【性教育】SNSの使い方・性犯罪被害について 〜クロ現のコラムを見て思うこと〜
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【性教育】SNSの使い方・性犯罪被害について 〜クロ現のコラムを見て思うこと〜

先週、NHKのクローズアップ現代で、こんな番組が放送されたようだ。性教育系の人の中でちょっと話題になっていた。

概要はリンク先を見て頂きたいのだけど、リサーチ目的で「14歳女子中学生」のプロフィールでTwitterの囮アカウントを開設したら、エロ目的の男が一方的に卑猥なメッセージを送りつけたり、接触を図ったり……というものが相次ぐ、という事例の紹介と、

あとは、「グルーミング」といって、一旦親切にして手懐けてから、性的な関係を強要したり、裸の画像を送らせたりする、という、子供への性犯罪の手口についての解説。

そして、児童ポルノのコンテンツの現状。

女性としても全身鳥肌ものの気持ち悪い話だし、子を持つ親としては、怖すぎだろ💦😱 という内容です。

Twitterなどでも、そういう意見が主流だし、もちろん私も大枠では同じことは思う。

ただ、 この現象全体(犯罪予備軍みたいな男たちがたくさんいる件&子供が性的に眼差される件)について、主流と少し違う意見があるので、それを個人的な気づきとして書いておきたい。

私のスタンス・感想

まず、私自身はインターネットの黎明期から、知らない人とコミュニケーションを取り、SNSでもポジティブな経験をたくさんしているので、無条件にこれを危ないツールとして見るのはちょっと違うと思っていて、「よい使い方」と適切な犯罪防止の啓発を模索しているスタンスです。

Facebookでシェアしてくれたお知り合いのポストに長々とコメントをつけてしまったのですが、それがこちら。

ぞわぞわしながら読みました😨 

私がTwitterを安全に楽しく使えてる理由の一つに、「既婚/若くない/夫とめちゃくちゃ仲が良いですエピソード」の盾があるな、と自己分析するのです。この情報があると、知らない男からの性的意図のある接触は皆無です。女1人暮らしのベランダに男物のブリーフを干す効果みたいな感じ。笑

逆に言えば、「丸腰の14歳女子」の設定のネット上での危険さは、やっぱり認識しなきゃいけないですね。

この私が大学生だった頃、Twitterではない不特定多数のチャットツールに、彼氏に振られて超落ち込んでるみたいなことを書いたら、電話かけてエッチなことしようみたいなこと言ってきた手合いがいて、キモすぎ死ね❗️😱と思って即連絡を切ったことがあります。傷心の若い女は舐められますね…。(21だったから切れたけど、14ならその判断が出来てたかはわかりません)

ちなみに14の時は、大学生に連れ回されて襲われそうな寸前で逃げ出したこともあり(地味にギリギリの性被害経験が色々あることを最近思い出してますww)、この「真剣交際だと思ってる男のノリ」はよくわかります…。

当時の私は、性被害に遭いかけた、怖いキモいひどい……😭の記憶でしたが、たぶんあちらはワンチャン(※ひょっとしたら)やれると思ったナンパが失敗した、としか思ってないんだろうな、実際そうだったんだろうから可哀想に、、、とアラフォーの今は冷静に振り返る私がいて、やっと体験を消化できました。(トラウマすぎて、最近まで誰にも言えなかったんです)

ワンチャンやれる=真剣交際と思っちゃうコミュニケーションの薄さは、その人の人生経験の薄さであり、逆に気の毒かもなーとすら思いますが、元・一少女としては冗談ではない、やめて頂きたかったです。

長々書きましたが、この辺り、男性と女性の認識差は結構深刻かもしれません。記事の中にもありましたが、こういう論(※大人の男が少女に声をかけたとして、それは当人同士の真剣な恋愛の範疇であり、即犯罪ではない、という論)を真面目にいう人はネットにも沢山います。

年少者の女性に寄っかかるしかない男性の心理にも、「なぜ彼がそういうコミュニケーションスタイルを選ぶのか」「なぜそういう人になったのか」ということを、ニュートラルな視点で寄り添った方がいいかなと思います。おそらく、法律で禁止したり、キャンペーンを貼ってもこういう手合いは居なくなりません。

