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小説 「僕と彼らの裏話」 5

5.幸せ

 聴き慣れたアラーム音がする。まだまだ寝ていたい僕は、それを放置する。
 数秒後、何故か勝手に止まる。

 同じようなことが、何回か繰り返される。

「起きてる?」
「んー……?」
目を開けると、隣で寝転がっているのは……修平ではなく、宮ちゃんだ。
(……あぁ、そうか。泊めてもらったんだっけ……)
 僕が薬に頼って寝ていることを知っている彼女は、なかなか頭が はっきりしない僕を、無理に起こそうとはしない。
 一人で起き上がってカーテンを開けると、僕の脚を踏み越えて、ベッドから降りていく。
 取り残された僕は、しばし昨夜の余韻に浸っていた。
 昨夜、ついに高校時代の【夢】が叶ってしまった。

 彼女が残していった枕を引き寄せて、代わりに抱く。
 この上ない幸せを、思い返していた。


 太陽の光によって、今度こそ目が覚めて、僕は やっと起き出す。
 まずは洗面所で口をゆすいで、顔を洗ってから、彼女が居るはずのダイニングに向かう。
 『作りもの』無しで車椅子に乗って朝食を食べている彼女を見つけ、僕は欠伸をしながら「おはよう」と言う。
「おはよー」
お互いに、相手の姿を見たら とりあえず手を振るのが、習慣になっている気がする。
 特に何も意図せず、僕は手近な椅子に座る。
 まだ、頭が半分 寝ているような感じだ。また欠伸が出る。
「朝ごはん、自分で用意してね」
「うん……」

 「台所を借りる」と宣言し、僕は適当にトーストを焼き、電気ケトルで湯を沸かす。
 インスタントでもいいから、朝に味噌汁を飲む・飲まないで、その夜に熟睡できるかどうかが決まる気がする。
 だから、主食が何であっても、僕は必ず朝食には味噌汁を添える。

 自分が朝食を食べる前に、彼女の食器を下げる。少し驚きを孕んだ声で「ありがとう」と言った彼女に、「なんもさ」と応える。
「宮ちゃん、今日も仕事する?」
「するよー。10時くらいから、かな?」
「僕、何時まで居ればいい?」
「何時でもいいよ。ゴッツの晩ごはん次第じゃない?」
ゴッツというのは、修平のニックネームである。由来は単純明快、彼の体格が「ゴツい」からだ。


 食べ終わって片付けてから、やっと自分のスマートフォンを見る。
 昨夜、修平には「宮ちゃんの具合が悪い」と嘘を言って泊まったので、彼女を心配するLINEがいくつも届いている。
 僕は それに「今は落ち着いた」と返信する。
 更には、悠介さんからもLINEが届いていて、それは「一階の和室を、有料で人に貸すことになった」という報せだった。
 先生がまた 誰かを『保護』したようで、僕が復職したら その人の分も食事を用意することになるということで「復職の日が分かったら教えてほしい」とのことだった。

 一気に【現実】が押し寄せる。

 とはいえ、僕は決して あの仕事は嫌いでない。「誇らしい」と、手放しで言える。
 すっかり体調が良くなった今、いよいよ【復職】について、考えるべき時だろう。


 宮ちゃんにも、先生と同じように「仕事部屋」がある。そこにあるデスクに置かれたノートパソコンで、いつもリモートワークをしている。詳しいことは、教えてくれない。
 今日は、服装が部屋着だから、リモート会議に出るわけではなさそうだ。
 パソコンを立ち上げて準備している彼女に、僕は声をかけた。
「宮ちゃん。あのさぁ……僕、来月頭には、内地で仕事に復帰しようかと思う」
「お医者さんは、何て言ってんの?」
「『とりあえず3ヵ月くらい休んで』って言ってたのが、今で4ヵ月になるんだ。……そろそろ、良い気がする」
「あんたが『良い気がする』って言ってもさぁ……身体の状態は、どうなのよ?」
「……どのみち、通院先は向こうの病院だからさ」
「あ、じゃあ……一旦 帰るのが良いね」

