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小説 「僕と彼らの裏話」 9

9.真の友

 藤森さんには、先生が「警察に捕まった」ではなく「入院した」と偽ることになった。
 彼女は「お大事になさってください」という伝言を悠介さんに託しただけで、何も訊かなかったという。

 実際に入院したのは哲朗さんのほうだけれど、悠介さんが謝罪に行こうとした日は二度目の手術があって面会が出来ず、妻の千尋さんには「容態が落ち着くまで会わせられない」と、きつく言われたそうだ。
 ご本人の意向は まだ判らないけれど、顔面の骨が複数箇所折れたということで、ご家族は怒り心頭らしい。

 それ以来、悠介さんは「諒ちゃんが、出版業界から消されるかもしれない」と、震えながら暮らしている。
「哲朗さんが、そんなことを望むはずがありませんよ……」
僕は、会うたびに不安を口にする彼に、そう 言うしか出来なかった。
 無力だった。
 今、医師と警察官以外の人間が先生に会うことは許されない。配偶者でさえ、会うことは叶わない。
 先生の携帯電話は押収された。


 数日後、哲朗さん ご本人から連絡を受けて病院に赴いた悠介さんは、ひどく やつれた顔をして帰ってきた。
 やはり、千尋さんは相当お怒りらしい。
 彼の障害について熟知しているにも関わらず、首から上を中心に複数回 殴打したことについて、激しく糾弾されたという。
 哲朗さん自身は、過去の大怪我と比較してか「大した怪我ではない」として、むしろ先生の怪我や体調を気にかけていたというけれど、怒りに燃える千尋さんは彼の言い分を蹴散らし、夫の片目が危険な状態にあるということについて、悠介さんに厳しく追及したという。
「俺は……どうすればいいんすかね……?」
 僕にも分からない。
「先生の、ご回復を待ちましょう……」
僕は無力だ。ポンコツだ。


 後日。居た堪れないので僕も病院に赴くと、整形外科の一般病棟で、痛々しい姿の彼に会うことが出来た。
 まだ包帯が取れていなくて、左目と鼻が厳重に覆われている。頬骨と、眼球の奥にある骨(眼窩底)が折れてしまい、ボルトを入れたのだという。口元にも、傷口を留めるテープが貼ってある。
「すみません。ご心配をおかけして……」
6人部屋の中で、彼は運良く窓際のベッドが当たったようだ。そこで横になったまま、それでも、どうにか笑みを浮かべて話してくれる。(僕は、すぐ側で丸椅子に座っている。)
「眼は……大丈夫なんですか?」
「まだ、よく分かりません……。こちらだけ、物が何重にも見えますが……『見える』ことに違いはないので、いずれ治るとは思います」
「どうか、お大事にしてください……」
顔だけではなく、手や腕にも複数箇所 包帯が巻いてある。かなり、派手にやられたようだ。
「大した怪我ではありませんよ。
 頭の古傷のことがあるので……『無闇に体を起こすな』と、言われていますが……」
「ボルト入れたんでしょ?」
「そんなもの……転落の後、何十本入れたか判りませんよ」
そう言って、彼はまた笑う。
 彼の【基準値】は、僕とは違う。

「あの……」
僕は背中を丸め、耳打ちする。
「先生の『交代人格』と、何かトラブルがあったんですか?」
「……概ね、そんなところです」
僕が姿勢を戻してから、彼は答える。
「詳しいことは、警察の方にはお話ししました。悠介さんにも、少し……」
「悠介さんは、すごく落ち込んでおられます。倉本くんの手前、どうにか冷静さを保っていますが……」
「先生が、ご心配なのでしょう」
「それよりも、哲朗さんの眼ですよ!」
僕がそう言うと、彼は目を閉じて、大きく息をついた。
 数秒経ってから、再び目を開けて、言葉を継いだ。
「本当に申し訳ないことをしました……。妻が、動揺して、かなり話を大きくしてしまいました」
僕は、本当に大事おおごとだと思う。
「むしろ……謝罪をしなければならないのは、私のほうです」
「……どういうことですか?」
「私は……先生を、お守りしきれませんでした。私が、もっと巧く、止めていられれば……先生は、捕まってしまうことなど無かったのです」
(止める……?)
訊いても、答えてはくれない気がした。
「先生は……今こそ本当に『閉じ込められている』ので、私も心配です」
「哲朗さん……」
 これだけの重傷を負わされても先生の身を案じる彼は、立派だ。

