鋼錬から学ぶ本当に大切なこと~化学好きの私が忘れていたもの~
※注意)この文章はアニメ『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』 最終回付近の非常に重大なネタバレを含みます。作品を楽しむ予定の方は読まないことをお勧めいたします。
新型コロナウイルスによって全てがオンライン化され、自宅生活が主になって早くも1年が過ぎた。大学生の私としては当然ながら友人と外で遊びたかったり旅行したかったりなど思うことも多かったわけだが、なにも卑屈になっていたわけでは当然なく、というよりむしろ自宅で時間を過ごすために色々考えた結果新しい趣味がたくさんできた。
アニメもその一つ。それまでは「オタクっぽいから」という食わず嫌いの偏見で、幼少期に好きだったもの以外あまり見たことがなかったのだが、たった1年でこうも色々な有名作品を観て、ハマるとは思わなかった。(私の思うアニメの良さについてもまたどこかで綴ってみたいと思う。)
好きな作品はたくさんあるしそれぞれに推しキャラなども当然いるのだが、「尊敬するアニメキャラは誰ですか?」と問われれば私は間違いなくこう答える。「鋼錬のエドワード・エルリックです。」と。
その理由を説明する前に、作品についてあまり知らない方のために簡単にストーリーをまとめてみたいと思う。
『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』のあらすじ
舞台は1600年頃、アメストリスという架空の軍事国家。その国には錬金術という特殊な学問が存在し、それを修得したものは「物質の等価交換」を原則に様々な物質を原料から自在に錬成することが可能になる。ただしそこには、「人体だけは錬成してはならない」という禁忌があり、禁忌を犯すと「等価交換の原則」に従って、錬成した本人は逆に体の一部を失ってしまう。物語は、禁忌を犯したことで片足と片腕、および全身をそれぞれ失ったエルリック兄弟が、失った体を取り戻す方法を探し求める旅を描いた話である。
この作品の面白いところは、「等価交換の原則」を支配するものとして「世界の真理」という絶対的で無慈悲な世界の原則をつかさどる存在が擬人化して描かれているところだ。禁忌を犯すと、錬金術師はその「真理」と交換をすることになる。自分がもつ何かを差し出す代わりに、「真理」はこの世を支配する法則や自然の摂理について、差し出された分に見合っただけその錬金術師に見せてくれるのだ。そうして、体の一部を失う代わりにより高度な錬金術を修得することができるようになるわけである。
物語が進むにつれ真理を追う旅が徐々にその国を覆う大きな陰謀と交差し始め、色々な紆余曲折があって(これがまた面白いのだが)、物語の最終局面において兄のエドワード・エルリック(エド)は弟のアルフォンス・エルリックの体を取り戻すためにある決断をする。それは「自分がこれまで見てきた世界の真理」の記憶や知識を全て捨てる代わりに、弟の体を取り戻すという等価交換を行うことであった。すなわち、弟の体を取り戻すために、自分がみてきた世の中の真理を錬金術もろとも封印する決断をしたのである。
エドの行動が教えてくれること
彼のとった行動から読み解けることが一つ。それは、「自分を大切にしてくれる人が周りにいることは知的好奇心を満たして得られる満足感よりも尊い」ということ。
我々は無意識のうちに「自身の知的好奇心を満たすために、自然や世の中の摂理を知りたいと思い、探求する」ことに夢中になる。そうして自身を知識で満たすというのは何物にも代えがたい充実感をもたらしてくれるものだ。だがしかし、それよりも「自分のことを思い、慕い、大切にしてくれる人がいるという当たり前に囲まれている」という事実こそ、我々にとっての本当の幸せなのである。
ところで、知的好奇心の充足感と聞いて、首をかしげる人がいるかもしれない。なぜそれが対比項に上がってきたのかよくわからない、そりゃそんなものよりも人がいる幸せのほうが大きいだろうと思うかもしれない。私が思うに、このメッセージは特に、自然科学に携わっている人々に向けられた言葉であるように思う。
自然科学を学ぶ者へのメッセージ
私は現在大学で化学を学んでいる。化学に魅せられた理由はそれを用いて見の周りの様々な自然現象を説明でき、さらにはそれを応用すれば、自然界には存在しない全く新しいものを生み出すことができるからだ。もちろん自然科学は化学だけではない。物理学や生物学、地学、機械工学、環境科学、医学なども該当する。そしてそのいずれも、「自然界の摂理を学んだり、あるいはその原則に則ったうえで、自然にはもともと存在しないものを新たに生み出すための学問」である。
お気づきの方も多いかもしれない。そう、自然科学とはまさに鋼錬の世界で言う錬金術なのである。世の中の真理を追い求めるのに必要な学問であり、またその真理を応用することで何かを生み出す(錬成する)ことができる技術なのだ。
私のような学生を含め、自然科学に魅力を感じたものは、時として知識の吸収に夢中になる。「もっといろいろな知識を吸収し、様々なことを発見して世の中がどうなっているのかを知りたい」、あるいは「新たなものを生み出すという神業を成し遂げてみたい」そんなロマンにとりつかれる気がする。
別にそれが悪いわけではないし、人類に新たな知見を提供できるという観点でむしろ評価に値することだ。それが科学者や教授が、これまでそしてこれからも立派に語られる理由である。知的好奇心というのは我々人類に与えられた非常に貴重な財産である。それに忠実に生きることは素晴らしいし、人類の発展にとっても大変価値がある。
ただエドは、そんな知識の追求を至高の幸せという考え方をしていた私に冷や水を浴びせてくれた。知的好奇心を大事にしがちな私にとって、それを捨ててまでも守るべきものがあるとした彼の行動は驚きそのものであったし、紛れもなく尊敬に値する。これが、私がエドワード・エルリックを尊敬する理由である。
知的好奇心からくる真理の追求がもたらす喜びや快感は計り知れない。ゆえに私はこれからも化学のロマンを追い続けるであろう。ただ、そのロマンを追求し続けるあまり、独りよがりになって身の回りの人をおろそかにしてはいけない。なぜならそこには最初からいかなる真理にも代えがたい、多くの人からの支えという自分だけの幸せがあるのだから。
お読みいただきありがとうございました。
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