「僕……向こうで、こういう家、探すよ」
「また、そんな……」
「宮ちゃんと一緒に暮らす家、探すから」
「……焦らなくていいからね」

 この部屋には、仕事用デスクは2つあるけれど、椅子は1つもない。主が車椅子でスムーズに動き回ることが最優先の部屋なのだ。
 本棚や収納も、全てが低い物で揃えられている。
 僕は、彼女の邪魔にならない位置を考え、そこの床に座る。
「冷たくない?そんなとこ……」
「僕は平気だよ」
「どっかから、椅子持っておいでよ」
「いいんだ。僕は、床がいい」
「……やっぱり、変な奴」
「先生の影響だと思うなぁ」
 先生は「正座のほうが、頭が冴える」と言って、床や畳の上に座ることを好まれるし、また「椅子は凶器になりうる」と言って、少なくともリビングには事務仕事用のものが一つあるだけで、食卓周りには絶対に置かない。(いつも、そこには座布団が並んでいる。)テレビに映った何かをきっかけに激昂してしまわれることが、以前はよくあったからだという。しかし、先生には「絵を描く時は、椅子の上でないと駄目だ」という こだわりもあり、仕事用の椅子の上で、必ず座蒲ざふ(坐禅用の座布団)を敷いて胡座あぐらをかく。
 そして、僕も悠介さんも、その「仕事用の椅子」を投げつけられたことがある。
「……私、吉岡先生って、男の人だと思ってたよ。だから『旦那さんが居る』って聴いた時、ゲイなのかと思っちゃった」
「先生は、女の人だよ」
 先生の身体の中に、大変 気性の激しい『男性人格』が居ることは、もちろん【秘密】だ。

 仕事を進める宮ちゃんに、僕は「次に来る日」について尋ねた。彼女が「いつでもいいよー」なんて言いつつ、それでも述べた希望日に、僕は「また泊まってもいい?」と訊いた。
 彼女は、パソコン画面を見たまま、クスクス笑っている。
「ゴッツの世話が、嫌になったの?」
「違うよ!」
僕が口答えすると、彼女は さも可笑しそうに笑ってから、タイヤを動かして振り返る。
「私は……来てもらえたほうが、楽できるから……歓迎するよ」
「したら、決まりだね!」
泊まるなら、それに応じた薬を持参しなければ ならない。
「坂元、よく働いてくれるから……チップ渡さないといけないね」
「要らないよ、そんなの!」
「……さすが『ボランティア同好会』!」
彼女の笑い方は、高校時代から変わらない。

 ゴッツこと修平の家に戻り、夕食の準備をしていると、また部長が訪ねてきた。
 玄関で 僕に「知人からニシンを貰ったので、捌いてくれ」という用件を伝えた後、何故か….なかなか帰ろうとしない。
「おまえ……さては昨日、例の『彼女』の家に泊まりやがったな?」
「え、どうして そんなことが……」
「匂いで判る。アロマオイルか何かの良い匂いと……高いシャンプーの匂いがする」
浮ついた話題に反して、共に働いていた頃と変わらない、至って真面目な顔だ。
 この部長は、知り合った頃から ずっと、”ポーカーフェイス”が巧い。疲れや怒り、敵意を、滅多なことでは顔に出さない。決して、激怒している相手と 同じ土俵に上がらない。
「さすがですね……」
あからさまに鼻を近づけてきたりはしないけれど、部長が匂いを頼りに僕のほうを向いているのは分かる。
「……朝は、バターの付いたトーストを食っただろ。あと……昼か?どこかで、キャベツの入った味噌汁を食っただろ」
 まるで警察犬の鼻だ。
「味噌汁は、朝に食いました」
「そうか」
「……それで、ニシンは、どちらの台所でやりましょうか?」
「後で、うちに来い」
「わかりました」


