見出し画像

劣等感と性交体験と体型に対する認知の変遷の話|ぽっちゃりが自分の脂肪を愛するようになるまで

最近お気に入りの佐伯ポインティさんの記事を読んだら私の上位互換みたいなインタビューがあってすごく面白かった↓

他者から勝手に「抱けない」と評価されたことをきっかけに自己評価が低下し、成人すぎても処女ということが劣等感になり、それを克服するためにイタリアで脱処女をする方の話。すごく面白かったし、共感した!
やっぱりこういう話が世に出てくるようになった時代は素晴らしいね。元気をもらえる。

私の容姿とモテに関する自己評価は、幼少期のクソみたいな低評価からはじまって、20代も後半になり最近やっとかなり自己評価が高まっていてラッキーって感じだけど、ここまでくるのはなんだかんだ長かったなあと思う。
特に最近は、長年こじらせていた「デブ」というしがらみから脱せそうになりつつあるので、記念note

だいぶどろどろした内容なので注意だよ^^(いつも)

■幼少期の自認は「モテないデブ」
うわあこれ言語化自分でするのもきついけど、まさにこれ。
私は物心つく前から「デブ」といわれてからかわれていて、自分は体型を理由に他者から正当な評価を受ける土台にも乗れない人間なのだ、という想いを長年こじらせていた。
小学生時代にすでに「人を容姿で評価することは間違っている」という心理にはたどり着いていたのだけれど、それでも容姿を馬鹿にされることはつらくて傷ついて、よく泣いていた。
まあ、子どもだったからチビとかなんとか、自分も同じくらい言葉で言ってきた相手を傷つけてはいたんだけどね。
親からも「痩せた方がいい」と言われていたから、「自分はどうしようもないデブなんだ」と思っていた記憶がある。


■中学の自認は「痩せたらマシ」→高校では「男にはモテない」
中学生のときに「痩せたらアリなのにな」と男子に言われたことを今でも覚えているから、ショックだったのだと思う。
当時の私はヘテロだと思っていたし、男子が女子を上から目線で評価することを「当たり前」だと思っていた。そして小学生時代に言われた言葉も変わらず自分のなかにささっていた。

中学生のときは思春期もあいまって「自分はスカートなど履いてはいけない」「似合わないしデブだから」と思っていた。ただでさえ長いスカートからちょっとだけ見える自分のふくらはぎが、周囲の女子と比べてどれほど太いのかを、よくわからないけど気にして生きていた。


高校で一度、女子校に入ることで男子の目というクソみたいな評価から解放されて、セクシュアリティにも気づいて、という時期があったけれど、それでも自己評価は「男以外との恋愛はできるかもしれない人間」だった。
ヘテロのモテ基準には乗っかれない、と確信していた。し、デブ嫌悪がひどすぎて自分より大柄な人を端から嫌っているフシがあった。
ブスほど面食いになる、みたいな感じのやつだ。今振り返るとはずかしい。

高校では部活で運動をしたことで痩せるという経験もできたけど、それでも部内では太い方で、顧問からも「痩せろ」と言われ、「こんなに運動してもふつうには慣れないレベルなんだな、自分」と思っていた。当時も普通のお店でMサイズの服を着ることができているにも関わらず、認知がゆがんでいた。
たしかそのころミクシィでデブ専のコミュニティを見つけ、そこに「体重75㎏以上」という記載があり、そこまでの体重はなかったわたしはふつうの世界では、デブ専からも対象外な存在なのか、と思ったりもした。


■大学は相変わらず「モテないわたし」
部活を辞めたら案の定少し体重が戻った私は共学の大学に入り、女子規範のしがらみに押しつぶされていた。合コンしたりとか街コンいったりとか、友達と楽しみつつも彼氏はできず、ヘテロになろうとしたけどなれず、うまくいかないなあと思っていた。当時の自分は思いっきりこじらせていたし卑屈だったから、今振り返るとモテないのもごもっともなんだけど、当時は無理してもモテない私なんて…という無限ループにも陥っていた。
マッチングアプリをはじめて、いろんな人とデートしたりしたけど、自分のなかでは自分のセクシュアリティのこと、イエのこと、モテないという自意識が絡まってそのうえ相手を評価したりするものだから案の定うまくいかず、なんだかどんどんこじらせていたのがこの頃。
当時はよくわからない「ふつう」に追いかけられ、この世の彼氏もちのぽっちゃり女子をすべて憎み(?)、男性からの評価に固執していたのだと思う。大学での学びは楽しく、友人は増え、できることも増え、日常生活はそこそこ楽しく、自己評価もそれなりに高かったが、モテに関してだけは苦手意識しかなかった。
処女をこじらせていたころは、人込みのなかで、「この人達に私とヤれるか聞いたら何人がイエスというだろう」というものすごいこじらせたことをよく考えていた。
どんなに自分が楽しくても、男性からの評価がないと、「認められない」「ふつう」になれない。そういう意識があったんだと思う。