対等なコミュニケーションが出来ない人間をたくさん産み出しているのは、今の社会にも原因があると思っています。

(※ーー)部は、原文に注として追記しました

性教育をやるようになったここ1年くらいで改めて徐々に思い出したんですけど、わたし、レイプ未満の地味な性被害体験、けっこうあったんですよね〜 

14の時の性被害については、ネットは関係なく、その辺を歩いている時に大学生を名乗る男に声をかけられ、ちょうどTVで言われたような「グルーミング」の手口で仲良くなり、夜遅くの公園であやうく襲われそうになったところを命からがら逃げ出した、という経緯です。

「14歳女子中学生」という記号

おとりのTwitterアカウントを作って、「14歳の女の子がこんなに性的な眼差しで見られるなんて…」という、クロ現のルポの流れについては、

「入れ食い状態の釣り堀に、餌付きの釣り糸をたらして、自明な結果が得られたまで」と感じています。(こういうやり方なら、こんな奴らが釣れるのは当たり前、ということです。日陰の石をひっくり返したら、多足系の虫がウジャウジャいて、ギャーーー😱 というのと同じ)

子供を個人として見ていないことに怒りを述べているコメントが番組内でありましたが、これは、そもそもTwitterアカウントがおとり(/偽物)であること自体が象徴的ですが、群がる男たちにとっては、このアカウントは「ネット上に浮かび上がる『少女』という記号」としてしか認識されていません。

その向こうに誰がいるか、という対個人のコミュニケーションの仕方ではないんですよね。リアルではなく、姿が見えないネットだからこそ、この記号性は顕著になります。

この、記号に向かって性的な欲望をぶつける男たちの駄目な点は、記号の向こうにリアルの人間がいることに対する気遣いが皆無なこと(むしろそれを性的興奮の材料にしているのかもしれない)で、そこに反社会性があります。これはネット上での誹謗中傷などの事案についても同じ構造です。

なお、「欲望の存在そのもの」と、「反社会性のある行為」は切り離して考えるべきだと思います。

こういう場(若い女子に性的眼差しを無遠慮に注ぐ場)が存在すること自体は、前述の通り、日陰の石の下の暗い領域に自然に生息する虫のようなものと思って、「石をどかさないこと」つまりわざわざこれらのいる領域に行かない、というのが、まずは大事なことです。

「14歳女子中学生でーす」みたいな、少女であるプロフィールを丸腰でアピールすることが、その領域に入ってしまうことにあたると思うのですが、14歳に限らず若い女性であれば誰でも、自動的に欲望の対象としての記号性を持っている、という認識は自衛のために必要だと思います。

真冬の雪山に軽装で行ったら死ぬと思うのですが、ネット上での丸腰の「欲望の対象になるプロフィール」というのは、それと近いのだと思います。

雪山の存在を教えず、知らずに入ってしまう子を「なぜ」と責めるのではなく、まずは現状の雪山の存在自体をしっかり教えること。そして、もし入ってしまいそう、入ってしまった子がいたら、過ちや未熟さごと抱きしめてあげること、、、綺麗事にはなりますが、とりあえず「すべてをありのまま見る」というのが、被害者にとっても優しいと思うのです。

その上で、雪山(反社会性のある男性たち)をどう切り崩していくかを考えた方が良いと思います。

私の14歳当時の性被害のこと

私自身、14歳で性被害にあった際は、「自分が欲望の対象になる記号を持っている」ということが分からない上、自分自身が女になっていくことに葛藤があった時期だったため、性的に眼差されたことをとても汚らわしく恥ずかしいことだと思い、また、自分が安易に知らない男を信用してしまった過ちの恥ずかしさもあり、本当に親にも友達にも誰にも言えず、長らく苦しみました。(未遂で済んだので体の傷はありませんが、その後の根深い男性嫌悪と不信の起源になりました)

私自身が、当時は「若い女の子」という、自動的に魅力があって欲望される記号を持っていた、と最近理解して(最近だよ!25年経ってるよ)、それですごく楽になったのです。性的欲望の対象になったのは、必ずしも私個人の責ではない、と思えたためです。(そもそも向こうが100%悪いんですけど、被害者って恥ずかしさ相まって自分を責めて、それが苦しみになるんですね)

