見出し画像

一人で銀座のカウンター鮨を食べたら温泉旅行並みのデトックスを感じた話:しがらみご自愛模索旅


こんばんは

みんなお元気ですか?ご自愛してますか?
最近少し前よりも「ご自愛」というワードを目にする機会が増えてきて、ちょっと飽きてきましたね。というか、「自分で自分を大事にしなければというしがらみ」が新たに生じてきている感覚のある志賀らみです。わかりにくい表現でごめんね。

「ご自愛」って簡単にいうな

別記事でご自愛しよ~!とか書いといてあれなんだけど、そもそもご自愛ってめちゃくちゃハードル高いですよね。

なぜなら、最低でも
①自分が何を好きで、どんなことに癒されるのか
②それをするにはどれくらいの体力とか心の余裕が必要なのか

がわかってないと自分で自分を癒せないし、ほんでもって②で算出した体力とか気力とかがあってやっとご自愛できるわけで。
メンタルの疲れと部屋の汚さ、洗い物と洗濯物のたまり具合が顕著に連動する自分みたいな人間はご自愛とかいわれたところで、疲れ切っているときはただただ横になることしかできなくなってしまうんですよねえ。
だから闇雲に、「自分を大事にしな」とか、「ご自愛しな」とお疲れの方に言うのはやめよう、と最近反省したところです。
疲れてくると、自分の癒し方とか、自分が何を求めているのかとか自分の気持ちを理解するセンサーがぶっ壊れるんだよね。

さて、私の中で顕著な癒しは旅行とか温泉とかなんですが、これらも実は地味に準備に時間がかかってしんどかったり、体力を消耗したり、といった欠点がありまして。そんな中昨年、新たなご自愛方法を発見したのでこちらに残します。

銀座でカウンター鮨を食う

はいこちら。銀座のカウンター鮨です。ザギンのシースーという言葉はネタ的に耳にするけど私は未経験でございました。
まあねこれもある意味特権性のあるご自愛方法だとは思います。銀座だし。お金もそこそこかかるし(飲み代くらい)、でも、変に浪費をするよりもすっきりしたので…その備忘録おば。

昨年末のクリスマスにひとりで銀座のカウンター鮨を食べてきました。
ある日、普段のランチは背伸びしても3000円、そこからさらに倍の金額を出したら果たしてどんなものが食べられるのか。そしてそれを自分は楽しめるのか?が気になり勢いで実践したような形になります。

そもそも鮨屋に20代の女が一人でいくと舐められるとかうんちくを言われて不快な思いをするとかTwitterで見たことある…!ルールわかっていないやつだと思われたらどうしよう!?とか不安を抱えながらも、人生経験として行ったるで!と思い予約をしました。

行先はかなり調べました。銀座のいろんな鮨屋を比較検討して口コミも見ながらうんうんうなり、ある鮨屋に決めました。
(正直ここまででもかなり楽しかった)(私は宿泊先とか部屋とか飲食店とか調べて妄想している時間が好き)

わくわくの当日

前日までかなり私の楽しみゲージは上がっており、寿司はしばらく食べず、当日の食事を楽しめるように粗食に努めました。そんなんせんでも引きこもり生活のおかげで普段から粗食なんだけれど、粗食続きだと「日常に潤いがない…」という気持ちになる毎日でも、「〇日後にはザギンでシースーを食べるんだぜ?」と思うと、鮨のための粗食、に思えてきて楽しいんですね。すごい。
最近は旅行の荷造りも面倒くささから楽しめなくなってきていたから、これはあらたな「前日も楽しい」楽しみだと気づきました。

びびりつつも行ったお店。
カウンターが10席にも満たないお店にビビりながら入りました。

カウンター席。目の前には対象。なんかわからん長い包丁とか、布とか、酢飯の入ったおひつとか山葵(もちろん本物の)とかが置いてあってひとしきりビビる。
仕事がある日だったのでお酒はのまず。鮨屋で酒を頼むのがマナー?とかも見かけたけど、鮨の味がわかんなくなるのは嫌だったのでソフトドリンクをいただきました。怒られなかった…(笑)

