#6 家族との繋がり。
家族ってなんだろう。
最近、「家族」をテーマに設計課題に取り組んでいた。自分自身の事情が反映しやすそうなテーマだったので、主観的な考えに陥らないように、このテーマをロジックに捉えた。
全世帯数に対して1人世帯の割合が最も多くなった現代の背景や、多様性が少しずつ受け入れられつつある背景から、「一家に一軒家」というこれまでの価値観を揺さぶり、「家族=共有する集団」と捉え直して、個性が輝く集合住宅をプレゼンした。
課題を終えてみて、今度はまた逆に、自分自身について、「家族とは何か」考えてみたくなり、ここ最近、ずっと考えていた。
その中で、「家族」への気持ちや、家族との距離感について、モヤモヤしていることを何となく言語化できそうだったので、今日もありのままに、noteしていきたいと思います!
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私の周りには、「この人からもらった言葉は大事にしよう!」という神様のような存在が何人かいる。
そのうちの1人が、岩手県遠野市、宮守にある法華寺というお寺の和尚さんだ。
法華寺の和尚とは、祖父の古くからの付き合いで、家族みんな、親しい仲にある。私は小さい頃から、「おしょうにいさん」と呼んでいるため、本名はわからない。
背が小さくて目がくりくりしていて、チャーミングな見た目だが、会ってみると特別なオーラを放っていて、ワンピースで言う、覇王色の覇気みたいなのを持っている。人気者なので、じっくり会話出来る機会はなかなか無いが、目を見て、「大丈夫」と言われるだけで、その奥に色々な意味を感じる。
なんでか分からないけど、私はおしょうにいさんから貰った言葉を大事にしている。
「お父さんとお母さんを、よろしくな。」
小学4年生ときに、おしょうにいさんに言われた言葉がずっと心に残っている。
それを言われたのは、正月に家に来て祈祷をしてくれるときで、その年は、ちょうど家に私しかいなかった。祈祷をしてもらって、帰り際におしょうにいさんに言われた。
お父さんとお母さんに、よろしくね!
だったら分かるが、なぜ、「を」なんだろう?と小4ながらに考えた。
それでそこから、私にはきっと、何かしら父と母を支える力があって、どんな事があっても、家族の繋ぎ目となる役割があるのかなぁと受け取った。
小さい頃から両親の仲はあまり良くなく、喧嘩の絶えない日々だったが、幼いながらに、どうにか2人の間を取り持とうとしていた。
それから、両親は私が中学生の頃に離婚することになり、私は父と一緒に暮らすことなったのですが、母ともきちんとコミュニケーションを取り、家族の繋ぎ目として、自分が決めた役割を全うしてきた。
住む場所がバラバラになっても、両親が夫婦でなくなっても、私という存在がそれぞれの架け橋となって、私を介して繋がっていれば、それが私にとっての「家族」だと思っていた。
でも、最近になって、その役割を果たしきれていないことに、心が引っかかっている。
やはり、私にとって父の存在は何よりも大きく、私の考え方のベースがそこにある為、家族の中でも、心の重心が、どうしても父寄りに傾いている。
ある出来事をきっかけに、もう兄とは一切関わりたくないと思ってしまった時もあるし、最近は母からの連絡をきちんと返せていない。
父とも、母とも、兄とも、家族みんなと関わって、私が家族の繋ぎ目になろうと決めたことが、全然ちゃんと出来ていない。
もっと自分が器用で、色んなことをもっと柔軟に受け止められていればと、上手くやれない自分に落ち込み、モヤモヤしていた時期があった。
モヤモヤのピークが、11月、12月あたりで、とても悩んだり、考えすぎたり、頭の地獄に陥りかけたときもあった。
年が明けたあたりから、自然と気持ちが落ち着いてきて、あの時の自分が「こうしたい」と思ったことを、今の自分は「こうしなければならない」と決め固めてしまっていることに気づいた。
また、自分が悩んでもしょうがないことでもあると気づいた。
そして、今は自分自信の将来に心のベクトルがマックスで向いていて、今の私の心の中には、他のことを受け止めたり、家族の気持ちを想像してあげるスペースが空いてなくて、これまで出来ていたことが、「できない」ということを受け入れた。
今はまず、自分のことに一生懸命取り組もう。色々、引っかかったり心配したくなる自分もいるが、今年きちんとやり切って、思い描くような結果をきちんと出そう。
今は、そういう想いで心がいっぱいです。
よし、頑張るぞ。
色々ありますが、2月も、生き生きとがんばっていきましょう!
では。
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