今振り返ると、誰にだよ、って感じなんだけど、
そんなこと当時の私は思えなかったし、私の周囲には「ステキな彼氏がいる人間こそ勝者」という価値観が蔓延していた。


■モテないわたし、から「ヤれるぽっちゃり」に
ジェンダーセクシュアリティの勉強を重ねるなかで、ある程度理論武装をすることで、恋愛至上主義やらなんやら、自分のとらわれているしがらみに名前がつくことはわかりはじめた。
が、それでも、名前がついたところで消滅してくれるわけもなく。

いろいろと順調にこじらせまくり、恋愛市場への好奇心が高まったあるタイミングで私はヤリチンという存在に興味を持ち始めた。頑なにデートしかしてなかったにも関わらず、単純な好奇心からいろいろとヤリチンを知り、セックスに対して自分が神聖視というか、過剰反応していたことに気が付きはじめた。そして、機会もあったので、何人かとセックスをすることにした。その中には自分のしがらみの中での勝者である、イケメンもいたりして、あれ、私はデブと散々ののしられてきたけれど、ヤれるのか、と、ふと、呪いが解け始めた。
数人とセックスをし、性的な需要はあるという事実を知ることで、私の自認は「ヤれるぽっちゃり」になった。これは大きな変化だった。

また、同時期に、チャットアプリで(これも好奇心から)端から性癖を人に聞きだしていたことがあった。その時の経験がめちゃくちゃ面白くて、胸の大きさから好みの体系、パーツまで、本当に多様で多様で、そのやりとりをいろんな人間としているうちに「自分は何にとらわれているんだろう」と思うようになった。これについてもいつかnoteに書きたいね。
チャットアプリのフィールドワーク、本当に面白いから全国のこじらせ女子におすすめしたい。自分のパーツの嫌いだと思っている部分を気持ち悪いほど好む他者もいる、ってことを知ると、既存の価値観がガラガラと壊れていって、面白いとおもう。
そんなこんなでチャットとセックスを重ねるなかで、わたしは、当たり前なのだが人間の体型は多様で、そして同じだけ好みが多様であるということに気づき始める。


■「ヤれるぽっちゃり」から「脂肪もわたしのいいところ」へ
昨年頃、衝撃的な出会いがあった。

2人ほど、本気のぽっちゃり好き、かつ、私がその人のなかの「かわいい」「好み」に入る、という人間に遭遇したのだ。

たぶんこれまでもそう言ってくれる人間はいたのだけれど、誰の言葉もお世辞とか、私を励まそうとしてくれている、という風にうけとってしまっていた私が、このたび認知の歪みが改善されたタイミングで、かつ、そういった言葉を私にかけるメリットがない関係の相手にそういわれたことで、私の認知がさらにアップデートされるはこびとなった。

それまで私の自己評価は、マイナスからは克服しているものの「ヤれなくはない」とか「付き合ってもいい」レベルにとどまっていた。つまりまだまだ低かったのだ。

さらには、自分の身体についている脂肪は忌むべき存在で、人に触られるなんてもってのほか、であったのだが、好き好んで脂肪を触ってくる人間に出会ったことで「本気でこれがプラスに作用しているのか」という新鮮な驚きがあった。
揶揄されるためでなく、本当に需要があると思うと、私のにくにも存在価値がうまれ、私のなかでもなにかよいもののように受け止められるようになりつつある(ちなみに私はガリガリな体系が好きなので仲の良い他者のほねに全く同じようなことをしてしまい、良く怒られる)。

また同時に、最近は他者のぽっちゃりも許容できるようになってきているのも感じている。直近のポインティさんの取材写真もなにか違う動物みたいでかわいらしいな、と思い、思った自分にびっくりした(失礼であはあるのだが)。
人間、こんなに価値観て変わるんだな。というのが今の感想。


いま現在も「わたしかわいい」と心底思えているかというと何とも言えないのだが、いまの髪の色や髪型、化粧や着る服、ネイルなど、今の自分の表象は気に入っているし、それに伴っていまのわたしは「かわいい」と思えることが多くなりつつある。
そして何より本気で自分の容姿やら体型をほめてくれる人がいることによって自己肯定感が爆上がり(当社比)しており、ちょっとしたからかいに対して、以前より傷つかず、スルーもできるようになっている。

なんというか、これまでいろんな人の無神経な言葉で積み重なった負の遺産が一度ちゃらになったような、そんな気持ちである。

まあ、からかいなんてものはないにこしたことはないんだが、
ポジティブの循環ていうのは確実にあると思っていて、その素敵な出会い以降、なかなか良い方向に物事が進むことも増えてきた。
結局人間自信なんだな、ということは昔っからわかっていたけど、自信は外注しないとなかなか手に入れにくい。

私と出会ってくれたぽっちゃり好きよ、ありがとう。

そしてできたらこれからもよろしくしたい。

ただ、やはり自己評価の判断軸を他者にゆだねるのはよろしくないと思っているので、いまの波にのっかって、できる限り自分で自分を「最強にかわいいすばらしい人間」として常に認められるよう修行をしたいと思っている。

わたし、今日もかわいいぞ~~~


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?