加害者の男に対する認識は、「性犯罪者(ありえない存在)」から「石の下の多足類(気持ち悪いが、まあそんなものはいる)の如し者」に変わりました。

性教育の出来ること

私自身は、今年41歳になりましたが、生育過程にて性教育はほとんどなく(中高は進学校だったこともあり、当時の保健体育の授業は本当にゼロ。ちょうど高校での一部教科の未履修が問題になった時期です)、性に関する事柄を空白のまま、私が女であることは透明にされたまま、自己責任のものとして被害に遭い、誰にも言えなかった、というのが、わたしが性教育にこだわる原点のひとつなのかもしれません。

この被害に遭ったことが客観的に理不尽であることを語るための言葉も環境も、当時のわたしにはありませんでした。自衛とサポートのための言葉と知識を与えること、それが性教育の役割のひとつだと思っています。

もちろん、なんでただ生きてるだけで、しかもいたいけな時期に性的な対象にならなきゃいけないんだ という理不尽さは嫌なものですが、「自分が性的に魅力的な(欲望される)存在であること」は冷静に知る必要があったな、と思うのです。

それは、受け止め方によっては、自分自身のセクシャリティや魅力の肯定という、プラスの生きる力にもなりうるのではないでしょうか。

性被害を減らすためには

自分のような被害を減らすためには、法律の取り締まりなどの、加害者への禁止・抑止の観点だけではなく、「そもそもなぜこういう欲望があり、彼らはこういうはけ口を作るのだろう」ということを、根本から考える必要があると思います。

他の事由もあるのですが、そんなこんなで、ここのところ「そもそも男の欲望とは何か」ということに特に関心をもって、本を読んでいます。(末尾に参考図書を記します)

また、被害者を透明にしない、声を拾うための取り組みも必要です。

それは「性の事柄を隠さず、子供たちにきちんと教えること」と、「欲望の存在を肯定すること」から始まると思います。性に関することを堂々と語れる環境をつくる、ということです。

そして、一番大事なのが、性の話をきちんと語る・聞いてあげられる大人の存在。必ずしも親でなくてもいいのですが、そんな人が身近にいたら、救いになる部分が多いのではと思います。

もちろん、私の論は欲望の存在を肯定するとは言っても、性被害の存在を看過するものではありません。しかし、欲望の存在自体と性被害はきちんと分けて考えないと、正しい構造がわからず、適切な防止対策にはつながらないと思います。(ここを一緒くたにして雑に語るひとは特に女性に多く、懸念するところです)

自然の話に例えれば、災害自体のメカニズムや全体像がわからなければ、レジリエンス(防災・減災)の対策も取りようがないわけです。

男性の欲望を「災害」に例えるのはなんとも心苦しい部分もあるけれど(苦笑)、それのもとになるエネルギー自体は不健全なものではなく、生きていることそのものだし、「女性を愛している」という原点があるように思うのです。

そのエネルギーを反社会的な出口に導かないことが重要なのであって、欲望の存在自体を否定して男女を分断するような論は本質的ではないし、お互いを不幸にするなと感じています。

フィクション(創作物)の性表現に対する風当たりも強い昨今ですが、上記の「欲望を反社会的な出口に導かない」の点において、フィクションは実は効用すらあるのでは、と最近は思っています。(性表現規制を訴える人は、フィクションこそが欲望と反社会性を同時に作り出すと考えるわけですが、そもそも欲望はある、と考えるところに、スタート地点のちがいがあります)

欲望の対象の記号の向こうに生身の人間がいる事案(SNSなど、顔の見えない相手に欲望をぶつける場合)は、そのまま反社会性に繋がりますが、想像の世界のなかの記号(フィクション)で欲望を満たしている分には、その時点では被害者は存在していません。

記号と、生身の人間を分離させて認識すれば、誰も傷つく人はいないわけです。フィクションの性表現を見て、女性が性的消費されている!とフェミニストが息巻くのは、記号と生身の女性を重ね合わせている故の嫌悪感からなのでしょうが、記号を楽しんでいるオタクからすると、ちょっと認識がずれている部分があると思います。

