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「コミュニティカフェ」読了

3日坊主が止まらないnote(苦笑)

年度末やら何やらで、2,3月は忙しかったです…。

そんな中で、久しぶりに紙の本を買いました。人に見せても良いかなと感じる本は、紙で買います。

子育てと店とをやっていると、なかなかじっくり読書の時間が取れないのが悩みで、最近お友達から速読を習い始めました。そんなにガツガツやってはいないのですが、少し読書スピード上がったかな?

ということで、1週間と少しで読了。

記録とアウトプットのために、感想を残しておこうと思います。

以前から、学校など公共の場所をベースに、居場所カフェ的なものを作ってみたい、とぼんやり考えていました。

うちの店も、一応地域の居場所をうたい、近所の子どもたちが出入りしたり、お客さん同士が出会って交流が広がるような、そんなことが起こっているけれど、箱が小さいのと、あくまで個人の店だから、「公共」とまではいけていないな、と感じていて…。

もっとも、これは私たちの個人的な生業、事業なので、別にそれ自体は悪いことではないが、もし、もっと多くの人を巻き込むのならば、別のハコが必要だろうなぁと思うのです。

そんなわけで、久しぶりに勉強のつもりで、他自治体の事例をたどりたいと思いました。記録とアウトプットの意味で、感想をnoteに残したいと思います。
(Twitterで書いてもいいかと思ったのだけど、本日Twilog停止のニュースもあり、アーカイブ要素があるものは、こちらにしようと思いました)

事例の主

事例の主は、著者が代表をしている、横浜市の港南台タウンカフェ。

カフェ事業だけでは採算が取れないこと(人の交流がメインということで、回転はさほど見込めない)を初めから見越し、クラフト雑貨の販売箱レンタルを売り上げの主軸として想定。ボランティアスタッフの活用や、補助金も含めた資金計画となっているのがさすがだと思った。

キラキラの夢や理念だけで走って地に足がつかないタイプの私には刺さる😵‍💫 (私は馬鹿なので、実地で15年かけて40代になってこういうものの大事さを悟ったのだった…)

地域の力のある団体(商店会等)を、立ち上げ時点できちんと巻き込んで体制を作っているの良い。(ただこれは、誰もが頑張れば出来るわけではなく、その地域で実績や人脈がすでにある人物がキーパーソンとして居ないと、同じことはできないだろう。地ならし的に、時間をかけて、誠実に人間関係を作る必要がある)

起きていることは同じ

しかし、カフェで生じている出会いや繋がり、コミュニティ、イベント等のできあがり方は、うちでも似たよう現象があり、その点は既視感がある。そういうコーディネートを自然としたり、場を作る才能は、自分にもあるのだと思う。

でも、私の課題は、仕事や責任のシェアが下手だということに尽きるかなあ…。

印象に残っている文

最後の方に、著者ではない、ある学者さんが寄稿した文が掲載されているのだけど、今の時代は、人々が自然とつながる場という意味での「公共」が消失しており、それに早い段階で危機感を抱いた人が、自分のリソースを持ち寄って動いている、というくだりがあった。これは、その通りだろうと思う。私だってそうだ。

一方で、コミュニティスペースをやっている人の多くが、自分のリソースでそれぞれの個性的な場を作り上げながらも、本当はこれは行政がやるべき事業だと感じているそうだ。学者さんは、そのヒアリング結果に驚いていた。てっきり、行政がやってもつまらない場になるから、より自由度の高い場を自主事業で……という理念でやっている人が殆どではないか、という想定を覆されたらしい。

これについては、私も感じるところがある。居場所作り、コミュニティ作りという業態は、根本的に営利と相性が悪い。多くの福祉事業と同じく、それ自体はお金を産むわけではないから、他の何かでそれを補わなければならない。(その何かは、補助金だったり、寄付だったり、脇の事業だったりする)

港南台タウンカフェは、それを初めから見越していたところが偉大だ。物事は、志だけでは続かない。効率の悪い泥試合、容易に動かない車輪を、どうにか知恵を出してまわす。

見た目はキラキラ、牧歌的でも、実は水面下ではギリギリの攻防があるのだよね。それが、「本来は行政がやるべきだ」の本音の理由だと思う。

成果が上がらないものって予算がつきづらい。課題を解決しました!ってカッコよくプレゼンできる事案、プレゼンできる能力のある人が脚光を浴びやすく、「トラブルが起こらないこと」や「未然に防がれた孤独」は見えないので、評価がされない。

こういうものを評価しない、見ようとしない世の中である限りは、善意の人の泥試合は続くのだろう。

ちょっと違うけれど、教育分野でもおんなじ課題がある。どこどこの有名大学に何人合格!というのは喧伝されるが、それだけでは見えない学生のメンタルの明暗のようなものは、可視化されないし、評価もされない。

こういう目に見えないものをちゃんと評価して、特定の誰かにツケや負荷を回さずに、みんなが幸せになる社会システムができないものだろうかと、時々考える。

この世界は弱肉強食だ。それは自然の法則だけれど、文明的動物である私たちは、知恵でそれを乗り越えた方がいい。新自由主義の礼賛など、理知的な人間がやるべきことではない。

読書感想文、ここで終わり。

そしてどうする

読了したところで、これをどう生かすかといえば、「時間をかけよう」ということに尽きます。

自分の店をもっと公共空間にする、という選択肢も少し考えたけれど、慈善事業を拡大するには、正直ちと体力が足りない。これは経営の意味での体力だし、自分のリソースの意味でもあります。

今の雰囲気の中で、人と人とを繋ぎ続けることは、もちろん続けます。実際、小さな出会いと小さなコミュニティは生まれ続けていて、日々、嬉しく思っています。

地域で地道に生業を続け、催しにも協力しながら、少しずつ、模索したいと思います。

「焦らない」

少しずつ夢を見ながら、仲間を作り続けよう。





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