見出し画像

【小説】「君と見た海は」第三話「進路」

五木田洋平さんの音楽をリンクさせて頂いています。よろしければ音楽を再生しながらお読み頂けたら幸いです。

【第三話】「進路」

 秋祭りで食べたりんご飴は、甘くてしょっぱくって、涙の味がした。彼が地元の手筒花火の揚げ手になりたいと思っていること、水産高校を志望して寮生活になることなど、どれもこれまでに聞いたことがなかった。「私は翔太のことをなんにも知らなかったのだ」
 一番身近な存在だと思っていたのに、目の前にいる翔太が、突然遠ざかっていくような気持ちがした。「翔太は一人で大人になろうとしている」そう思うと心に冷たい風が吹き込んできた。

「ねえ、仁海ひとみちゃん、そろそろ家に帰ろっか?」
「うん、秋祭り最後の打ち上げ花火も終わったし」
 足下を見ると、草履の鼻緒に接していた親指と人差し指の間から血が滲んでいた。痛いのをずっと我慢して歩いていたからだろう。
「翔太くん、うち、もう歩けない」
 翔太はその場に腰をかがめて私の足先を見ながら言った。
「この傷はひどいよ。仁海ちゃん」
 そう言うと翔太は私に背を向けて立て膝をついた。
「どうぞ」
 翔太は、自分の背中に乗るよう促した。私は浴衣を着ていたので戸惑いながらも、その申し出をありがたく受けることにした。もう、一歩も歩けない気がしたのだ。

「翔太くん、うち重くないかな?」
 翔太の背中に顔を埋めながら聞いた。
「全然、平気!重くないよ」
 とても居心地のいいこの場所は、小さい頃からよく世話になっている。翔太の背中は、私が哀しい気持ちでいる時の特等席だった。でも、久しぶりに翔太の背中に身を預けると、いつの間にか広くなっている肩幅が愛しく思えた。そして浜の香りに混じって、翔太の汗の臭いがした。突然に翔太を男性として意識してしまいそうだった。翔太の背中と接していることが恥ずかしくなり、顔だけじゃなくて体まで熱くなった。
「翔太くん、一人で大人にならないでね。私も連れて行って」
「うーん。どういう意味で言ってるの? 仁海ちゃん、寮には一緒に行けないけど、できるだけこっちに帰ってくるから」
 翔太が私を気遣っている。優しさで余計に辛くなる。心細い気持ちが再燃して涙が止まらなくなった。翔太の背中を私の哀しみで濡らしてしまった。そうして泣きながら眠っていたらしく、気付いたら自宅に到着していた。

「翔太くん、ひとちゃんはもう中学三年生なのに、また背負って来てくれたの? すまないわねぇ。ありがとう」
 母の声で目が覚めた。私は慌てて、翔太の背中から降りた。
「ありがとう」
 私は、そう言うのが精一杯だった。


 翌週から私たちは、学校帰りに図書館に寄って受験勉強をするようになった。今でも心に残っているのは、その帰りにクリスマスイルミネーションを二人で見たこと。
 その年の紅葉の季節は夏日のような温かい日を繰り返しながら、冬は突然にやってきた。指先がかじかんでしまうような寒い日が続いた十二月の或る日、雪が降っていたことを覚えている。

「仁海ちゃん、ほうら見て。雪が降ってきた」
「ねえ、雪の結晶見える?」
 私は指先に乗せた小さな雪の粒をツリーの光にかざして見せた。
「ツリーの色はね海の色にしてあるんだって」
「うん。海の色とおんなじだ」
 ツリーを見上げた私の瞳に映ったのは紺碧色に光る優しい光だった。海の色は、日によって少しずつ違うけれど、空の色のように明るい青ではない。海の色は、海の底を感じさせる暗さを伴っている。ツリーのライトは海底の暗さまで表しているようだった。
「僕はね、この街が好きなんだ。だから、手筒花火もやってみたいし、漁業にも興味があってね」
 イルミネーションの紺碧色のライトに照らされた翔太の顔は、少し大人びて見えた。
「僕は将来、漁師になりたいんだ」
「翔太くんって、すごい! もう将来のことそんなにはっきりと考えているのね。うち、まだ何になりたいのかも分からない」
 視線を足下に落とした私を、翔太の腕が包んだ。私は、翔太の胸に顔を埋めた。
「ねえ、仁海ちゃん。何になったっていいんだよ。僕は、どんな仕事をしてたとしても仁海ちゃんとずっと一緒にいたいと思う」
 私は何も期待されていない。でも、それが心地良かった。全てを肯定されていることに等しいのだから。
「ありがとう」
 私が見上げると、守るべき者を慈しんでいるかのような表情の翔太と目が合った。そのまま、私たちはキスをした。幼馴染みの私たちは、親愛にも似た穏やかな感情を育んでいた。

 それから、翔太と一緒に過ごす残りの三ヶ月間は瞬く間に過ぎて行った。私たちは、それぞれの進路が決まり、翔太は希望通り車で二時間かかる水産高校へ進学が決まった。私も志望校だった地元のN高校英数科に進学することになった。
「仁海ちゃん、僕の学校、電車だとね車よりも速くって一時間くらいで帰って来れるんだ」
「翔太くんが帰って来るの待ってるから。でもね、LINEの返信はして欲しいな」
「うん、了解」
 翔太からの返信は、いつも忘れた頃に届くそっけないものだった。だから私は、遠距離恋愛を続けることができるのかどうか自信がなかった。


 とうとう四月の初日、翔太が引っ越しをする日がやってきた。私は彼の自宅まで見送りに行った。父親の運転で向こうの下宿先に向かうのだという。
 私は、翔太とお別れの握手をした。繋いだ手を離してしまったら、もう元には戻れないような気がした。

 車を見送る私は、これまでにないくらいの淋しさの中にいた。でも涙は出なかった。この日までに涙は枯れ果ていたのだから・・・・・・。



この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切: