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「F」を冠するモノたち 

魔法のような科学の役割

“高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない”という言葉がある。『2001年宇宙の旅』などで有名なイギリスのSF作家アーサー・C・クラークの定義した「クラークの三原則」の1つだ。現代の社会は非常に便利なもので溢れている。誰もが手に取るスマートフォンや、このコラムを書いたパソコン1つとってもそうだ。家電だけでなくSNSやクラウドサービスといった実体のない技術も実用化し、あたかも魔法のような科学が人間社会の発展にますます役に立っている。

また我ら人類の立つ地球、そして宇宙そのものも謎だらけである。衛星写真で地形が分かったとしても、前人未到の地は数知れない。海洋に至っては水深10mの領域すら全貌がつかめない。宇宙開発はアポロの月面着陸以降、高度400kmに基地(ISS)が出来たくらいで、38万kmの距離すら遠すぎる状況だ。

未来への想像

だがそれほどまでに発展した文明の中でも、悩みの種は尽きない。例えば傷病・疾患を即座に治療できる特効的な薬品はほとんど無い。現在もなお世界中で猛威を振るう新型コロナウイルスに対してもワクチンによる予防が精いっぱいで、特効薬の開発にはまだ時間がかかるようである。内臓も一から創りだす技術は未発達で、交換には他人(ドナー)のものが必要だ。栄養状態の改善や、医療の進歩で寿命が延びても、寝たきりなどで満足のいく生活が送れないのでは元も子もない。恒久的に健康でいられる「不老不死」への夢は道半ばにも達していないのだ。

とはいえ、分析された地球の寿命は約46億年、まだ50億年にも達していない。太陽の寿命も約100億年といわれているから、向こう50億年は存続の余地がある……わけではなく、5億年も経過すれば陸上生物は淘汰され、10億年経てばあらゆる海洋は干上がり、全ての生命体が終焉を迎えると言われている。その間に人類が宇宙に飛び立つのが先か、滅亡して未知の種族の文明が栄えるのが先か。今の段階では各人の脳の中で「少し不思議な」想像をするより他ない。

ロマンも遥か未来では「常識」として存在している

いわゆる”なろう系”と呼ばれる作品群がある。古き良きファンタジー・ロールプレイングを踏襲した設定は、今なお全国各地の読者の琴線に触れるようだ。ドラゴンや天使などの架空生物や、虚空から物質を転送し操作する魔法など、観測・実現不可能な空想への「ロマン」があるのだろう。だがそれらのロマンも遥か未来では「常識」として存在しているのではないか。遺伝子技術が発展して生物に翼を生やせるようになれば、有翼爬虫類や有翼人種も実現する。量子力学が発展すれば原子単位での遠隔物体転送が可能になる。そう、“高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない”のだ。現に架線新幹線のスピードを上回るリニアモーターカーも、あと数年経てば開業の見込みが立つ。人類全体がその探求の歩みを止めない限り、小説よりも奇なる「事実」が次々と生まれるのだろう。

「実現」と「実行」

“来年の事を言えば鬼が笑う”という諺がある。Xのつぶやきでも「昔の自分に○○があったと言っても信じてくれない」という言い回しがある。確かに未来のことは誰にもわからない。どんな予測を立てたとしてもあっさり覆される。だがこれまでの時の流れで実際に「○○があった」ことは事実であり覆せない。関東大震災から東日本大震災、本能寺の変から奈良の首相暗殺に至るまでそうだ。サブカルチャー界隈で電撃的にコンテンツの実装・復刻が告知されるのもそうだ。災厄への予測も必要なことだし、食い違っても次の災厄への対策に繋げられる。自分の願望を空想するのは楽しいし、実現すればなお嬉しい。それらの「実現」と「実行」に取り組める機会があるのは、一部の人間だけかもしれない。だがその結果で巻き起こされた感情は、今や全世界の誰もが共有できる時代だ。

小説『ビタミンF』にて、作者の重松清はあとがきで”Family、Father、Friend、Fight、Fragile、Fortune……<F>で始まるさまざまな言葉を、個々の作品のキーワードとして物語に埋め込んでいったつもり”と語っている。本題の「F」にもFutureを始めとして様々な意味を見出したつもりだ、と仄めかした所で当コラムもFinaleを迎えようと思う。

時間は、1本の樹

時間というのは、1本の樹に似ている。まず枯れても残る幹と枝と根が過去である。幹と枝は追跡可能な範囲の過去で、地下に隠れて見えない根は現存していない闇の中の過去だ。青々と繁る葉が現在である。光合成をするのと同じように息づいている。そして一時期だけ実らせる果実が未来である。いつ実るか・どのくらいの美味しさかはある程度予測可能でも、それが本当に美味しいかどうかは実際に食べてみるまでわからない。食べ終えた果実の種は地表に蒔かれ、そこからまた新しい「時間」が動き出すのである。


Text:3年 長澤 尚輝


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