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体験を視る目

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日、月と久しぶりに2日間、完全休日でした。

22日は大洗。23日は大子へ。袋田の滝はそこそこ人が居たけれど、ショッピングセンターなどに比べたら疎だと思います。

仕事のことを何も考えずに過ごしたのが本当に久しぶりで、ただ散歩したり、砂山を作ったり、ちょっとしたものを飲み食いしたりしただけなのに、2日間、本当に楽しかった✨✨

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茨城は、空も山も海も、ほんとに綺麗ね。

ちょっと遠くに行ったのは儀式のようなもので、この2日間の楽しさは、ちょっとした演出(自分ちのコーヒー豆で大量ドリップして、ポットでコーヒーを持って行くとか)も含め、自分が作り出したものだな、と思います。

いつしか、ものごとを「消費」することをやめよう、と思うようになってから、生活が豊かになりました。

用意された何かを消費して、「外部のものが自分をどれくらい楽しませてくれたか」を批評するというのは、疲れるし虚しいものです。

そういうライフスタイルは、お金もかかる上、底無しの渇望や、他者への期待を再生産するので、まあ、無間地獄みたいなかんじ。

地の時代から風の時代への切り替わり、という話をよく書いているけど、上記の無限地獄、すなわち消費的なライフスタイルは、地の時代に置いていくべきものだろうなと思います。

目の前に広がった光景をもとに、どれだけ幸せな妄想をできるか。どれだけ見えないものを視るか。それによって、体験が全く変わってきます。

これは、本質的には、今までも同じだったのかも知れないけれど、ものやサービスが満たされた世の中だからこそ、虚しさと可能性が両方、視えやすくなるだろうなと、思います。

この目が曇らないような、自分でいたいです。



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