 僕が淡々と4尾のニシンの鱗を取って、頭を切り落としている後ろで、部長は食卓近くの座布団に どっかりと座って、スマートフォンに何かを読み上げさせている。相変わらず、速すぎて僕には聴き取れない。
「ニュースでも聴いてるんですか?」
「……まぁ、そんなところだ。新聞の電子版だ」
 僕は頭を取ったニシンの腹を切り開いて内臓を取り出し、中を綺麗に洗う。(4尾とも、全て雄だ。白子だけは、分けて取っておく。)
 読み上げアプリの、男女どちらの声かも分からない妙に高い声が、猛スピードでニュースを読んでいる。喜ばしい話題か、悲しい話題か……それも分からない。読み方に抑揚は無く、ずっと平坦だ。
 それを再生したまま、部長が話し始めた。
「稔。式でのスピーチは、俺に任せろ」
「気が早すぎますよ、部長……」
僕は一旦手を止めて、振り向く。
「彼女のためにも、早く身体を治さないとな」
ずっと真顔だった部長が、やっと笑った。
「……おかげさまで、そろそろ復職できそうです」
「そうなのか?…………それはそれで、寂しくなるな……」
「僕も寂しいです」
「……彼女は、こっちで働いてるんだろ?どうするんだ?ひとまず『遠距離』になるのか……?」
「まずは、僕が向こうで家を探さないといけませんからね」
「……大事な新居だな。買うのか?」
「お値段次第、ですかねぇ……」
僕は、白子を冷蔵庫にしまったら、綺麗に洗ったニシンの水気を拭き取り、三枚におろす。
 身から腹骨を削ぎ落としたら、目立つ小骨を抜いて、皮を剥いでいく。
「……まぁ、賃貸でも何でも、初めのうちは『一緒に居られるだけで楽しい』もんだ。安アパートに段ボール箱並べて、缶詰 食ってるだけで……楽しいんだ」
それは、部長ご自身の思い出であるような気がした。
 そんな部長にも、離婚経験がある。
 4人のお子さん達は皆 成人しているはずだけれど……今も交流があるかどうかは知らない。

 部長は、短く刈り込んだ ごま塩頭を撫で回しながら、ぽつりと言った。
「一度……会ってみたいなぁ。おまえの彼女に」
「会って、どうするんですか!?」
僕は肩で笑いつつも、「刺身で食いたい」と言っていた部長のために、皮を剥いだニシンの身を薄く切っていく。(自分が頂いて帰る分は、半身のまま、皮も残している。)
「気になるじゃないか。可愛い『弟子』の、未来の奥方だぞ?」
「……本人と相談します」
「良い返事を、待ってるぞ」
(本当に結婚が決まったら、会わせたいな……)
 部長は完全に「婚約者」だと思っているかのように言うけれど、僕達はまだ、そんな約束はしていない。
 今はまだ、僕一人が望んでいるだけだ。


 頂いて帰ったニシンの切り身と白子は 明日使うことにして、冷蔵庫に入れる。
 作りかけだった おかずに、改めて火を通す。(とりあえず豚肉か羊肉を野菜と一緒に炒めて出しておけば、修平は機嫌が良い。)

 普段通りの遅い時間に帰宅した修平は、宮ちゃんのことをあれこれ訊いてきたけれど、僕は「本人に訊けよ」と突っぱねた。
 結婚や引越しのことは もちろん、脚の状態のことだって、僕からは話していない。
「なんで、隠すんだよ!?」
「『話してもいい』とは、言われてないからな!」
「何か……実は、すげぇ深刻な病気だったりすんのか?」
「いや、だから本人に訊けよ。『体調悪いって聴いたんだけどさぁ』『大丈夫?』とか言ってよぉ」
「薄情者!!」
「なしてさ!」
「俺の『聴きづらい』という気持ちに対する、配慮がねぇべや!!」
「宮ちゃんの『プライバシー』のほうが大事だべや!馬鹿でねぇのか!?」
 修平は、拗ねた子どものように、黙って夕食を平らげ、食後すぐゲームにかじりついた。
 僕は、放っておくことにした。

 もう風呂には入ったので、むさ苦しい寝室に行き、2人分の布団を敷く。部屋を暖めていた灯油ストーブは、布団が敷けたら切ってしまう。北国仕様の保温性の高い寝具なら、自分の体温だけで、朝まで充分温かい。
 とはいえ、起き出せないほど部屋が寒くなるのは解っているから、早朝にはストーブが再びつくように、タイマーをセットする。

 温かい布団に入って、昨夜から今朝の幸せな時間を、再び思い返す。
 あれが【日常】となるなら、僕はもう、他には何も要らない……。


次のエピソード
【6.「臆病風邪」】
https://note.com/mokkei4486/n/n7c59955d6370

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