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震災の時、家にいなかった話

その瞬間、最ものんきな日本人の一人だった。

2011年3月11日は、今も忘れられない思いをした方が多くいらっしゃると思います。後に東日本大震災と呼ばれる大きな地震があった日ですね。

もけおが住んでいる地域は、大きな被害のなかった地域なのですが、揺れが起こった時には、きっと皆さんと同じく、仕事も生活もすべて止めて、何が起こったのか、不安になっていたんだと思います。

ところが、僕はのんきに仕事していました。いや、イベント現場である意味必死に仕事をしていました。

地域のプロモーションでイベント出展のお仕事を受けていた僕は、その時マレーシアのクアラルンプールにおりました。

地震の第一報。

僕が受けていたお仕事というのは、海外旅行の展示会への出展のお仕事。少しだけ具体的に書くと開催国(今回の場合はマレーシア)の皆さんに海外旅行を販売したり、行先になる旅行先が『うちの所に旅行に来てくださーい』というアピールをするといったイベントです。

そこには日本パビリオン(日本の自治体のブースが集合しているエリア)がありまして、そこで担当エリア分のブースを運営するお仕事でした。クライアントは担当エリアの自治体関係者や観光関係の事業を営む方たちで、3人ほどの社長さんをお連れして会場の説明や来場者への配布物のチェックなどをしてました。

「…日本、地震みたいだね」

海外でのプロモーションは人が少ないので、やることが盛りだくさんです。自治体の観光パンフレットがパンパンに入った段ボールと格闘していた僕に社長さんの一人が言いました。日本は地震が多い国ですし、この時はそれほど大きなことになるとは全く思わなかったもけおは「被害がないといいですね…」とだけ答えて仕事に戻りました。

各ブースでは準備が佳境であと1時間以内に準備を終えないと、会場を追い出される時間でした。

各プロモーション参加者様へ
日本で大きな地震がありました。
「主催者」および東北地域の担当については本プロモーションには参加しません。それ以外の地域のプロモーションへの参加については自己判断でお願いいたします。

ジャパンパビリオンに張り出された一枚のA4用紙に、そんな内容が張り出されていました。

とにかく、帰国の手配を。

この内容と各種のニュースで事態がわかってきました。
お連れしていた社長さん達はそれぞれに複数のエリアに店舗や施設を営んでいらっしゃる方たち。
今、この場所にいるのだって、それぞれのビジネスのためのトップセールスにいらっしゃっているわけです。僕は航空会社に電話し、飛行機の運行状況を確認しました…が、結論として空港で対応してみないとわからないという状況でした。日本にいる仲間にLINEで連絡を取ります。
プロモーション期間中の運営費用として持っていた現金を二つに分け、二人の通訳に渡し、タクシーを準備するように伝えます。
社長さんたちに状況を説明、日本にお戻りになる意思を確認し、多少費用は掛かるかもしれないが、今すぐ動き出さないと帰国が大幅にずれ込む可能性についてお話しします。

ご希望であれば2名いる通訳が帰国をサポートできること。
社長さんたちは日系の航空会社で渡航されていたので、サポートが受けやすいこと。最短なら3時間後初の飛行機で日本のどこかには帰れること
地震の被害が報道通りであれば、ここから日本に帰る事が難しくなる可能性があること。

社長さんたちは、僕よりも危機感があった様子で、すぐに理解いただけた様子でした。
通訳が用意した2台のタクシーに分かれて乗り込んだ社長さん達を見送り、僕は広いブースで一人作業をします。

3時間ほどで、すべての社長さん達が日本への帰路に就くことができた連絡が入りました。通訳の人たちとは明日会場で会う約束をして僕もホテルへ戻ります。

報道の質と量。

この時、僕はいろいろとミスをしています。会場のクローズ時間ぎりぎりまで作業をしていたこと、スマホの充電器を会場に忘れてホテルに向かってしまった事、ホテルに戻る為のタクシー代の現金まで通訳にわたしていた事です。

汗だく、スマホの充電器がない状態でホテルに戻ると、ベットに倒れこみました。
新聞にはとにかく「日本がやばい」とだけ書いてありました。何の風景か全くわからない解像度の全く足りない津波の写真が新聞の一面を飾っていましたのがおどろおどろしく見えました。

テレビをつけると福島の1分にも満たない映像が何度も何度も繰り返し写しだされていました。

圧倒的に情報がたりないなぁ。いったい何がどうなっているんだろう。もうちょっと英語できたらよかったのに。

そんなことを思いながら、その日は寝る努力をしながら、充電が切れたスマホを恨めしく思っていたのを覚えています。

プロモーション中に届いたこと

次の日、会場に出勤した僕はプロモーションを予定通り実施することにしました。クライアントへの問い合わせは返答がなく、現場においては現地で雇ったスタッフがいました。この人たちをキャンセルするわけにもいかない。
勝手な判断で契約不履行といわれても困る…そんな風に考えたのだと思います。

日本の状況などお構いなしに、この年のイベントは大盛況でした。
日本のブースには訪れる方の多くは「日本大丈夫なの?」とパンフレットを配布する僕に声をかけてくれます。
驚くほど多くの方に声をかけていただき、プロモーション自体はおおむね問題なく終了しました。

そんな中、1本の連絡が入りました。


駆け付けられない。

連絡の内容は友人の訃報でした。
友人のアカウントから送られてきたその内容は奥方が書いたものでしょう。
以前から体調を悪くしていた事。
僕には言うなと言われていた事。
自分に価値観が似ていると思っていた事。
是非、会いに来てほしいと書いてありました。

通話ボタンを押してみるとすぐにつながり、奥方とお話しすることができました。自分の状況をお話しし、帰国後必ず伺う約束をして通話を終えると、なんとも言えない気持ちになりました。

にぎやかな会場の裏側で大変暑い日の昼間でした。裏通りに面しているそこはお世辞にも都会らしいきれいなところではなく、どこから出てきたのかわからないコンクリートの塊がゴロゴロと置いてありました。その内の一つに腰掛け、なんとなく少し呆けていたら少しだけ泣けました。

肌の色からインド系の方でしょう。呆けている僕に話しかけられました。
多分、ひどい顔をしていたんで心配してくれたんだと思います。
日本人か?家族や友人は平気か?君は大丈夫か?
いくつか問答をした後、軽く僕の方に手を置きしばらくすると去っていきました。

備えなきゃいけない。

誰もが思っていることだと思いますが、この時起きた災害だったり、今のコロナだったり、ウクライナ情勢だったり。想像もしていないことが次々起こるのが僕たちが生きるこの世界なのかもしれないなと、最近改めて思います。

何かが起きた時に自分の大切な人のところにすぐに駆け付けられる状態でありたい。
そして、自分の大切な人たちを守れる準備をしておきたい。
そんなことを思うきっかけになった事柄でした。


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