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龍の背に乗れる場所 13

 知りたくない情報は、直ぐ耳に入る。

 逆に知りたい情報は、何時になっても何の先触れも無い。心の歯車を狂わせるのは、決まって知りたくない情報だ。

 気分が高揚し、全てが上手く行っていると思っていても、そんな情報一つで、心が地に沈む事は避けられない。

 それが今まで上手く行った経験が無い者なら尚更。

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 茂木の事件を知ってから数日間、私は思うように詩が書けなかった。
 元々デタラメな文学と、気の利いた流行りの台詞で誤魔化していたのだが、そんな物はもう書きたく無かった。

 楽しい事、嬉しい事、辛い事、そんな気持をしっかりと、自分の文章で書きたかった。

 こんな私にだって、友好的な仲間がいるし、好意を寄せてくれる恋人もいる。それ以上は望むべくもない。彼、彼女らが与えてくれたこの気持ちを書き残したかった。

 今の自分が納得できる作品だけをリュックに詰め込み、私は普段から店を開いている界隈へと向かった。電車の中でヒソヒソと、私の方を横目で見ながら囁く奴らに出会ったが、何時もよりは気にならない。

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 目的の駅で降り、改札を抜ける時になって茣蓙を持って来ていない事に気が付いた。私の脳みそも、そろそろ寿命なのかも知れない。

 茣蓙が無いと路上に直接、色紙を置かなければならないし、縄張りの主張もやり難い。それにたった数ミリではあっても、地べたと敷物の上とでは、気分的に違ってくる。

 私はどうしたものかと考えたが、此処まで来てしまったのだし、茣蓙無しで出店しようと目的地へと向かった。

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 目的地に露天商達はおらず、代わりに女性警察官達がウロウロしていた。また一斉取締の日に当たってしまった様だ。全く、今日はツイていない。

 しかし考え様によっては、どの道、今日は仕事が出来ないので、茣蓙の必要性も無い。それならば、嵩張る物を持ち歩かずに済んだ分だけ体力的に得をしたのでは無かろうか。

 街路とミニパトカーを往復し、怪しそうな外国人に職務質問している女性警察官の中に有吉麗子を探した。警察内部で決める配置の事は分からないし、必ず彼女が居るという保証も無かったが、居てくれれば良いな、と何故だか思った。

 見る限り、有吉麗子の姿は無かった。今日に限っては何も疚しい事が無いので、一人の女性警察官に近づいて行った。

「えーと、有吉さん、今日は居ないんですか?」

「有吉さん? 有吉麗子の事?」

「はい」

「貴女、有吉麗子の知り合いか何かなの?」

「まあ、そうですね。名刺も貰いましたし」

「ふーん、まあ良いわ。有吉麗子なら辞めたわよ」

「え?」

「辞めたの。辞めたって言うかクビになったの。妻子持ちの上司との浮気がバレてクビよ。くだらない」

「知らなかった……」

「そりゃそうよ、ただの知り合いなんかに教える訳無いじゃない。絶対にね。あの女はね、そういう所があるの。男の前でだけ良い女ぶるのよ。ホント、居なくなって清々するわ。それにあの女、補導した若い男にも色目使ってたらしいわよ」

 ……、知らないままの方が良かった。

 ただの知り合い。

 そうかも知れない。いや、実際にそうなのだろう。たかだか一度遊んだだけだ。有吉麗子にとっては、何て事もない日常の、直ぐに整理してファイルの最下層に収めるような、そんな出来事の一つ。

 私は、でも、触れてしまった。有吉麗子は、薄汚い格好の私を気にかけてくれた。私の話を、嫌な顔は確かにしていたかも知れないが、聞いてくれた。私の誘いにも応じてくれた。

 電話してみようか……。『仕事辞めたんだって?』『浮気バレたの?』

 名前も知らず、親しくもない、こんなオバサンから聞いた情報に対して私が答えを求めても良いのか?

 こんなに分かり易く、有吉麗子を嫌っているようなオバサンの言葉で構築された情報は、私にも有吉麗子にも意味が無いのではないのか?

 私と有吉麗子は、ただの知り合いなんかじゃない。始まったばかりだけれど、きっと徐々に打ち解け合える、そんな関係の過程にいる筈だ。

 他人の言葉なんて要らない。

 ぐだぐだと有る事無い事を、取り留めもなく喋り続ける女性警察官に背を向け、私は歩き出した。

 携帯電話を取り出し、有吉麗子の番号をタップする。

『プッ、プッ、プッ……』

 あの時、彼女がしてくれたように、私だって彼女の相談相手ぐらいにはなれる筈だ。

『お掛けになった番号は、現在使用さ――』