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小説 「長い旅路」 26

26.帰宅

 土産物を買い込んだ後、バスの中では「俺は寝ます」と宣言し、到着したと起こされるまで、ずっと腕を組んで寝ていた。
 バスを降りた後、彼は「吉岡先生に会ってみたい」と言い出し、俺を先生宅まで送ると言ったが、俺は丁重にお断りした。
 彼が わざわざ来るには遠すぎるし、先生に会いたければ、後日 動物園で落ち合うのが最良だ。


 一人で先生宅に戻ると、藤森さんが玄関を開けてくれた。
 先生は外出されているようで、靴が無かった。
 互いに何も言わないまま、彼女は速やかに2階に戻る。俺は、脱衣所で洗濯物を出してから2階に上がり、彼女も含めた全員にお渡しする土産物を食卓に並べる。
 彼女は今、夕食作りに忙しい。
 それでも、当たり前のように お茶を淹れてくれる。
 彼女が筆談具に書いた【おかえりなさい】の文字を前に、俺はただ黙礼をする。
 
 彼女の前だと、俺は いつも、あがってしまって駄目なのだ。ほとんど何も話せないし、思うように動けない。共に飲食は出来るが「粗相の無いように」という、その一点で頭が一杯だ。
 俺は ここに来た当初、幾度となく彼女の前で幻覚を見ては泣き叫び、暴れ回り、彼女が用意してくれた食事を吐いてきた。だから、とうに嫌われているかもしれない。
 しかし、彼女は職業としての 俺の世話を放棄しない。若いが、立派だ。
 俺は、彼女に何かを書いて渡す時、絶対に「ため口」を書かない。尊敬すべき相手であるから、必ず敬語で書いている。


 先生が帰ってくると、途端に家の中は賑やかになる。先生は俺の姿を見るなり「もう帰ってたのか!」と朗らかに笑い、土産物に興味を示された。
 俺が「どうぞ」と言うと、藤森さんも呼び寄せての開封が始まる。「食べてもいい?」という問いには、もちろん頷く。
 夕食前だが、中身は煎餅なので特に影響は無く、2人は嬉々として食べ始める。
「良いなぁ、温泉……私も久しぶりに行きたいなぁ」
 その後、先生は ご自分の「好きな湯治場」について、つらつらと語った。



 翌日。俺は先生達に贈ったのと同じ煎餅を持って、実家に帰った。
 父は出勤で、母は休みだ。
 俺が、土産を渡して「動物園で知り合った友人と温泉旅行に行ってきた」と言うと、母は大いに喜んだ。
 リビングのソファーに2人で横並びに座って煎餅を食べつつ、「旅行中の写真を見たい」という母に、スマホで写真を見せていく。大半は、悠さんに送るために撮った景色やアート作品だ。
「お友達の写真が無いじゃない」
そういえば、撮っていない。
「一緒に記念撮影しなかったの?」
「してない」
「あら、そう……」

 写真を見終わった後、母は旅行に同行した彼の名前や年齢、職業等を訊いてきた。
 俺は、必要最低限のことは素直に答えた。
「……今度、うちに連れておいで」
「え?」
「会ってみたいわ。その、小野田くんに」
「え、え……」
会って、どうする気だ……?
「『息子がお世話になってます』って、ご挨拶しなきゃ」
それをするなら、まずは吉岡先生だろう。
 母と先生は、電話でなら何度も話しているようだが、まだ対面はしていないはずだ。
「せ、先生……先生は……」
「ん?」
「先生には、あ、挨拶……」
「あら。ご挨拶したわよ。お家に行って」
「い、いつ!?」
「いつだったかしら……?
 初めて電話でお話して、すぐの頃よ。あんたは その日、動物園に行ってて留守で……」
知らなかった。それとも、忘れてしまったのだろうか……?
 俺が黙りこくっていても、母は構わず先生宅を訪ねた日のことを語る。「素敵なお家」とか「かっこいい方」という文節が、断片的に聴こえる。当日は、楽しかったのだろう。顔に出ている。
 やがて、母は「あぁ!そうよ!」と大きめの声で言いながら、俺の肩を叩いた。
「住民票の話!」
母は そう言うなり立ち上がって どこかに行き、すぐにメモ用紙とボールペンを持って戻ってきた。
 母がペンを走らせて箇条書きをしながら語り始めたことを、俺は注意して傾聴する。
 俺の住民票は、まだこの実家にある。しかし、実際に身を置いているのは先生宅である。少額とはいえ部屋代も支払っている。だが、先生宅の住所は隣県で、俺の住民票をそちらに移してしまうと、俺の再就職を支援する相談支援員が、檜村ひむらさんではなくなる。住民票のある県で、新たに支援員を探さなくてはならない。(手帳や年金に関する変更手続きも、煩雑だ。)
 母としては、全幅の信頼を置く檜村さんとの関係を、出来れば断ちたくないという。そして、新しい支援員探しに吉岡先生やご家族の手を煩わせるのも避けたいのだという。(支援員探しは、俺独りでは極めて難しい。そして、多忙な母が隣県の役所まで頻繁に通うのも、不可能ではないが難しい。)
 しかし、郵便物や再就職のことを考えると、俺の住民票と実際の住所は一日も早く一致させるのが望ましい。また、今のような状況は、数ヵ月間であれば「知人宅に滞在」という位置づけとなるので問題無いが、あまりにも長引けば法に触れる(罰金の対象となる)という。
 そのことについて、俺の意思を確認したいようだ。

