もじゃハウスプロダクツ

京都の緑建築&ランドスケープデザイン事務所『もじゃハウス®プロダクツ』の中の人…

もじゃハウスプロダクツ

京都の緑建築&ランドスケープデザイン事務所『もじゃハウス®プロダクツ』の中の人による魂の日記だよ。やまなしオチなし意味なし。ぬるく見守ってちょーだい。

最近の記事

4月後半の日記

4/22 今日は朝から自宅で仕事。 出張で買った舟和の芋羊羹を朝ごはんに食べ、取材を受けた新聞社へ記事用の写真を送る。 東京で貰った宿題みたいなものが結構多いので、頭を整理するためにGoogleカレンダーの予定を卓上カレンダーに改めて書き込みながら 6月までの日程調整をする。 もちろん、漫画も描き始めなければならないのだけど、平日は仕事とバイトで、土日祝に漫画って感じで30ページぐらいを仕上げるつもり。7月中くらいにはできるといいけどなー。 私とは入れ替りで日曜に出張へ出かけ

    • 出張後半

      4/19 朝一で大手町へ。新聞の取材を受ける。 東京にそびえる「本社ビル」という建物の受付は物々しいというか、神々しいというか、不振な動きをすれば即退場させられかねんという緊張感を持ってロビーで待ち合わせし、去年の個展に来てくださった記者さんと1年ぶりの再会。 個展の際、お客さんが他に居ない時間帯だったので小一時間ぐらい建築や植物、都市の話などをして楽しかった記憶があり、今回の取材もそういう話題を軸に哲学的な話とかも出てきて楽しかった。またぜひお話しましょうと口約束して終了。

      • 出張前半

        4/17 朝京都を出て昼に鎌倉に到着。 鶴岡八幡宮の倒れたイチョウの切り株を見るのが目的。マンガのネタになるかも知れないしならないかも知れない。実際に見ると、どれぐらい幹が空洞化していたのか等が見てとれるので、やっぱり現場で本物を見るのはネット検索結果のニュース記事をたくさん見るのとは違うもんだな。百聞は一見に如かず。 あと、暑かった。もう夏です。桜の花が残っているのに夏が来てます。 夕方、都内で出版社の人と会う。 去年の個展に来て下さった日だけ私が在廊しておらず、メールと

        • 晴れるといいな

          明日から東京出張。 コロナ禍前もこうして毎年東京に行ってたなあ。営業で本屋さん回ったり、イベントやったり、人に会ってワクワクしたり、がっかりしたり。 緊急事態宣言中に家の中の自分だけの世界に引きこもって、誰にも会わずに止まったままでも許される時間はとってもとっても心地よかった。だけど、去年4年ぶりに東京に滞在して個展を開催したら、やっぱり人と関わって生きてないとダメなんだと思った。そうしないと毎日はちゃんと回っていかないし、運命も動かない。私が人間である以上、文明の中で人間ら

          Last Days

          NHKで坂本龍一さんのドキュメンタリーを見た。亡くなるまでの3年の日記や自撮りの動画などの記録。 私は映画が好きなので、映画音楽として坂本龍一さんの曲を知った。一番記憶に残っているのはラストエンペラー。好きな映画だから。 あと、母が「坂本龍一の髪型にする」と言って美容院に行く際にいつでも持っていけるように、しばらく自宅の柱に切り抜きが貼ってあったこともある。 コラムなども読んだことがあって、歳を取っても全く印象の変わらない、とても都会的で洗練された人だと思っていた。でも、亡く

          すばるを目指せ

          年度が明けて年度末雑務から解放されたので、最近は樹木医のお話しづくりに頭を使っている。 漫画を描くための脚本みたいなものを移動中や単純労働の最中に頭の中で再現→修正を繰り返す感じなのだか、樹木医という制度に則って話を組み立てようとすると、1991年に創設されたから、時系列的には1991年より前に日本の樹木医に遭遇することはあり得ないとか、90年代後半の設定で出てくるレジストは旧型のでないとおかしいとか、2004年以降なら樹木医補になるから実務経験1年でよいとか…そういう、事実

          新しい一年間

          今日やっと消費税の申告が終わった。 これで、年度末を多忙にする憎っきタスクは全て完了しので自由だーーー! 溜めに溜めた領収書、駆け込みで参加したインボイス制度と消費税納税方法の講習会、とにかく確定申告が山場だったけど、何とか乗り越えたので、今年こそはちゃんと毎月締めで帳簿つけようと固く誓った。 そして、新しい年度の始まりはちょっとわくわくしたりする。いつも前年とは違うことをやってみようと思うので、毎年、今ぐらいの時期に何ができるか、どんなチャレンジをするかをノートに書き出して

          とりとめなくクロッキー

          去年からクロッキーを継続してやるようになった。いや、やるようにと言うか、やらねばならんので無理やり続けてると言うのが正しいし、2ヶ月やってないとかそんなペースだから全然ストイックでもないのだけども、今年は樹木医の漫画を描こうと思っていて、そのための修行としてやっている。 というのも、2年前に初めて漫画を描いた時、人間が全く描けなかった。いやいや、腐っても美大にデッサン入試で入った私が全く描けないとかそんな…と、自分が描いたバランスの悪い人もどきを前にショックを受けた。でも、よ

          とりとめなくクロッキー

          カラオケ行こ!に行こ!

