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ザ⭐️職業病

「教師」としての私見

地方公務員法30条(服務の地方公務員法30条(服務の根本基準)
すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。

教員は地方公務員であるため、採用試験準備の際に「全体の奉仕者」の意味について学び、採用されてからその実際の意味を知り、それに適うよう過ごすことが求められている。

学生時代は発達支援学校教員養成課程(当時は養護学校)に在籍し、色々な事情で中学校外国語科教師として採用され、現在は小学校に勤務している。私の職業観的な話🌈

様々な職業に「あるある」なそれぞれの特性が存在する。教師をしていると後天的に身に付いたり、伸ばされたりすると思われる特性を挙げてみた。

教師のあるある【長所/弱点】

①世話好き / ❶お節介
②バランス力/ ❷気を遣い過ぎる
③公平さ  / ❸八方美人的に見える
④責任感  / ❹相手にもそれを求めてしまう
❹自分の責任に感じ自分を責めてしまう
(➍については2タイプあるように思います)

1)職業キャラを実生活に引きずりがち

自分の子供の地域や学校の役員になると仕事スイッチONになってしまう。
子供会お別れ遠足に小型拡声器📢を持参したり、卒業式で役員用前方の座席に座ろうものなら我が子だけでなく全員分の写真を撮影し、後で学年保護者LINEに送ってしまうなどの傾向がある💦(写真担当な気分になるのです)
私だけではないらしく、同業ママ友に話を聞くと、つい任されたり、自主的に動いたりしている「あるあるな話」を耳にする。

2)私が考える教師の役割

自己肯定感や自己有用感を育む
「令和の日本型学校教育」で求められているのは「知識の習得」より「自己肯定感」や「自己有用感」を上げること

私が日頃心掛けていることは、自分のクラスの児童を中心に、それぞれの良さがさりげなく注目されるように、ちょうど良い光の明るさとあたたかさで照らしていくことである。

それは、学習の場だったり、生活の場面だったり、様々な行事や活動の中で、適時性を大切に慎重に照らす。照らすということは、褒めるということに似ているが、人前で褒めようものなら逆効果になる場合もある。タイミング良く声を掛けたり、その子に合った役割を作り活躍の場を広げたりしながら慎重に照らすことで、「自信」や「集団の中での居心地の良さ」につながっていく。

「褒める」という外発的な動機づけが効果的な場合もあるが、本人の「内発的な価値づけ」を促すきっかけにつなげることが大切である。

学校は単に勉強する場所ではなく、生活や対人関係、挑戦や挫折などその後の人生に役立って欲しい何かを実践する場所なのだ。
もちろん、学校に行かない選択をして身に付ける場合だってある。

②「正しさ」だけでない大切なものを育てる
学校では、「自主・自立」「公正・公平」「順番や約束を守るなどの秩序感」「思いやり・協力」など規範意識や道徳性も育んでいるわけだが、いざ社会人になるとそうした好ましい価値観ばかりではない世界に身を置く場合がある。

<元会社員だった同僚の話>
営業職だったため、競い合って売り上げを伸ばしたり、利益を追求する上司からは、日々売り上げについてきつく問われたり、厳しい状況もあったようだ。時には人間関係に悩んだり、身を守るために実際とは異なる報告をする状況もあったらしい。これまで大切にしてきた「協力」「正直」「親切」は美徳といった「価値観」の通じない生活が自分に合わなかったので教員の資格を通信で取得し採用試験を受けて教師になったのだという。

世間は学校の中とは異なり、社会への貢献と共に様々な状況のもと利益を生み出さねばならない厳しい場所である。いずれそうした社会に巣立っていくことも想定し、学校でも様々な場面に「対応する力」や「人間関係づくりのコツ」も育てていきたい。様々な個性をもつ子供たちの多様性を生かし、多少の摩擦を起こしながらも、解決に向けて自ら交渉に動いたり、誤解を解くために対話をしたり、時には教師がサポートをしながら、その摩擦を乗り越えて「距離感を保って関係を調整していく力」を育むことが大切だと感じている。

③「授業」を通して学習面を育てる
学校生活で一番長い時間は「授業」である。「授業」が楽しくなるように工夫するのは教師の仕事であり楽しみでもある。

現行の指導要領で文部科学省は教師に「授業改善」を、児童・生徒には「学びを調整すること」を求めている。児童・生徒が主体的に学ぶことができるように単元や授業を構成する必要があり、日々、教材研究に励んでいる。
勤務校では、算数の授業を「タブレットPCをノート代わりに使いながら児童の司会」で進めている。教師はファシリテーター役に務め、学びが主体的・対話的で深まるよう支援している。


3)「調和を目指す」教師という職業

自分の子供が高校2年生となり、いよいよ進路について考えなくてはならない時期となった。長女は、自分のなりたい職業を見付けることができたのだが・・・・・・。それは、近い将来なくなってしまうであろう職業だった。

会社員の夫が長女に語った言葉>
自分は、人と競争するのが苦手だったから今の仕事は向いていなかったのかもしれない。自分の手柄を実際以上にアピールしたり、人を蹴落としたりして上に昇るか、または圧倒的な人格者でないと認められない雰囲気がある。そういうことに抵抗ないなら、そのなりたい仕事を目指して自分の力を試してみたらいい。でも、タイプ的に競い合うようことが好きなようには見えないから、じっくり考えて欲しい

日頃、夫も私も仕事の愚痴を家で話さないため、そんな苦労があったのかと、結婚25年目にして知った。ちなみに圧倒的人格者の夫の同期は、異例の速さで昇進し、経営が難しい遠くの県で単身支店長を頑張っているらしい。

教師の仕事は、場合によって子供同士や、保護者間に入って関係を調整し、調和を目指す職業だと言える。

さて、しばらくして長女が選んだ進路は「中学校教員(外国語)」の免許が取れる学部だった。まだ変更する可能性はあるので、自主性を大切に見守りたいと思う。(私が最初にした職種と同じ)
いつか「こんなに大変な仕事だなんてお母さんから聞いてなかった」と言われないといいけど💦

近年は、教師も管理職から数値評価を受ける時代となった。成果を出すために数値目標も重視されている。
また行事や部活動では競い合い、良い成績を追求する場合もある。だがそれは、成果主義という側面よりも「努力が成果となり達成感を味わうこと」や、「努力が成果に結びつかず苦い経験を味わうこと」といった教育的目的があるのだと思う。

「職業病」とは、その職業を極めようとしていく過程で自然に身についてしまう「何か」なのだと思う。「教師」の職業病をひと言で表すなら目の前にいる子供たちがより良い人生を送って欲しいと願う「お節介」なのだろう。だから「お節介」じゃないと務まらない仕事でもあり、年々、自分の中の「お節介」な部分が引き出されていく仕事でもある。