 俺としては、実家に戻って再び父と同居するなど、御免こうむる。
 しかし、ほとんど何も知らない隣県での支援員探しは、きっと苦戦するだろう。吉岡先生なら、快く手伝ってくれるような気もするが……。親族でも何でもない「大家さん」が、福祉の分野でどこまでの権限を持つのか……俺には分からない。
 だからといって、檜村さんの管轄地域内で一人暮らしが可能かと問われれば、残念ながら答えは「NO」だ。障害年金など、家賃に消える。食費、光熱費、その他……生活のために必要な資金が、俺の手元には、ほとんどない。今の自分が、働けるとも思わない。
「和真は、どうしたい?」
しばらく考えてみてから、唯一の『確定事項』を告げる。
「じ、じ、実家には……帰ら、ない……」
「そう言うと思った」
父によって、満足に働けないことを理由に怒鳴られ続け、殴られてきたことを思い出す。
 怒りのためか、身体が小さく震えだす。
 母はすぐに気付き、俺の手を握る。
「良いんだよ。和真がしたいようにすれば良いから……」
言いたいことは、ごまんと在る。
「父さんに会うのは、当分やめたほうがいいね」
数十年先の、向こうが死んだ後くらいで丁度いいだろう。
「ごめんね。せっかく、楽しい話してたのに……」
 母に肩を抱かれても、俺は何も言えない。

 それでも、ぐるぐると思考は巡る。
 一人だけ、思い浮かぶ人物が居る。恒毅さんである。檜村さんの管轄地域に住んでいる彼とルームシェアが出来れば、全てが解決する。
 ただし、彼の了承が得られるか、そして不動産屋がそれを許すか……それは、まだ分からない。

 再び、母に肩を叩かれた。
「あんたの部屋に、新品の靴下がたくさんあるのよ。持って帰りな」
そういえば、出かけるたびに靴下を買って帰っていたような時期がある。それは憶えている。
 しかし、自室のクローゼットから3足セットが20組以上出てきた時は、我ながら「買いすぎだ」と思った。そんなに溜まっていたとは、把握していなかった。
「サイズが合うなら、小野田くんにも譲ってあげたら?」
「うん……」
それが良いだろう。
 彼の身長は、俺と大して変わらない。足のサイズも、大差ないはずだ。


 大量の靴下を詰め込んだ紙袋を提げて先生宅に戻ると、先生には「そんなに買ってきたの!?」と驚かれた。だが、俺が経緯を説明すると、先生は至極冷静に「なるほど」とだけ言った。
 俺は「サイズが合うなら、先生や悠さんにもお譲りしたい」と伝え、先生は喜んで引き取ってくれた。好きなものを4組ほど選び取った後「悠介が帰ってくるまで、大事に しまっておく」と言っていた。

 ハウスキーパーは お2人とも休みだった その日、俺は先生と2人きりで夕食を摂ってから、久しぶりにオセロで勝負をした。例のごとく、対局をしながら【禅問答】じみた対話をし続けた。
 それでも、住所と支援員のことは話さなかった。

 恒毅さんの答えを聴くまでは、黙っておくつもりだ。


次のエピソード
【27.許し】
https://note.com/mokkei4486/n/n9d60338f190a

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