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小説 「僕と彼らの裏話」 7

7.受け入れ準備

 内地の小汚いアパートに戻り、一日だけ身体を休めた。
 故郷には まだ雪が残っていたのに、こちらではもう、桜が散ってしまった後だ。
 まるで、違う国に来たかのようだ。

 僕の復職に合わせて、先生宅には哲朗さんが訪ねてきた。先生の【最後の絵本】を持って……。「先生が絵本作家を引退した」という事実は、その時 初めて告げられた。
 そして、同じ日に先生のペンフレンドの中学生「稀一くん」がアポ無しで遊びに来て、更には、訳あって先生宅で間借りしているという青年「倉本くん」と初めて顔を合わせ、なんだかとても気忙しい一日となった。
 しかし、僕は満足していた。
 何よりも、”精神疾患によって” 4ヵ月以上休んだのに、当たり前のように復職できたことが嬉しかった。
 本来【当たり前】であるべきはずの それは、残念ながら この国においては「先進的」かつ「素晴らしい」のだ。
 しかし、先生は それを地で行く人である。
 先生の偉大さを、僕は改めて実感した。

 僕は、絵筆を置いて「文学作品に専念する」と決めた先生を、今後も支えていきたい。


 後日。復職の日に依頼を受けたので、僕は哲朗さんの『付添い』として、スーパー銭湯に来ていた。
 他に客の居ない露天風呂で、哲朗さんは頭に乗せたタオルを片手で押さえながら、湯の中で手足を伸ばした。
 そのタオルで目を隠し、湯船の縁に、傷だらけの両腕を投げ出す。
「うあぁ……このまま眠ってしまいそうです……」
「溺れてしまいますよ、哲朗さん」
僕は、側で胡座をかいている。
「妻が『ひとり銭湯』にハマった理由が、よく解ります……」
 彼の奥さんは、子ども達を夫や両親に預けて一人でスーパー銭湯に行くのが何よりの楽しみらしく、それに感化された彼が、初めて同じことを実践した日……溺れてしまったのだという。
 彼の欠神けっしん発作ほっさの要因は「蓄積された疲労」と「束の間のリラックス」であるというから、きっと、その時も こんな風に湯船で寛いでいて、そのまま意識が飛んだのだろう。

 このまま寝かせてしまうわけにはいかない。
「あの……哲朗さん。僕、ちょっと、ご相談したいことがありまして……」
「はい、何でしょう?」
そこで彼はきちんと座り直し、タオルを頭の上に戻した。
「あの……極めて個人的な相談で、恐縮なのですが……実は僕、今『結婚』を考えている女性が居まして……」
「おおぉ!」
彼は、タオルを押さえたまま、珍しく腹から声を出して笑った。
「先生には、まだお話ししていないのですが……。彼女は今、北海道に住んでいて……僕としては、ぜひとも、こちらに呼び寄せたいのです……」
「そうですね。私達としても、坂元さんが北海道に帰ってしまわれたら……少し、困ります」
彼は、冗談ぽく笑う。
「それで、彼女を呼び寄せるにあたって……今の家では厳しいので、住宅のことを いろいろと考えているのですが……哲朗さんは、今のお家、ご自分で建てられましたか?」
「そう、ですね。更地の状態で買って……『将来的には妻の両親と同居が出来るように』と、二世帯住宅を建てました。妻には兄弟が居ませんから。
 結局、当初の想定よりずっと早く、同居が始まりましたが……」
無粋な勘繰りとは思うけれど、おそらくさとるくんのためだろう。
 そして……前々から判っていたけれど、やはり彼の経済力は、僕とは比較にならない。
「そうでしたか。……僕は今、とりあえず賃貸で『バリアフリー住宅』というものを探しているのですが……なかなか、良い所が見つからなくて、いっそのこと『買おうか!?』とも思ったのですが、今の身分は『パート従業員』なので……住宅ローンが組めるかどうか……」
「バリアフリー、ですか?」
「彼女は……脚が悪くて、基本的には車椅子の生活で……今は、札幌で賃貸の『バリアフリー住宅』に住んでいるのですが……同じような水準の家を、こちらで探したら、どうも家賃が高くて……先生の家からも、遠くなってしまうのです」
「なるほど」
彼は、湯の中で腕を組んだ。
「確かに……ああいう住宅は、高価です」
「やはり、不動産屋で相談してみるしかないでしょうか……」
「それが一番かとは思いますが……私からも、知人を当たってみます。思い当たる人が……5〜6人は居ます」
「あ、ありがとうございます……!」
やはり、彼は職業柄「車椅子ユーザーの自宅」に足を運ぶ機会は多いようだ。

