目指すのは、『高度情報民藝運動』

アメリカの建築家であり思想家のバックミンスター・フラーが、大量にエネルギーを消費し続ける世界を揶揄して「宇宙船地球号」という言葉を残したのは1963年のこと。それから半世紀が過ぎ、格段にインフラは整い、高度情報化社会として飛躍的な発展を遂げました。そうしたいま、私たちは本当に幸せに暮らしているのでしょうか? 環境問題はさらに悪化し、新たな課題も山積みになっているのが事実。豊かさを目指して資本主義社会が追い求めた理想はとうに限界に達し、私たちはこれまでとは違う次元から価値観や可能性を模索する必要があります。

いまから未来に向けた課題解決の根幹を担うものの一つが、デジタルコミュニケーションです。しかし、これも完璧ではありません。高度&高速な情報処理を行う人工知能(AI)に期待する一方で、すでにAIが人の知能に取って代わるシンギュラリティ(技術的特異点)の発生に懸念の声が上がっているように、デジタルがもたらすメリットは確かに偉大ですが、使い方を間違えれば大きなリスクを伴う「諸刃の剣」だとも言えるのです。

物事を的確に捉え、俯瞰し、最善の解決策を見出すためには、小手先のデジタルコミュニケーション力ではなく、知の源泉となるリベラルアーツ(教養)が必要なのです。人々がどんな悩みや苦しみを抱えているのか。何を楽しみ、ワクワクするのかを、もっと身近な感覚でリアルに捉えることができれば、それを解決したり、促進したりする効果的な手段も見出せるはず。私たちは、考え方の一つとして、1925年に日本で起こった「民藝運動」にヒントがあるのではないかと思っています。

民藝運動は、デザイナー、柳宗理の父であり、思想家の柳宗悦が陶芸 家の 河井寛 次郎や濱田庄司 とともに創始 した生 活文 化運動で、無名 の職人たちが作り出した日用の生 活道具 を「民 衆的工藝(民藝)」と名付 け、 モノ に宿る 用の美 を讃えました。これまでのデジタルの世界は、誰かしらがつくったものを大勢の人が 享受 することを軸にすることにフォーカスしていたことに対し、これからのデジタルは民藝のように、ユーザーの姿とニー ズをいかに的確に捉えるかが鍵になってくるでしょう。グロ ーバルに拡散 するものではなく、地域文 化の特性がわかったうえで、地域の人がつくり、使うもの。つまりは地産地消に近いデジタル技術の応用 が求められるのです。地域といっても、それは国レ ベルではなく、市町村 、もしくはもっと小さなグルー プやコミュニティかもしれません。少人数が少量生産を目指すことによって、時間的、 作業 的な 余裕 が生まれ、人々はもっと余裕 をもって深みのある人生が送れるようになるかもしれないのです。

我が校に入学 する人々は、デジタルエリートだけではありません。医療 、福祉 、エンターテインメント、アートなど、さまざまな 領域 に属する人々が、各自 確かな問題意識 をもってここで学び 、新しい時代の ビジネスを考えています。デジタルコミュニケーションは、世代、性別、思想、言語の別を超え、目の前に広がる問題を、より現実的に解決することができる最高の武器 なのです。自身が 存在 する 場所 、何を 拠り所としているかという信条、そして何よりも自分 がどんな人間であるかというクセを認め、受け入れることで、新たなビジョンが見えてくるはずです。

デジタリハリウッド大学・学長 杉山知之

この記事は、2020年夏にデジタルハリウッド大学大学院の広報パンフレット用に作成されたものから、転載しています。

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