自分とのパートナーシップ
楽読、という速読のレッスンを受けている。講師は近所の整骨院の先生で、うちの常連でもある、ともさん。
レッスンの中で、「自分とのパートナーシップ」という話が出た。自分が自分自身をどう扱うか、というもの。(トレーニングしながら世間話をします。トピックはその時ごとに違う)
私は、自分にダメ出しすることが多いので、自分とのパートナーシップは常に課題。これは体にも心にも悪い。って、人を見ているとわかるけれど、自分のことになると、何がそれなのか、今一つわからない。医者ならぬ、占い師の不養生(笑)
今日も1つ、ああ、こんな自己否定をしてたんだな、と気がつかされた。
私は自分が怒るとか、悲しむとか、ネガティブな感情になることを、あまりよくないと思っている。仏のようであるのがよい と思っている。でもまあ、そうはいかないんだよな。
昨今で言うと、ジャニーズ事務所の諸問題について、なんだか腹が立って腹が立って仕方なく、ワーッとTwitterに思ってることを書いた。
我ながら辛辣な言葉だ。
このコメントは、きっと意見が異なったり、誰かに肩入れしている人を傷つける言葉だろうなとも思い、こんなことを胸にしまえず書いてしまうのも、大人気ないなあ…
とか思う心もあったりして、ちょっとやってしまった感がないこともない。
という心の棘があったところでの今日のレッスン。
上記の話をシェアする中で、ともさんが、「怒ってもいいんじゃないですか」「大事にしてることがあるから、怒りがあるのでは」という言葉をくれて、それでハッと気がついた。
あら、私はまた、怒ってる自分に駄目出しをしていた。そう、この問題は私がものすごく大事にしてる事に抵触する。
言葉にしてしまえば「人権問題」なのだけど、人権を侵してるから駄目、という理屈よりは、私の中では、もっとシンプルに駄目なのだ。だってひどいじゃん。
人が人を蹂躙してる、しかもそれがお金や権力差によって周りの人間が見過ごす、容認される、っていう構図が、耐え難く駄目。
私はこの世界が、そんな世界であって欲しくない。それが、わたしの大事にしていることだ。
怒りとか悲しみというのは、出てくるからには何か、理由がある。
「アウトプット」はすでにあるものの表出なので、それを否定したところで、意味がない。意識の奥底に沈んでいる心を探すための宝の地図が、感情だ。
自分とのパートナーシップというのは、「ほんとの心さがし」の話なのだろう。
どんな心があったとしても、いったんはありのままに受け止めないと、自分が可哀想。
今の世の中は、「正解のテンプレ」が多過ぎて、逆に、人間を傷つけがちなんだろうな。
「ほんとの心さがし」。
自分くらいは、自分の味方でいてあげよう。
何回目かわかんないけど、またそういうことを考えました。
PS
そういえば私、辛辣なこと言う人が大好きなんですよ。きっと、ほんとは辛辣なことが言いたくて、そして、辛辣な自分が好きなんだろうな。
おわり。
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