「あれ?稔くんが居る……」
急に可愛い声がしたと思ったら、哲朗さんの娘のはるかちゃんである。(彼女は確か小学校3年生だ。)お兄ちゃんのお下がりのようなボーイッシュな服装で、紫色のリュックを背負って、小さなレジ袋を提げている。
「はるちゃん、こんにちは」
「こんにちは。……父やん、ジュース買ってきたよ」
「おぉ、そうか。ありがとうな……」
「父やん、まだ『起きたら目が回る』?」
「そうだな……」
「ストロー刺してあげる」
紙パック入りのジュースの、曲がるストローを娘に刺してもらって、お父さんは嬉しそうである。「寝たまま飲むのは、ちょっとなぁ……」と言って、引き寄せたスイッチを押してベッドを少しだけ起こし、パックを受け取って飲み始める。
 一瞬で顔色が良くなった気がする。
「はるちゃん、一人で来たの?」
「伯母さんと来たよー」
彼女も、父親と同じものを飲んでいる。(居ることすら想定されていなかった僕の分は無い。)
「おばさん?」

「よぉ、哲!起きてるかー!?」
体育教師のような溌剌はつらつとした声がして、50歳前後と思われる、髪の長い女性がやってきた。雰囲気は先生に似ていなくもないけれど、眼鏡はかけていないし、先生よりは小柄だ。平均的な体格だ。
「あー……お客さん来てるのか。失礼しました」
一転して、彼女は武道家のような洗練された美しい礼をする。
 僕が「ご親戚の方ですか?」と哲朗さんに問うと、彼はジュースを飲み込んでから「姉です」と答えた。
「お姉さんですか!」
僕は立ち上がり、挨拶して名乗る。一つしかない椅子を、彼女に薦める。
「貴方が、坂元さん!……いつも、弟がお世話になってます」
お互いに、礼をする。
 空けた椅子は、遙ちゃんが持っていく。父親の側に陣取る。
「ほら、哲!御所望の資料だよ!」
お姉さんは、なんとも豪快な所作で、大きくて分厚い封筒を鞄から取り出して、哲朗さんの前に突き出した。
 彼はジュースを片手に、小さく「このまま……」と言って僕を指し示し、お姉さんは「そう?」と言いながら、僕のほうに差し出す。
 それを両手で受け取った僕が「何でしょうか?」と尋ねると、お姉さんが「バリアフリー住宅のカタログです」と答えてくれた。
「あぁ……!」
 依頼した僕のほうが、今回の騒動によって、すっかり忘れてしまっていた。
 哲朗さんは、あの後 早急に動いていてくれたのだ。
「お家、建てるんでしょ?」
「いや……まだ『検討中』です……」
「住む所を ちゃんとしないと、奥様が来られないでしょ!?」
この人も、怒らせると怖そうだ。

「あの……もしかして、お姉さんは不動産屋さんですか?」
「職業は、看護師ですよ。……家が、そういう家なの」
「ということは……ご家族で、誰か……」
「夫がね。……“全面介助“だから」
「あ、そうなんですね……」
あえて深くは掘り下げず、封筒から出したパンフレットを拝見する。
「うわぁ……やっぱり高いなぁ……」
思わず声が出る。
「……奥様と、よく話し合ってね」
「は、はい……」
本人を連れてモデルルームに行くしかない。僕一人では、決められない。

「稔くん、奥さんが居るのー?」
遙ちゃんが訊いた。
「まだ『奥さん』じゃないんだ。これから、奥さんになる人だよ」
「いいなずけ?」
「……ちょっと違うかな。『婚約者』だよ」
言っている自分が、小っ恥ずかしい。