女性にとって、男性の欲望のリアルを見つめることは、前述の「多足類がうじゃうじゃしてる」ものを見るような気持ち悪さを彷彿とさせるような感じもあるけれど、多足類も精一杯いのちを表現して生きてますからね、そういう世界に自分は共に生きている、ということを知ればいいかな、というのが私の思いです。好きになる必要まではなくて、ただ存在を視界の端で見て放置していればいいの。(ちなみに私は虫は触れませんが眺めるのは嫌いではないです)

支配構造を生み出す欲はどこから

ちなみに、番組内で問題のひとつになっていた大人と若年者の疑似恋愛的関係のほかに、両者の間に権力勾配があって弱い方に害のある交際関係というのは大人×大人の場合にもあって、モラハラやDVがそれにあたります。数は少ないですが、女性→男性に対するそれらもあるということなので、加害は必ずしも男性の専売特許ではありません。

加害者の「他人への支配・征服」の欲の起源は、おそらくは加害者自身の生の肯定のためだな、と数々の占い案件に接して感じるのですが、では、他人を脅かさないと自身の生が肯定できないような、そんな精神状態を作り出したのは、そもそもなんなのでしょう? 

たった一人のエラーではなく、社会問題になるほど、「典型」が見えるほどに事例が多いというのは、やはり、背景には社会全体からの個人に対しての抑圧があるのだと思います。そういう意味では、俯瞰して見れば加害者も被害者と言えるでしょう。

何を直せば、それがなくなるのか?

まずは被害者を守るためには、法律の保護や規制のしくみがいりますが、根本では、加害者をうまない、個人を圧迫しない、モンスター化しないような優しい社会を皆で作っていく必要があります。

これは、すべての反社会性に対する処方箋になるのかもしれないけど、明確な正解や指針が見えない分、とても難易度が高い事案であるとは思います。

SNSとの付き合い方

タイトルに戻るのですが、子供に対してレクチャーするべきSNSの使い方は、ひとえに「記号性」に対する指導ではないでしょうか。

顔が見えないからこその良い点や繋がりの効用もあるのですが、記号として見られるゆえの危険性があること。

子供、とくに女の子にとっては、ネットは顔の見えないやべえ狼がたくさんいる荒野でもあるので、丸腰で出かけないこと。

そして、困った事案があったら、性の問題を含め、きちんと相談してもらえるような関係性をつくること……(この意味では、子供だけではなく大人たちの問題でもある)

まずは親ではありますが、他にも、リアルに、地域に、そういう大人がたくさんいる、みんなでセーフティーネットを張る。そういう社会を作ることが、性犯罪という災害への何よりのレジリエンスになるのでは、と思います。

参考図書

男性の欲望や性の現状について語った本。ややロマンティック寄りの思想の偏りはあるけれど、性の記号性についての理解がとても深まる。

「お上の見えざる手」という言葉で、規制によって新たな欲望が作り出される構造にも言及があり、興味深い。この発想は児童ポルノの存在にも通じるのでは。

なお、本書では記号ではなくて、生身の現実の女性としっかりコミュニケーションを取ることで欲望を満たすことを推奨している。コミュ障にはハードルが高いのでは…と思うものの、リアルを生きる人間としては大切なことが書いてある。

なお、若い女を記号としてしか認識していないのは、コミュ障のオタクだけではなく、実はリア充に見える性的強者、コミュニケーション強者みたいな男性にもたまにいて、私はこういう人とはほとんど会話ができない。

中年になった今は、そういえばこの手合いにはほとんど出会わなくなった。「未婚の若い女」の記号が消えたからだな(笑)

読み途中。ラカンはフロイト派の精神分析のひと。「欲望とは何か」について、難解だけど根幹に迫ってる感ある。

性教育の分野には、この精神分析の成分がもっと必要だと思ってる。暗い部分を含めた人間の欲望の解像度を上げることや、そもそも「人間とは何か」の問いが、私たちには不可欠だ。

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もっくん

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茨城県つくば市の自家焙煎珈琲店『もっくん珈琲』オーナーのお仕事と並行して、占星術&タロットカウンセラーもやっています。人間の内面を考える観点から、子供の教育や性教育についても関心を持ち、いろいろ活動しています。