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小説 「僕と彼らの裏話」 20

20.密やかな門出

 またしても先生宅に来客があった。悠介さんの勤務先の、社長である。僕は、この日 初めて彼女と対面した。(事務所や現場で忙しそうにしている姿を見かけたことは何度もあったけれど、言葉を交わしたのは初めてだ。)
 38歳と聴いているけれど、もっと若く見える。職人というより「アスリート」を思わせる体型と筋肉量で、それは彼女が いかに長い時間 現場に出ているかを物語る。

 社長を応接室にお通しして、お茶を出す。
 用が済んだら、部外者の僕は速やかに退室する。

 基本的に、株主である先生が、経営者である彼女と対談する必要がある場合、先生が社屋に赴く。
 他の従業員に聴かれては困る話をしに来たのか、社長も、可能なら悠介さんに会いたかったのだろうか……?


 一時間以上 話し込んでから、社長がお帰りになった後、先生は、2階で湯呑みを洗う僕のもとへ やってきて、悩ましげに告げた。
「あの『借金取り』が、会社のほうにも来たらしい……」
「しつこいですね……!」
「向こうとしては、金が懸かっているからね」
警察に頼っても良さそうな状況になってきた。
 先生は「さてさて、どうしたものかな……」と呟きながら、哲朗さんがよくやるように、顎に触れる。
「悠介には……『しばらく、そっちに隠れていろ』と、言わなければならないねぇ」
「それが良いかもしれませんね」
「もし……また、うちに来やがったら『離婚したから、居場所は知らない!』と言ってやろうかな」
悪くない【対策】だと思った。
 僕は湯呑みを洗い終わり、水切りカゴに置いた。先生は、そのまま立ち話を続ける。僕は、手を拭きながら応じる。
「ところで……倉本くんの ことなのだけれども」
「はい、何でしょう?」
「彼は、この家を出ることになった」
初耳だ。
「実家に戻るんですか?」
「いや……新しい『同居人』が見つかったんだ」
「えっ……?」
「彼にも、良い ご縁があったようだよ」
「ええぇ!!?」
ということは、新しい恋人と暮らすのか!?
「い、いつの間に、そんなことに!?」
「あれだけ頻繁に動物園へ足を運んでいれば……いくらでも出会いがあるだろうさ」
それは、確かに そうかもしれない。
 しかし……それにしても、衝撃的だ。
「彼、体調は……もう良いんですか?」
「一時のことを思えば、すごく良くなったよ。旅行にも行けるようになったし……」
確かに、彼は つい最近、3日間ほど友人と温泉旅行に出かけていた。僕も、お土産をもらった。
「その人と一緒なら、体調は安定するみたいだ」
「す、すごく解る気がします、それ……!」
僕も、宮ちゃんと一緒に居られたら、すごく体調が良いし、一人の時と違って「出かけよう!」という気が起きる。彼女のためなら、どこへだって行ける。電車だって怖くない。
 話が逸れてしまった。
 文脈から察するに、彼は、まずは友人として一緒に旅行へ行った相手と、寝食を共にしたことで絆を深め、同棲を始めることにしたのだろうか。
「僕から、彼に『おめでとう!』と言ったら、嫌がるでしょうか……?」
「嫌がりは、しないんじゃないか?」
 倉本くん本人は、今は不在だ。
「ただ、まぁ……お相手のことを、あまり深く訊いてはいけないよ」
「僕達は、そんな仲では ありませんよ」
「そうかい?」
 先生は、なかなか台所から動こうとしない。
「そういえば、君達の新居の話は、どうなっているんだい?」
「おかげさまで、順調に進んでおります!」
「良かった良かった」

 その後、僕は彼女が滞在する日程について、カレンダーの前で先生に話した。その期間中の、短時間なら出勤が可能な日も告げる。
「彼女を ほったらかして、出勤してくるつもりか!?」
「先生のお食事は、必要じゃないですか」
「そういう時のために藤森ちゃんが居るわけだし……いざとなれば、自分で買いに走るよ!君が、気を遣うことじゃない」
「わかりました……」
僕は あえて冗談めかして「ワーカホリックのふり」をしたけれど、真意は違う。
 決して口には出さないけれど、僕は今でも、心の片隅で、先生の【フラッシュバック】や【躁転】を警戒している。幾度となく悠介さんをボコボコにして、盟友たる哲朗さんまでも ぶちのめした、先生の『交代人格』が……藤森さんと2人きりになる状況というのは、正直あまり作りたくはない。
 あの人格は、間違いなく「成人男性」だ。【彼】が表出し、激昂して暴れ出した時……無傷で制止するのは、男性でも難しい。
 哲朗さんが「担当」から外れ、悠介さんが ご不在の今……そこを警戒するのは、僕の責務だろう。
 とはいえ、結局は哲朗さんを頼る他は無いのである。倉本くんが退居する日と、自分が連休を取る日程について、彼に伝えておく。



 倉本くんが旅立つ日、僕は休日だ。前日のうちに、別れの挨拶を済ませる。
 僕は退勤時に、彼が寝起きしている和室を訪ねた。部屋の隅で正座して荷づくりをしていた彼は、なかなか僕に気付かなかった。
 何回も大きな声で呼んでみて、やっと気付いてくれたのを確認してから、僕は通勤鞄を廊下に置き、彼に歩み寄った。
 僕も、彼と同じように正座をする。
「倉本くん。明日、お引越しでしょ?僕、明日は休みだから……今日で、一旦『お別れ』なんだ」
「お世話に、なりました」
「いえいえ。なんもなんも」
初めて会った日より、ずっと頼もしくなったように見える。
「新生活、楽しめると良いね!」
「恐れ入ります」
体調が良い時の彼は、至極大人びている。
 彼は、今後も先生に会うため この家に顔を出すつもりでいるそうだ。


 帰宅後。僕は どうしようもなく宮ちゃんの声が恋しくなって、久しぶりに電話をかけた。(LINEのやりとりは、毎日している。)
 遅い時間帯だけれど、すぐに出てくれた。
「もしもーし。どうしたー?」
「お疲れ。今、電話大丈夫?」
「駄目なら出ないよ!」
良かった。元気そうだ。
 彼女が こちらに滞在する日程や、宿に関することは、既に確定している。その期間の中で、まだ行き先や過ごし方が決まっていない「空白の時間帯」が在る。その時にする事として、僕は、前々から密かに考えていた事を初めて口に出した。
「あ、あのさ……僕、吉岡先生に、宮ちゃんを紹介したいんだ」
「え……会えるの!?吉岡先生に!?」
 吉岡先生の【取材嫌い】【聴衆嫌い】は、有名だ。あの先生は、動物園や公園で嬉々として名刺を配り歩く反面、性格としては『内弁慶』かつ『職人気質』で「大勢の人の注目を浴びる」ということを、極端に恐れる方である。雑誌に寄稿することはあっても、顔出しのインタビューは断固として受けないし、著書がどれだけ売れても、サイン会等の「ファンとの交流イベント」は、絶対にしない。先生は、あくまでも「著書を読んでいただくために」ご自分の名刺を配っているのだ。元来の先生は、決して『社交的』な方ではない。
「僕から、お願いしてみる」
「やったぁ!」
彼女が笑ってくれたら、僕も嬉しい。

 僕も……早く、彼女と暮らしたい。

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【21.初心に還る日】
https://note.com/mokkei4486/n/n7baaa3bc71f2

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