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小説 「僕と彼らの裏話」 23

23.念願は叶うも

 食事会の当日。約束の店に僕と宮ちゃんが入店すると、既に先生が席に着いてメニューを眺めていた。著名かつ多忙な 実業家や大学教授が着るような、シンプルだが高級感溢れる濃紺のポロシャツと、適度に体型を隠しつつもスタイリッシュなブラックジーンズ姿である。ユニセックスと思しきスニーカーと腕時計も、かっこいい。このまま、舞台上でマイクを持って講演しても、何ら違和感は無い。(先生ご自身が それを望まないことは知っている。)

 先生は「やあ」と軽く手を挙げて迎えてくれてから、立ち上がり、改めてお辞儀をしてくれた。宮ちゃんは、いたく感動して先生に握手を求め、先生は悠然と応じた。
「うわぁ……『吉岡先生はイケメンだ』って、噂には聴いてたんですけど……本当に かっこいい!」
「恐れ入ります」
彼女と先生は名刺を交換し、先生が「千秋さんとお呼びしてもいいですか?」と尋ねる。彼女は、もちろん快諾する。
 店員が椅子を一つ持ち去り、そこに宮ちゃんが陣取る。僕らも椅子に座る。
 哲朗さんが来るまでの間、僕らは吉岡作品に関する話で大いに盛り上がった。それらの編集者たる彼の到着を、待ち侘びた。

 彼は、日中に「悟くんを歯医者に連れて行く」という重大な任務を終えてから、約束の時間より少し遅れて来店した。(前回「散髪に行く」と言って別れたきりの彼は、やはり あの傷痕が『剃り込み』に見える短髪になっていた。)
 僕も先生も髪型には言及しなかったし、遅刻について詫び続ける彼を、誰も責めなかった。
「お疲れ、父やん!」
「お忙しい中、本当に ありがとうございます」
「いえいえ、とんでもないです……」
彼も、宮ちゃんと名刺を交換する。
「吉岡先生の、絵本は ほぼ全て……岩下さんが担当されたんでしょう?」
「あ、はい……」
「あの、差し支えなければ、他にはどのような作品を……」
問われた彼が、作家名やシリーズ名を挙げるたび、彼女は興奮気味に歓声をあげた。
「凄い!!凄いね、稔!この2人が並んでるって、本当に凄いことだよ……!!」
「凄いよ?」
僕が わざと威張ってみせると、向かい側のお二人は朗らかに笑った。
 何事も無かったかのように、彼らが再び揃い、彼女との引合わせが叶ったことが、僕も嬉しい。


 和食のコース料理が淡々と運ばれてきて、全員が、何一つ残さず平らげていく。そして、その間は料理のことよりも文学作品や絵本、印刷に関する話題で盛り上がった。僕を除く3人は【日本語】のプロである。話は尽きない。
 コースの終盤で、釜に入った炊き込みごはんが出てきて、僕が全員分を茶碗に よそった。哲朗さんの分だけは「山盛り」にしたけれど、おそらく これでは足りない。
 先生が、ご自宅での食事の時と変わらない調子で、哲朗さんに尋ねる。
「ところで岩くん、総務はどう?慣れた?」
「あ、はい、おかげさまで……。僭越ながら、数年前に新設された『パワハラ相談窓口』の新しい主任に、私が選ばれたのですが…………率直に申し上げて『とても暇』です。今のところ、相談件数はゼロです……」
「そこが『暇』って、最高じゃないか!」
先生の評価に、僕と宮ちゃんも同意する。
「……単純に、私が疎まれているだけかもしれません」
「まぁ……“社長の甥っ子“にパワハラの告発をするって……ちょっと勇気が要るよね」
 僕の見解としては、社長との関係性よりも、彼が「営業部長と同居していること」が、社員としては「非常に怖い」状況であるはずだ。特に、営業部所属の人材としては……。
「あまりにも『暇』なので、毎日 校正の手伝いばかりしております……」
「良かったじゃないか」
「『主任』など、名ばかりです。新卒の頃の『シュレッダー係』と、大差ないのです……」
謙虚な物言いとは裏腹に、校正作業が好きな彼は満足げだ。
 釜に残っていた ごはんは、全て彼のものになった。


 食事会は和やかに進み、無事に終わった。
 店を出てから、宮ちゃんは哲朗さんとも握手をして、彼の担当作品の一部を挙げてから「読みます!」と宣言した。彼は、涼やかに「恐れ入ります」と応じた。

 先生と哲朗さんは、同じ電車に乗って帰っていった。

 ホテルの客室に戻ってからも、宮ちゃんは興奮冷めやらぬ様子で、ずっとスマートフォンで吉岡先生の作品について調べたり、哲朗さんの勤務先のホームページを見たりしている。
「凄いね!!私、今日……人生変わった気がする!!」
「そう?」
「すごく楽しかったよ!!ありがとう!!」
僕は「へへへ」と笑ってみせてから「こっちに住めば、いつでも会えるっしょや」と応じた。
 彼女は「まぁねー」と笑った後、少し冷静さを取り戻したような声で言った。
「先生の旦那さんが、来られなくて残念だけど……」
彼のことは「出張で岩手に居る」とだけ伝えてある。持病や腕のことは、何も話していない。
「テレビ電話とか、出来るか訊いてみようか?」
「そんな、急がなくていいよ!」
「一応、LINEしとくよ」
「いいってば!」
そうは言われたけれど、僕は彼にLINEを送っておいた。

 一人で風呂に入り、ちゃんと服を着てから、彼女が居る空間に戻った。
 彼女は、ベッドの上に座ってスマートフォンを見ながら、いかにも楽しそうに、独り言を言いつつ笑っている。
「何かの動画?」
「そだよー」
彼女は、YouTube鑑賞が とても好きである。(彼女自身も、中高生向けに古典と漢文の解説動画を投稿している。)
 今、観ているのは、お笑い芸人が投稿した動画のようだ。ツボにハマったようで、泣くほど笑っている。

 僕のスマートフォンが鳴る。吉岡先生からのLINEだ。
 今日の食事会に関する礼や感想の後に、何やら不穏な通達があった。
【申し訳ないけれども、急遽、私も明日から岩手に行くことになった。戻りが、いつになるかは分からない。】
 なんだか、嫌な予感がする。
 僕は反射的に、些か不躾な質問文を返した。
【悠介さんの身に、何か ありましたか?】
瞬時に既読が付いて、すぐに返信が来る。
【再び大量に鼻血を噴いて、今度こそ入院したらしい。そのことで、私は弟から呼び出しを喰らった。】
検査入院だろうか……。無理もない気がする。
【わかりました。道中お気をつけください。ご連絡お待ちしております。】

 僕は、つい先ほど悠介さんへ送ったLINEを取消した。

 何も知らない宮ちゃんは、ずっと動画を観て笑い転げている。
 僕は、何も言わない。

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【24.狂気の沙汰】
https://note.com/mokkei4486/n/nc908001ccf70

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