まあ利益を考えたらお酒を入れるのも大事だとは思うので、飲めるときに行ったらお願いするかもです。でも酒必須ってマナーはいらんなと個人的には思った。

めっちゃ大将しゃべるやん

はい、大将は気さくで言い方でした。心配だったマナーも特に怒られず一安心。
好き嫌いは分かれるかもしれませんが、おまかせで出される握りについて大将がおすすめの食べ方、調理法で出してくれるのでそれを見るだけでも楽しくっておなかいっぱい胸いっぱい、となりました。

あと大将がめちゃくちゃお話好き。コロナ的には少し不安にもなりますが…、鮨のことだけを考え何十年と鮨のために生きてきた方の鮨論は個人的にはすごく楽しかったです。
当たり前だけど魚ってとれる時期と場所によって状態が違うし、鮨が鮨として目の前に来る前に海があって漁師さんがいて競りがあって、そこから選んで考えて調理してくれている大将がいるんですよね。
そういう普段意識しない当たり前に集中する時間として、ひとり鮨は最高でした。

写真は記憶のために撮らせてもらってしまったけど、なんというか、目の前の鮨と味とそれを作ってくれている人、に集中するお食事の時間は大変贅沢かつリフレッシュする時間でした。


カウンター鮨は美術館とか温泉に近い、体験を買う場所

お店を出てからも満足感が高くて何がよかったんかな~?と考えたんですけど、一番は食事という体験に集中できたってところだった気がする。

お店の緊張感とか、スマホをいじらない食事の時間とか、目の前の食事にただただ集中する時間がとてもよきでした。そして普段自分が、平均よりは食べることが好きな自分が、どれだけ食事をないがしろにしているか気づいた気がしました。
おいしいものって幸せだけど、おいしい~しあわせ~~~ってところの軽い快楽ですませてしまっていたところが多くて、さくっと食べて仕事に頭を切り替える、みたいな、どうしても流れる時間が多かったんですよね。

ただお鮨は、おいしいし、面白いし、何この時間楽しい!って感じでもありました。スマホ片手にご飯食べるのとか、PC閉じずにご飯食べるのとか、本当によくないね…。反省しました(その後もやめられてないけど)。

お鮨タイムは私に、「食事」っていうものの奥深さと、大切さを気づかせてくれました。感謝~!

食事は大切、とか食事は奥が深い、とかって、知ってることなんですよ。多分読んでる人も知っていると思うんですよ。みんな毎日しているし。ただ、これまでは頭では知っているんだけど実感が伴っていないというか、実感する余裕がなくなっていたんですよね。
そして気抜くとその感覚って、すぐ忘れちゃう。ただ、久しぶりに、目の前の食べ物だけに集中して、向き合うっていう時間が過ごせたっていうことがすごくプライスレスでした。

あとはやっぱりほかのご自愛と違って、時間の短さと、満足感もすごくいいなとも思った。ランチは1時間程度。前後のスケジュールの調整もいらないし、移動時間も距離もかからないわりに個人的には非日常!を味わえて大変よかったです。
温泉くらいすっきりした~!!!という気持ちで、テンションウキウキで帰れて満足感が高かった。テンションあがりすぎてその後すぐSNSに書いたしいろんな人に感想言いまくったけどね!

あとは、やっぱり高いものはうまいということが知れたのも大変よかったです。席数が少ないということもあってお高いのか?ということとかも思っていたのですが、プロが美味しさだけを追求して選んだ魚の部位をとっておきの食べ方で調理していただきすぐに食べられる、という体験を考えたらあんなにお安いお値段でよかったんですかね、という気持ちになりました。

私はミュージカルを見る人間なんですけど、高いミュージカルは衣装も小物もすごければオーケストラ生演奏なんですけど、それくらいの違いがありました。
食べ物の値段だと思っていてごめんなさい…体験の値段でした。

そんなこんなで、いまさらになってしまいましたが昨年末のご自愛方法でございました。コロナ禍で外出もできないし、おいしいものもなかなかたべられないし、きゃっきゃしながらの食事、みたいなものもできないけど、一人で黙々と目の前の完成された食べ物と向き合う時間は、定期的にまたやりたいな、と思えるものでした。

次行けるのはいつかな~。
でも次行きたいところ、ができたこともうれしいことでございました。
目標にしていた海外旅行が見えなくなってしまったので、いけるエンタテインメントがこんなところに!という気持ちになれたのはよかったです。

そんなこんなで、迷走しながらもご自愛の方向をこれからも考えて、やってみたことがあればまた書こうかな~と思います。
お互いに余裕があるときに、ご自愛しましょ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?