不安になると不幸になる
主人公の佐代は、容姿に恵まれていないことをずっと気にしてきたが、武史郎とつきあい始めて自信がついてきた。しかしある日、彼にはかつて婚約者があったが、反対する親を説得しているうちに愛想をつかされた、という噂をきいてしまう。その経緯を直接尋ねたいと思うものの、嫌われるのが怖くて尋ねられない。気を紛らわそうと書店に入ると、占いの雑誌が目に留まった。
占い師の元を訪れた佐代は、武史郎は婚約者への想いを断ち切るために自分を利用している、という妄想を紡ぎ出してしまう。占い行脚を始め、その思い込みを深めていく姿を見ていると、次第にいらいらしてきた。相手はそれを否定しているし、こまめに連絡をくれてるし、私とは違うでしょ、と思ったところではっとした。佐代は昔の自分と似ていたのである。妄想は確信となり、佐代はついに「武史郎さんが婚約者だった方とよりを戻せるように考えましょうよ」(同書) と言い放った。
佐代には、容姿に対する引け目だけではなく、自分は人から愛されるわけはない、という頑なな思い込みがあった。その原因は、母に否定され続けたことである。「母は、いつもそうだった。本当はなんの関心もないくせに、佐代のやることなすことに巧妙に水を差すのだ」(同書)。ここを読んだ時、これも同じだ、とため息をついた。ただ、自分の場合は母と男の人は別人種だとはなから思っていたので、母の否定が恋愛の障害になることはなかった。
しかしいわゆる適齢期(と、当時は言っていた)につきあっていた人は年が下だったため、彼が結婚を考えるような年齢になった頃には私は、と彼の未来にとらわれていた。その上、私の前につきあっていた子を知っていたので、自分もああいう風に切られるんだ、と思い込んでいた。過去にもとらわれていたのだ。そして何かあるたびに「ああ、やっぱり」と思った。長く付き合う気がないからこんなことをするんだ、と。しかし数学の証明問題と同じで、いずれ切られる、という結論を導くような条件を無意識のうちに選んでいたのではないか。
不幸な結論を導き出し、それを証明しようとした佐代に対して、相手が一生懸命誤解をとこうとしてるのになぜ気づかん!とは言えるが、なんでそんな発想になるのだ、とは言えないのである。
考えてみれば自分の気持ちを誰かに勝手に決めつけられるのは不愉快である。「あなたはこう思っているよね(私と長く付き合うつもりはないよね)」と、自分の意思と違うことを言われたら腹が立つだろう。佐代や昔の私がやっていたのはそういうことなのだ。思い上がりも甚だしい。不安という魔物にとりつかれていた、とでもいうしかない。
佐代が最後に会った占い師は、母親に愛されないから人に愛されない、という思い込みが不安の元になっているから手放すように、と言った。こういう「自信をなくすような思い込み」は、過去(他者からの不当な扱い)や未来(普通はこうなるはずだ)にとらわれることから生じる。すっと手放せるものではないのだが、持っているとろくなことにならない。自信をなくすと不安になり、不安になると不幸になる。(2020.2→2024改)
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