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恋愛迷子な私のこと。【第5話】

深夜23時47分。東京。

今日も私は、”恋愛迷子”─────


第5話
私は一人で歩けるのに。


ドアが開く。
恭しく一礼した新郎がバージンロードを照れながら歩いて聖壇前で立ち止まる。
再びドアが開く。
今度は、純白のドレスに身を包んだ新婦と父親が現れる。
父親と、その腕を軽くつかんだ新婦が、一歩一歩踏みしめるようにバージンロードを歩く。
聖壇前にたどり着くと、父親は新婦の手をとり、新郎の手に重ねるようにして渡す───

『なんで男の人だけ、1人で入場するんだろうね。』

そんなことをつぶやいた友人の言葉に妙に共感した。

─────────────────

久しぶりに会った幼稚園時代からの友人A子との飲みの席。
近況報告を早々に終わらせ、お互いの恋愛話に花が咲いた。

A子は大学生時代から付き合っている恋人がいる。
半年ほど前から同棲を開始したものの、A子は彼とこのまま付き合っていくことに疑問を抱いている。

価値観の違いや生活リズムにずれを感じているようで、会えば毎回、彼とこのまま付き合っていいのか悩みを相談される。

その度に別れてしまえばいいのにと言っているが、彼に対する情なのか、年齢的に改めて恋人を探すのが手間だと考えているのか、A子はずるずると4年ほど関係を続けている。

彼のほうはA子と結婚するつもりらしく、A子の意思が固まればいつでも結婚できる、そんな状態らしい。

こんな渦中にいるA子が放ったのが、前述の言葉だった。

”なんで女の人だけ父親と歩かされるんだろうね。”
”父親と歩きたくないとかじゃなくて、男性が1人で歩くなら私も1人で歩いて良くない?”

『私を ”父親から新婦に譲る" みたいなあの流れが私は疑問なんだよね』

たしかに、それはそうだと思った。
なんで男女で入場の仕方に差があるんだろうか。

この疑問は私の中にも深く残ったままで、ふとした時に母にも相談してみた。

すると、母から返ってきたのは意外な反応だった。
「それ、お母さんも思ってたというか、経験したことあるよ」

私の母は父親を早くに亡くしたため、結婚式のときは父親が不在であった。
そのことを、打ち合わせの時にプランナーに伝えると、
『そしたら、お兄様と歩きましょうか!』
との返答だったらしい。

そこまでして新婦は誰かと歩まないとダメなの?
母もその時そう感じたらしい。

嫁ぐ、という意味合いのもと、この流れがあるのは理解できるが、

”女性は誰かに支えられて、守られて生きていく”

そんな前時代的な考えが前提にあるのであれば、それは今の時代にそぐわない考えだと思う。

私の好きな海外ドラマにも、結婚はしたいが結婚と共にキャリアが失われるのは嫌だと考えるミレニアム女子が「バージンロードは1人で歩く」と宣言するシーンがあり、かっこよくて憧れた。

女性だって1人で歩けるし、無論、誰かの所有物になった覚えなんて一度たりともない。

未婚の私がまだ見ぬ結婚式についての持論を述べるのは尚早な気もするが、自分の人生を自分で切り拓きたくて、SNSを通して文章を投稿している身としては、「誰かに守られるだけ」「誰かを支えるだけ」そんな人生はまっぴらごめんだ。

自分の足で立ち、自分の足で歩いて行ける、そんな人間でありたいし、将来の伴侶にもそんな人間であってほしいと思う。

また一つ自分の恋愛観が更新された私は、

大都会東京で、

最後の恋を求めて彷徨っている。

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