言葉を使う。世にあふれる様々な表れ、現れを直視する。そして、わたしにそぐわないものが、わたしの内面にあることは許さない。

そうすることで、きっと外側の世界も、見える景色が変わっていくだろうと信じる。

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