 彼が「のぼせそう」と言い始め、温度の低い、別の湯に移動した。僕も、同行する。
 僕一人が、先に上がるわけにはいかない。取り残した彼が溺れたら、全責任が僕にある。

 
 風呂から上がり、脱衣所で堂々と半裸で涼んでいる彼の、後ろを通り過ぎる人々の一部が、彼の背中や頸の傷痕を横目に見ていく。皆、何も言わないし、むしろ「怖がって近寄らない」ように見受けられる。
 先に服を着た僕は、彼に「自販機で何か買ってきましょうか?」と発案し、彼に頼まれたものと、自分が飲みたいものを買った。
 いつもの癖で、ペットボトルは開栓してから渡した。
 彼は、それを勢いよく半分くらい飲むと「どうやら、浸かりすぎたようです……」と、ため息混じりに言った。
「大丈夫ですか?」
「温めれば、痛みが軽くなるので、つい……。しかし、どうもフラフラして……」
「ゆっくり休んでください。僕も、今日は休みですから」
「恐れ入ります……」


 翌日。僕は先生宅の資料室で、整形外科の専門書を読んでいた。
 先生は、物語に登場するキャラクターの怪我や病気について、嘘の無い描写をするために、医学・獣医学の専門書を多数 所有し、必要に応じて買い足している。古い書籍も、滅多なことでは棄てない。「一昔前」の知識や技術が判る資料も、物語を書くには必要だからだ。
「おやおや。勉強中かい?」
 午睡から覚めた先生が、開けっ放しにしていたドアから入ってきた。
 僕は、反射的に本を閉じた。
「邪魔して、ごめんよ」
「いえいえ……」
僕は、いそいそと厚い本を棚に しまう。
 先生は、お構いなしに椅子の一つに座る。
「その後……体調は、どうだい?」
「おかげさまで……安定しています」
僕は、先ほどと同じ椅子に もう一度座る。
「そりゃあ、良かった」
先生は、まだ少し眠そうだ。

「あの……先生……」
「ん?」
 僕は、婚約者のために「バリアフリー住宅」を探していること、既に同じ話を哲朗さんにもしたことを、初めて先生に話した。
 先生は、いつも通り「なんと!」と驚いてから、いかにも嬉しそうに、朗らかに笑った。
「それはそれは……おめでたいね!式は、挙げるのかい?」
「いいえ……」
「まぁ、私達も挙げなかったけれども」
先生は脚を組んで、腕も組んで、なんだか『ご満悦』の様子だ。ずっと笑っている。
「お家のことは……岩くんに頼んであるなら、心配要らないよ」
自信ありげに断言する。

「それで?彼女は……どんな人?」
「えぇっ!?」
「同級生なんだろ?」
すごく楽しそうに訊いてくれる。少年のような、純粋な好奇心が顔に出ている。
 しかし、どんな人……と問われると、答えに困る。「笑顔が素敵」とか「勇気をくれる」とか、馬鹿みたいな答えしか浮かんでこない。
「何だ、秘密かい?」
「は、はい……」
 先生は「はははは!」と、改めて大きな声で笑ってから「お会いできる日を、楽しみにしているよ!」と言い残して、資料室から出ていった。


 彼女は国語科の教諭だったから、先生とは気が合うだろうとは思う。


次のエピソード
【8.激震】
https://note.com/mokkei4486/n/n0694fc165a46

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