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小説 「僕と彼らの裏話」 29

29.ゲートキーパー

※警告!!:主人公の「希死念慮」に関する描写が含まれます。

 すっきりと起きられた朝。熟睡するためにと泊まりに来た彼に「よく眠れましたか?」と問われ、僕は「はい、おかげさまで」と返す。
「良かったです。……体調は、如何ですか?」
「悪くないですよ」
「何よりです」
 彼も、よく眠れたらしい。

 揃って朝食を摂る。欠伸をしながら適当に焼いたベーコンと、昨夜に炊いてから ずっと「保温」にしている米と、昨夜に作った味噌汁の残りである。(具は、南瓜かぼちゃと玉葱のみだ。)
 食べながら、僕は「毎朝欠かさず味噌汁を食べる」という習慣について、彼に話した。
「お味噌汁と、日向ぼっこは重要ですよ。本当に……」
彼は そう応えてから味噌汁をすすり、小さな声で「あぁ、美味しい」と呟いた。
 今日は土曜日で、彼は休みだ。

 静かに朝食を終えてから、数十分後。彼は例のごとく台所で水道水を汲んで、白色の錠剤を複数個 飲んだ。12時間に一度、飲まなければならないものだという。
 カップの水を飲み干して、ふぅと息をついた彼は 流し台の側に立ったまま、床に膝を着いて食卓を拭いていた僕に言った。
「すみません。朝から するような話でもないのですが……」
「何でしょう?」
「過去に抱いた希死念慮が唐突に蘇る……というのも、フラッシュバックの一種だと云われています」
僕は、ひとまず手を止めて、ふり返る。
「電車の一件は、あくまでも【病気の症状】であって……吉岡先生が、特定の場所に『火を点けてやりたい!』という衝動に駆られるのと……似た現象ではないかと思われます」
すごく、納得のいく見解だ。
 確かに、僕が「死ななければならない」と感じていたのは【過去】だ。しかし、あの時、宮ちゃんを置き去りにしてまで線路に飛び込もうとした僕にとって……それは【現在進行形】に等しかった。(昨夜も、そうだ。)
 飛び込もうとした瞬間、あるいは【妄想】について彼に話している最中、僕の心は大学3〜4年の頃に『逆戻り』していた。
「それで本当に死んでしまうというのは、あまりにも惜しい……」
彼は、先生の過去について教えてくれた時を思わせる悲痛な面持ちで、「建前」ではなく本当に、僕の死を憂慮してくれている気がした。

 彼は、使用したカップを律儀に洗剤で洗って水切りカゴに置いてから、僕の側まで来て腰を降ろした。
「もし、今後も外出中に そのような症状が出たら……電車なんて何本でも見送って、私に連絡をください。何時でも良いです。電話でも、メールでも……可能な限り対応します。必要があれば、妻に車出しを頼んで貴方を……」
「いや、そんな……!そこまでの手間は……!」
「私では、失格でしょうか?」
「そうではありません!哲朗さんは、すごく お忙しいのに、僕なんかの、話し相手になんて……!」
(ましてや、千尋さんに車出しまで頼むなんて……!!)
「坂元さんの身に、万が一の事があったら……私は、千秋さんに顔向け出来ません」
頭が上がらない。
「僕……一日も早く、自分の車を買います。電車通勤を やめます」
「……やはり、引き金となるのは『電車』ですか?」
「電車も、ですが……。駅で見かける『スマホを持った若い人』ですかね……いちばん怖いのは」
彼は、至って真面目な顔で小さく複数回 頷き、しばらく黙って……ふっと笑った。「安堵」が、顔に出ている。
「それが判っているのなら……対処は可能です。勝算は あります」
「勝算……」
(そうか。これは【病魔】との、闘いなんだ……)
「車の運転も、どうか お気をつけください」
「はい」


 彼が帰った後、僕は宮ちゃんにLINEを送って、車に関する相談をした。
 彼女の運転免許は返納済みで、購入する車は僕の「専用」に等しいけれど、僕としては、妻となる彼女の意見も聴きたい。
 介助者さえ居れば、彼女は一般的な車両に問題なく乗ることが出来る。(ということを、僕は先日のタクシー乗車時に知った。)
 いわゆる「福祉車両」を買う必要性は、今のところ無さそうだ。



 吉岡先生が、ご自身が過去に受けた暴力や軟禁、あるいは ご家族の傷病や過労死に対する【憤り】を唐突に想起して「あの会社に火を点ける!」と叫んだ回数は知れないけれど、本当に放火をしたことは一度もない。

 僕だって、本当に死んでやるわけには いかない。

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【30.派遣】
https://note.com/mokkei4486/n/n8ac2a5f4a68e

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