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奇妙な考え事

気分の波が激しすぎる。全能感に襲われる時と不安で全く動けなくなる時の差がすごくて思考や行動に一貫性がない。私は躁鬱ではないが、気分が上がってまともに行動できる時間が少ないからこそ少し回復するだけで全てに期待してしまう。今まで感じていた不安なんてバカバカしい、今度こそ有意義に生きようと意識高い系のようなことを考えてしまう。今しかないと衝動に任せて行動する。ソワソワして仕方がない。そして期待するからこそ落差もすごく激しい。
気分が上がっている時は多少無気力になっても気合いで行動すればいいじゃんという価値観が古いおじさんみたいな事を考えてしまう。一瞬でも気分が高ぶっている時の私にとっては(私が)外に出られないなんて有り得ないのである。でも調子が悪い時に無理をすると脳がバクりそうになる。それも杞憂なのかもしれない。一回救急車乗るまでやって限界を知ればいいのかなどとも考える。だいぶ前に一度だけ乗ってはいるが。迷惑さえかからないのなら再度やってみたい。
普通に調子が悪い(鬱っぽい)のは間違いないので常時無理をしろとは思わないが、不安的な要素はある程度克服出来ると思う。

最近不眠が酷い。今日は夜21時半くらいに寝ようとして日をまたぐまでノールックスマホで我慢したが全く眠れず諦めた。毎日布団に入ってから2時間くらいは眠れず、必ず早朝に目が覚めてそこからは半分意識があるような状態である。次病院に行ったら頓服でいいから眠剤を出してもらえないか相談しようと思う。極力薬を出したがらない医者なのでダメと言われて言ったことを後悔する予感はしている。

眠れない原因はよく分からないけど、心当たりがあるとすれば特に夜に強くなる強迫観念である。引っ越す前の「鍵が気になる」はマシになったのだが、心配になる事象が違うものに移っただけで何も解決していない。今は鍵をなくしていないかと部屋の電気がついていないかを中心に不安が取り巻いている。
何度も確認するのが疲れたので色々工夫をするようになったが逆にこじれている気もする。鍵の柄を無理やり顔のパーツに見立てて記憶に落とし込もうとしたり、電気がついていないかについては「ドアが白いから部屋の中がそれより黒ければ付いていない」など、理屈で考えないと信じられない。ドアを閉めるというこだわりもあるのだが、確実に閉めたかを胸骨圧迫のようにドアを強く3回押して確認する。手の感触で思い返せるようにする。鍵は地平線で太陽に照らされた芋虫のよう。イヤホンは同じ時間に同じ場所で確認すれば影の付き方がいつも同じように見える。左右で違うので、光と影のイメージで実際の人物に擬人化することにした。左が影のmくんで右が光のnくん。

あとはトイレの後に手を洗った時に水を飛ばしていないかが気になったり、汚物をゴミ箱に入れていないんじゃないかという心配をしたり、
近視だから実は真実が見えていないのではないか、電気はついているのではないかとか(近視は物の輪郭がぼやけるだけて形や色彩は問題なく見えている)。

言語化することでやっていることを奇妙さをより強く実感した。おわり

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