 しばらくパンフレットの内容について4人で話していたけれど、僕は ご自宅に残してきた悠介さんが心配になってきた。
「僕、そろそろ失礼します」
「……また、いつでも いらしてください」
哲朗さんは、愛娘に元気をもらったためか、顔の痛みを感じさせない、穏やかな表情だ。
 しかし、お姉さんに「あんたが早く出なさい」と言われた瞬間、一転して太々しい表情になった。
「……早く帰れよ」
「何だ!せっかく資料 届けてやったのに!」
義兄にいさんが待ってるだろ」
「あいつ今日、残業だよ!あんたがテレワークしないから!」
(”全面介助”の人が、残業……?)
 パソコンの操作くらいは、出来るということか。
 しかし、そんな重症者に「残業」を課す、会社も会社である。
(というか……ものすごい『親族経営』……!!)
僕なら、きっと耐えられない。
 僕は、姉弟へのご挨拶を済ませ、ひっそりと遙ちゃんに手を振ってから、いそいそと病院を抜け出した。


 資料を持ったまま、先生宅に戻る。(ボディーバッグには入らないので、手で持ち帰る。)
 テレビが ついているけれど、悠介さんは明らかに元気が無く、倉本くんが彼の肩を揉んだり、背中を叩いたりしている。
 僕も、側に腰を降ろす。
「哲朗さん……思いのほか、お元気そうでした」
「何すか?それ……」
僕が持っている封筒のことだ。
「僕が、個人的に……お姉さんから頂きました」
「哲朗さんの、お姉さんすか?」
「はい」
「そうすか……」

 哲朗さんが詳しくは語らなかった「事件の詳細」について、彼は警察から聴いているはずだ。あれ以来ずっと、浮かない顔をしている。白髪が、また増えた気がする。

 倉本くんが、マッサージをやめた。
「ありがとうな、和真。……ちょっと楽になった」
悠介さんは、難聴の彼に話す時は、努めて笑顔を見せ、ボディーランゲージを添える。
 彼にも、先生は「入院している」と伝えてある。「面会が出来ないところに居る」とも言ってある。
 それを聴いた彼は、以前にも増して悠介さんを気遣い、本来なら僕がすべきであるような、掃除や食器の片付けを、率先して するようになった。
 彼は、本当に無口だけれど、動きは良い。

 悠介さんが彼に風呂掃除を頼み、彼はすぐさま1階に下りていく。
 「そんなこと、僕が……」と言いかけたところで、悠介さんが先に口を開いた。
「諒ちゃんは……オープンカフェの椅子で、哲朗さんをボコボコにしたらしいっす……」
 千尋さんが激怒した理由がよく解った。
「哲朗さんは『先生を、お守りしきれなかった』と、言っていましたよ……?」
「何か…………俺も信じられないんすけど、警察が言うには……初めは、別の人間をナイフで刺そうとして……哲朗さんが、椅子を使って止めに入ったらしくて……」
(何が、どうなっているんだ……!?)
「諒ちゃん、このまま帰ってこないかもしれないっす……」
このまま刑務所に入るとでもいうのか。
「精神疾患に起因する衝動的な犯行なら……罪は軽いはずです」
 不安に押しつぶされそうな彼を前に、口ではそう言ったけれど、先生が「誰かを刺そうとした」という点が、どうにも引っかかる。
 あの朝、本だけを持って散歩に出かけたはずの先生が、どうして、カフェなんかで刃物を所持していて、誰かを狙って、更には そこに哲朗さんが居合わせたのか……僕には解らない。

 しかし、それには何か【理由】があるはずだ。因縁の相手と予期せぬ再会をしてしまった、とか……先生ご自身か、あるいは誰か「大切な人」に対する侮蔑に激怒した、とか……。


 先生は今、留置場で、どう過ごしているのだろう……?
 警察官を前に怒鳴り散らしているか、『閉じ込められている』という状況に耐えきれず心を閉ざしているか……あるいは「自分が哲朗さんを傷つけた」という事実について、比喩ではなく本当に「死ぬほど後悔している」かもしれない。

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「僕は、先生のお帰りを待ちます」
 僕が悠介さんに言えるのは、それだけだ。


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【10.帰りを待つ日々】
https://note.com/mokkei4486/n/n5303e3e666b1

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