          私の周りで話題の映画『カラオケ行こ!』をついに観てきた。 私は和山やま先生が好きなので、原作漫画も先日読んだばかりなのだか、原作をまだ知らなかった時期にネットで流れてきた映画の予告の監督:山下敦弘という文字を観て「これは!」と思ってたので、どのルートをたどって転生しても必ず観る運命にあったと確信している。 ちなみに、和山やま先生の漫画のテンポや世界観って唯一無二のユーモアセンスだし、山下監督に期待してるとは言え、原作を知っていると「あー、何か違うー」となる確率が高い気がして

          カラオケ行こ!に行こ!

          なりたい自分なんて蜃気楼

          今日は電車移動中に生成AIの記事や投稿をチラッと読む。私は絵を描く人なので割りと否定派。無許可で著作物を取り込んだデータベースを使うことが前提になってる時点でかなり嫌。そもそも絵を描くって、全然簡単な事ではないし、絵の中には描き手の積み上げてきた努力やセンスや色々なものが詰まっているのに、そういう価値を無にするようなツールであるのがめっちゃ嫌。 でも、絵が描けない人にとってはなりたい自分になれる夢のツールなんだろうか?とか思った。二次創作のマンガを描いて同人誌作ってオタクの世

          なりたい自分なんて蜃気楼

          44歳の進路

          年が明けて1月も半分過ぎてしまった。光陰矢の如し。 今年は新しいチャレンジをしたいと思うので、それに伴う下準備をしつつ、上半期のスケジュールを立てただけで1月が終わってしまいそう。もちろんバイトもしている。 去年はこのバイト生活を終わりにして、設計事務所勤めをするかどうかとっても悩んでいた。食えない独立生活ではなく、会社員と自営の二足のわらじで経済的負担を軽くするべきか、それとも、これまで通り週に2、3日程度のバイトでギリギリ必要経費だけは稼ぎつつ、週の半分は自分の時間として

          大吉

          本日の京都は曇り空。明けましておめでとうございます。 この年末年始は久しぶりにひたすら寝て過ごしたので、まさに寝正月。一昨年の年末は29日からコロナに感染し、年越しそばやお節を食べる元気もなくホットカーペットの上で転がったまま1月を迎えたこともあり、熱にうなされながら寝る正月ではなく、元気いっぱい惰眠を貪る寝正月は最高に充実した年越しだった。 が、 元旦の夕方に京都の自宅が大きくゆっくり揺れた。 なかなか収まらないので慌ててテレビをつけたら、能登半島を中心に辛い現実が容赦なく

          仕事納め

          日曜はシカクでの展示が無事終り、その日の閉店後に撤収作業をする。さっきまで展示会場だった空間の、すっかり魔法がとけた白い壁を眺めた時は「頑張ったぞー!」という気持ちよりも、蓋をしていた疲れが溢れてくるようなぐったり感で心がいっぱいになり、風邪気味っぽい体調も相まって体が急に重くなるというのかな。そんな感じ。 シカクを出たのが21時前で、西九条の駅に向かって歩きながらスマホを見ると「鶏肉とわかめの韓国風スープとご飯はあるよ」という夫からのメッセージがきていたので「お腹すいたー!

          一年山あり 谷あり

          毎日書くつもりの日記も2日目にして三日坊主ですわ。そんなもんです、人間だもの。みつを。 日記を書かずに何してたかっていうと、同人誌の原稿入稿→バイト→バイト→展示会場在廊で、慌ただしい4日間を過ごしてました。同人誌入稿においては受付終了20分前に滑り込み入稿を完了させるという手に汗握る展開で、最高に生きてるって感じました。そして、今は大阪に向かう電車の中で日記を書いてます。 千鳥橋のシカクさんに今日も在廊しますが、今、開催中のグループ展「妄想路上ラプソディー」もいよいよ明日

          おおいなる自由

          日記をつけるのっていつぶりだろう。 会社勤め時代に10年ぐらい、はてなダイアリーをやっていたのが懐かしい。匿名でお弁当の写真アップして、ただの日々をただただ綴る特に目的のないブログだったけど、自由に楽しい日課になってて、なんならそこから北海道の人と知り合いになっておすすめの化粧水交換しあったりしたな。サイコーじゃん。 独立してからは、名前と顔を世間にさらして生きる人になってしまったので、色々と言動に気を付けるようになったら何も言えない当たり障りのない言葉を選ぶようになり、なん

          日記はじめます

          「もじゃハウスプロダクツ」という屋号で独立して今年で丸10年になった。 普通なら10周年のおめでたい節目なのだろうけど、泣かず飛ばすのまま週2、3日のバイトと会社勤めの夫の稼ぎで「私は何者にもなれない」と悩む売れない芸人みたいな日々を過ごすだけで10年経った私にとっては全っっ然めでたくなくもないので10周年だとバレないように黙って過ごした2023年があと2週間で終わろうとしている。 2019年の夏に東京の根津にある「弥生坂 緑の本棚」で、もじゃハウスの模型を2つ展示をさせて貰