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演技の本質は主観性と客観性の両立


さて、今回は、演技がいかに難しいものであるかという事を考えてみます。

突然ですが、余談です。
僕は漫画「NARUTO」が好きで全巻持っているのですが、その中で主人公のナルトが必殺技「螺旋丸」の修行をするシーン
確か、螺旋丸は、なんかチャクラという気のチカラみたいなものをめちゃくちゃに暴れさせつつ、それを丸の形に綺麗な形にしなければいけない、みたいな感じで、とにかくすごい難しい技なんです。
それを知ったナルトが、「こんなの無理。右を見ながら、左を見ろって言われてるようなもんだってばよ!」みたいな弱音を吐くというシーンがあります。

なぜこんな例えを出したかと言えば、演技というのはいわばこの「右を見ながら左を見る」という事をやらなければいけないことだからです。
それくらい難しいことなのだという事を理解しない限り、演技は絶対に上達しません。
つまり、どんなに一生懸命に右だけを見ても、あるいはものすごく集中して左だけを見ても、それは演技の片面でしかないわけです。

その一見矛盾する考え方というのが、今回の主題でもある『主観性と客観性』という事なのです。

主観と客観て、なんや?

皆さん、主観性と客観性って、意味分かりますか?
まあ、なんとなく聞いたことがあるだろうし、ある程度大人になれば言葉自体はけっこうよく使うものだと思います。

一応、goo辞書で「主観」と「客観」がどのように定義されているか検索してみました。

『主観』
ラテン語のsubjectum(下に置かれたもの)に由来し、スコラ哲学以来、18世紀ごろまでは性質状態作用を担う基体意味した。近世以後は認識行為する人間存在の中心である自我をいう。特にカントでは、先験的意識としての主観が設定された。⇔客観。→主体
その人ひとりのものの見方。「できるだけ—を排して評価する」⇔客観

goo辞書

『客観』
観察認識などの精神活動の対象となるもの。かっかん。⇔主観
主観から独立して存在する外界事物客体。かっかん。⇔主観
当事者ではなく、第三者の立場から観察し、考えること。また、その考え。かっかん。
「つくづく自分自身を—しなければならなくなる」〈梶井・瀬山の話〉

goo辞書

分かりましたか?(笑)

ひとまず一回、皆さんの中で主観と客観の意味をかみ砕いて考えてみてください。

はい、どうぞ!


ここで3分くらいとってみます。
考える時間を取るのが面倒な人は、すぐ下に進んでいただいて大丈夫です。


はい、3分経過しました。

さあ、どうでしょうか。
皆さんの中で、なんとなくまとまりましたか?

僕の中で、「主観」と「客観」を一言でまとめてみますと

主観=自分から見た世界
客観=世界から見た自分

です。
まあ、かなり主観と客観の言葉の断片を切り取ってるので、ちょっと極論になっていますが、演技について語る上では「自分」というものを基準にこの二つを考えることが重要だと思っています。

演技における、「ふたつの世界」

ということで、演技の話に戻りましょう。
演技で言うところの「主観」と「客観」を上記の僕の定義に当てはめてみますと、

主観=(演じている)役から世界がどう見えているか
客観=世界が(演じている)役をどう見ているか

という事になります。

演技は、この二つを同時に考えなければいけません。

さてここで厄介なのが、「世界」とは何なのか、という事です。

主観と客観、どちらも役と「世界」との関係を書いているのですが、この二つの「世界」は違うものですよね。

『主観』で言うところの「世界」とは、「劇世界」(あるいはドラマの中の世界)の事です。
一方、『客観』で言うところの「世界」とは、「現実世界」(あるいは観客・視聴者のいる世界)の事です。

この二つの世界は、まったく別のものです。
演技とは、この「二つの異なる世界」を同時に生きることなのです。

「なんだよ、難しい理屈をこねくり回した末に辿り着くのはめちゃくちゃ当たり前の事じゃねーかよ」と、思われるかもしれませんが、しかしこれはけっこう簡単に忘れてしまいます。

演技が抱える大いなる矛盾

小学校の時の学芸会や学習発表会(今はなんて言うんですか…?)を、思い出してみてください。
「セリフを言うときには、とにかく前を向いて、大きな声でお客さんに聞こえるようにしゃべりなさーーい!!」
と、先生に口酸っぱく言われませんでしたか?
その時、あなたは思いませんでしたか?
『目の前(舞台でいうと客席とは違う方向)にいる誰かに何かを喋ろうって時に、あさっての方向(舞台でいうと客席方向)を向いて叫ぶなんてことあるわけねーだろ』と。
そう思っていたあなたは、俳優としての大事な資質を子どもながらに既に備えてたことになります。

そう、これなんかはまさに、前述の「二つの世界」を混同している例です。

でも、じゃあ目の前にいる相手にだけ聞こえる声でボソボソ喋ればそれでよかったのでしょうか?

そんなわけはありません。
それでは、「劇世界」では会話が成り立ったとしても、「現実世界」ではなりたちません。
だから、先生の「客席に聞こえねーと意味ねーだろ」ということは、片面では確かに正しい。

そう、つまりこの時やるべきことは、「目の前の人(劇世界の住人)に向かってボソボソ喋りながら【=主観】、明後日の方向にいる人たち(現実世界の住人)に向かってセリフを届けないといけなかった【客観】」という事なんです。

なんたる矛盾!!

ね、そんなの右を向きながら左を向くようなもんじゃありませんか。
だから僕には、ナルトの気持ちがよく分かります。
演技とは、この矛盾に立ち向かう行為であり、だから演技は難しいんです。

なお、前述の漫画『NARUTO』では中では、主人公ナルトは、影分身の術で2人になり、1人が右を向き(チャクラを暴れさせ)、もう1人が左を向く(チャクラを抑え込む)というウルトラキューによって見事螺旋丸を完成させます。

しかし、我々に影分身の術は使えません。

じゃあ一体、どうすればいいのか!?

そんなのは一言で片づけることはできません。
そのために、途方もなく困難な「技術」を身につける必要があるのです。

具体的にどのような技術が考えられるのかは、追々お話していければと思いますが、今日はまずは、演技というのがいかに矛盾に満ちた困難な行為なのかという事を理解していただきたかったのです。

上手くなる簡単な方法を知りたかった人・・・ごめんなさい(^^)

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