天使(エンジェル)は、たゆたう
ジムの人生に良い時なんて無かった。
ジムが5歳の時、母は男と逃げ、以後、酒に溺れた父から暴力を受けた。
体格が良かったジムは、ギャングのリーダーとなり、あらゆる悪事に手を染めた。その人生も30年で終わる。
この国、アメリカでは、死刑囚は最期の晩餐に好きなメニューをリクエスト出来る。ジムは好物の川魚のソテーを頼んだ。
黙々と頬張っていると口の中に異物が当たった。掌に出すと、それは大きな赤い石が付いた古めかしい指輪だった。魚が飲み込んでいたのだろう。台座は錆びているが石は高そうだ。
だが、もう自分には必要ないな、と思い、ジムは石を摘まんだ。台座が回った。
顔を上げると、そこは刑務所ではなく、かつてギャングがたむろしてたガレージだった。ソファで仲間が寛いでいる。ジムが逮捕される前の、いつもの光景だ。
なんだこれは? どうなってるんだ? あれは夢だったのか?
あっけに取られるジムの左手の中に、指輪があった。ジムは恐る恐る、再び台座を回した。
今度はバスルームに居た。鏡に映った身体は、明らかにタトゥーが少ない。
ジムは時間が戻っている事を確信した。夢なら覚めないでくれ、と、心から願った。これなら人生をやり直せると。
喜んだのも束の間、この指輪で時間を急に遡(さかのぼ)れるが急に進むことは出来ないことがわかった。そしてどんなに遡っても、身を寄せた環境がいつも荒み切っていた為、ジムは犯罪からは逃れられなかった。
良い時なんか無かった。そう思いながら、台座を回した。
「ははは、ジム、元気にしてたか!?」
若い父が5歳のジムを膝に乗せた。
「ジムったら、あなたが出張の間『パパはいつ帰ってくるの?』ってずっと聞いていたのよ」
母だ。そういえばこんな顔だった。こんな優しい団欒もあったのだ。どうして忘れていたんだろう。
「そうか! ジム、パパと会えて嬉しいか?」
「う~ん。嬉しいって言うよりさ~。おじさんが来たら、ぼく家から追い出されるんだもん」
ふたりの顔が引きつった。
思い出した。これが全ての発端だったのだ。
ジムは台座を思い切り回した。
温かい……気持ちがいい……
羊水に浮かぶジムは、指輪を強く握りしめていた。
再び産まれ落ちた時、『過去の未来』を忘れないために。
〈終〉
写真:フリー素材ぱくたそ(pakutaso.com)
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