見出し画像

龍の背に乗れる場所 15

 何であれ、感じる事は重要だ。

 感じないよりは感じる方が良い。でもだからと言って、感じるだけでは、どうしようもない事があるのも事実である。

 ・

 朝から三本目の缶ビールを空けた時、ボンッ! とも、ドゥン! ともつかない爆音が響き、次いで窓ガラスがカタカタとなり、この安アパートを小さな揺れが襲った。

 地震に違いないと思ったが、元々この辺りは地震が少なく、こんな時にどうするべきなのかという知識が無かった。

 しかし、何だか他人事のように『そのうち何とかなるのでは』と考えていた。

 無意識に体勢が崩れていたので座り直し、四本目の缶ビールのプルタブを開けた。

 揺れは一瞬だったようで、それから数十分が経過しても、新たな揺れは来なかった。

 この所、ある種の感情が欠落している様で、何に対しても興味を持てなくなっていた。何に対しても感嘆したり、心を揺さぶられたりする事が無くなり、心も身体も事実上の不感症になり下がっている。

 時計を見ると、正午にはまだ一時間程あり、昼飯時まで呑みながら過ごす事にした。

 ・

 私の一部である偏頭痛を抱えながら、昼飯を買いに商店街へ行った帰りにタクミと出会った。

 家の塀伝いに恐々歩くその姿は、他人を寄せ付けない、何か鬼気迫る雰囲気だった。今日は両目の辺りに包帯こそ巻かれていなかったが、ジャージは上下共裏返しだったし、寝癖も酷かったし、無精髭もチラホラ目立ったし、何よりその足元は裸足だった。

 盲ではあるが、クール系で、身嗜みに気を使うタイプだと思っていたが、そうでは無いのかも知れない。

「タクミ、一人で出歩いて平気なの? 送っていこうか?」私は偽善を含んだ親切心からそう言った。

「電話が……電話が掛かってきたんだ、病院から……!」

「ふぅん。誰か死んだ?」私は軽い冗談で聞いたつもりだったが、タクミにその冗談は通じなかった様だ。

「死んだ? いや、分からない。いや、死んでいない。絶対に、ミキは、死んだりしない! 僕は病院に行かなければ……、いけないんだ!」

「タクミ、落ち着いて。茶化して悪かったよ。病院行くんでしょ? どこの病院? 私が一緒に行くよ」

「……、××病院、解る? お願いだ、僕をそこまで連れて行って欲しい。……何だか怒鳴ってしまって……、ゴメン」

 ・

 その病院は、徒歩で行くには厳しい距離だったのでタクシーを呼んだ。

 聞いたところ、ミキが職場で大怪我を負い、運ばれた病院から電話が掛かってきたらしい。詳しい事は分からないが、職場が爆発したとか。

 職場が爆発ってどう言う事だろう。爆発する職場なんて聞いたことが無い。飛び出す絵本みたいな物か。昼前に聞いたあの音は、地震ではなくて、もしかしたら、その爆発音だったのだろうか。

 それなら、ミキかタクミの親御さんにも連絡が行っているので、一緒に向かっても良さそうな話だが、生憎、彼らの両親達は夏の休暇を利用して旅行に出ているらしかった。

 それにしても、ミキが大怪我だなんて。

 中学時代は天真爛漫で純真、バカでよく虐められていたが、不思議と怪我らしい怪我はしていないイメージがあった。何があっても笑っていて、人懐っこく私に近づいてきて、よくダンゴムシをプレゼントしてくれた。

そのダンゴムシは、ミキが立ち去って直ぐに捨てたけれど、何だかその気持ちが嬉しかった。

 中学を出てからは、職業訓練学校に通って技術を学び、確か近場の唐揚げ屋で働いていた筈だ。

「僕は駄目な奴なんだ。見る事が出来ない。感じる事しか出来ない。でも、それでもミキが居るから毎日が楽しいんだ。ミキが居るから、僕は国から支給された僅かばかりの金と、少しの内職でしか収入の無い自分を呪わずに済んでいるのに。なのにもしミキに何かあったら、僕は……。ミキが大怪我を負ったのに、一人で病院にも辿り着けない。病院に辿り着いたとしても、ミキの容態を見る事も出来ない……。感じるだけじゃ駄目なんだ。感じるだけじゃ『感じられない』んだ。見えない僕じゃ、やっぱり駄目なんだ!」

 タクシーの車内でタクミの独白を聞いたのだが、私にはどう言って良いのか分からなかった。どんな感情も浮かんで来なかったからだ。

 タクミは病院に着くまで、ずっとそんな調子で、恨み言だか懺悔だか分からない事を言い続けていた。

 ・

 結果から言うと、やはり昼前の爆発はミキの勤める唐揚げ屋だった。

 プロパンだか何だかのガスに火の気が引火して、大爆発を起こし、従業員六名中、五名が病院に運ばれてから間もなく死亡が確認され、一人の男性が全身大火傷で意識不明の重体だった。

 通常、爆発しないように出来ているガスタンクが、不良品だったのではないかと、そんな話をチラッと聞いた。

 唐揚げ屋で唐揚げになったなんて、笑い話にしても精度が低い。

 嘆き悲しむタクミの想いは、周囲の人達と共鳴し、その場に悲しみの渦が幾つも乱立している。その事は理解できた。

 しかし私は、その想いの渦に、少しも共鳴出来ていなかった……。