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学びに大切な「クロス」の話

こんにちは、MOJIKARA研究所・本田蒼風です。

私ごとですが、昨日は息子の小学校入学式でした。

桜は残念ながら一足先に散ってしまって、
すっかり新緑の葉っぱが綺麗に「春だーーー!」という感じで伸び伸びしていますが、昨日は何とか雨降りを避けられてありがたい限り。

昨日は義母が譲ってくれた紫色の色無地の着物を着ていきました。

半襟(襟元)に金とシルバーの市松模様をいれたら、
何だか紫も高貴な色味なのに、さらにすんごい雰囲気になって、
仏道の偉い方風に仕上がりまして、
自分を鏡で見ても貫禄が半端なかった…(笑)

そんな見た目なのに、入学式の受付時間を勘違いしていて、
直前に気が付き、着物で血相変えて猛ダッシュという悲惨さ。

受付の先生方はかなりひいてました。(笑)

でも何とか式には間に合いまして無事に参列できました。

「は~これから息子はここで毎日学ぶのか~」と思いながら
体育館で入学式に参加していて
自分の学生時代を思い出してみたり、
古い校舎がもつ独特の雰囲気と匂いにちょっとドキドキしたり、
何だか心中慌ただしい時間を過ごす私。

その中で感じていたのは
「このコロナ禍で、入学式を何とか開催してもらえたことに「感謝」だな~」という思いでした。
以前だったら「入学式はあって当たり前」と思って、
先生方や学校関係者の方々に感謝なんて考えてもいなかったんだろうな~…と。
 ふと私が日常「当たり前」であることにどれほど慣れているのか。
その当たり前を創ってくれている「誰か」への想像力の無さを改めて感じました。
失って初めて気づく「当たり前のありがたさ」。

さて、「息子の学び舎」で時間を過ごすなか、
「私は学生時代何を考えて過ごしていたのかな~。」
「何であんなに学校嫌いだったのかな~(笑)」などと考え、何かと浮きまくりだった過去を思い出し、心がギスギスしそうになりましたが(笑)、そんな中、突然私の思考スイッチがONに。

「私は学校で何を学んだんだろう?そもそも学ぶって一体なんなんだ?」
(唐突すぎるっ(笑))

ということで、
本日は「学」の漢字一文字から、私が感じたこと、思考したことを書き残しておこうと思います。

「学」の文字からわかる学ぶときに大切なこと

「学」の漢字は、旧字体だとこんな感じで描かれています。


上部の左右は両手で、その間にクロスクロスが入ってます。
そしてその下には「建物とか空間」っていう意味を表すパーツが描かれていて、そして「子どもの子」ですね。

辞書をひいてみると「先生から知恵を授かり、見習って自分のものにする」「交流、交わりを通して我が物に…」などという解説がありました。

となると…文字の中のダブルクロス部分がとても重要な要素だということ。
(現在は省略されちゃって分かりづらいですが…)

そう考えると、
学びには一方的に知識を受け取るだけ、
または知識投げっぱなしではちょっと弱い
のかな?と感じました。

書籍を読んだり、情報を集めたりすることで「あ~今日は沢山学んだ!」と感じることがありますが、それでおわっちゃもったいない。

文字から考えると、
そこからもう一段、得た知識や考え方を共有してみたり、それを通して意見交換する、クロス部分が生み出されて、
本来の「学」の状態になっていく…ということなのかもしれぬ・・・と思いました。

イメージ、禅問答(双方向に何度もやり取りがある)的な感じでしょうか。

私は、昨年末より音声配信MOJIKARA Radioをはじめて、私が大好きな文字の話などを中心に配信しているのですが、発信を続けていて感じていることがあります。

漢字たった一文字に関しても、
受け取る人によって色々な解釈の仕方があって、
コメント欄やレターなどで自分になかった角度から解釈している人の意見や言葉をもらうことで、さらに自分の学び度(思考)がぐぐ~っと深まることって結構あるな~という感覚。

最近、哲学者・東浩紀さんが書かれた「ゲンロン戦記」という本を読みました。

本の冒頭にもご本人が書いていますが、
この本は批評の本でも、哲学の本でもなく一般人の私にも大変読みやすい内容でした。

東さんがこれまで自由に集まって考えられる場所(=オルタナティブが許容される場所)の構築に心血注いで取り組んできた姿を、ご自身の様々な失敗談も交えながら書かれているのですが、
私が本の中で印象的だったことは、
世間的に既に「正解」「王道」とされているメインストリームがあるのに対して、そうでない意見・選択肢もあるからこそ新しい価値観は生まれる。
その新しいチカラを生み出すために互いの交流が生まれるような場をつくる必要があるんだと信念のように思い続けているのだよ…という話。

色々な方向から投げ込まれる考え方、捉え方がクロスするからこそ生まれる新しいもの。

一つだけの正解ではなく、様々な角度、視点、解釈があるからこそ生まれてくる新しい価値観…という部分に「学」の文字が持つ意味合いと近いものを感じました。

互いにクロスをさせるためには、自分の中にとどめてしまってはクロスは起きなくなるので、何かの形でアウトプットすることが大切なことですが、

その方法も色々あって、
誰かが出したものを自分なりに解釈をして再度出すこともクロスだろうし、
自分が考えていることを発信して、
それに反応が返ってくることで新しい気付きを得ることもクロス効果ですね。

循環させてこそ学びは深まり、活かすことができる。

ため込み、留まらせ、詰まらせるのは良くありません。
考えも身体も。"(-""-)"

そして、私自身すっかり
「ゲンロン戦記」に刺激を受けて(すぐ影響される私(笑))

私もやっぱりこれからはもっとクロスクロスが起こるような場を作っていきたい!と思った次第です!!(突如鼻息あらく宣言してみる。)

私が創りたいクロスクロスの場

私がこれから創っていきたいと思っている学び(クロスクロス)の場は

「人生のフェーズが似ているもの同士が、その段階で感じていること、課題、それへの自分の行動や判断の過程などを共有し合える場所」です。

学びは何も学生時代に限定したものではなくて、
生涯教育という言葉もあるように、私たちの日々の暮らし自体が学びの場。

例えば…私が提唱している

「漢字一文字から始める内省習慣)」というのがあるのですが、

自分が今目標にしたいこと、自分の中でのテーマみたいな部分を
漢字一文字で置いてみて、
その文字を選ぶ過程で自分が今考えていること、感じていることに
改めて向き合う(内省)時間が作ることができたり、
テーマの一文字を意識しながら過ごすことで、
自分が進みたい方向に足を向けることができる…というものなのです。
(これを私は文字のチカラ=MOJIKARAと定義しています。)

偶然にも同じ漢字一文字を選んだ人同士は、
社会的に置かれた状況(年齢や性別、社会的な属性などなど)は全然違うかもしれないけど、
志としては似たことを想いながら過ごしているもの同士だったりする。

それがいわゆる「人生におけるフェーズが似ている者同士」ということです。

「進」の文字を選んだ人は、置かれた状況は違うかもしれないけれど、
何かしら進めたいと思っている部分があるということでは共通している。

そういう人同士が抱える悩みや、欲しい情報って共通するところがあったりするものですが、なかなかそういう「同じフェーズ同士」を見つける手段がないと思うんですよ。

もったいない!


お互い日々暮らしている中でピンときた知恵や日々の行動で起こってきた変化を共有しあう(クロスクロス)させると、そこにはきっと新しいチカラが生まれてくるんじゃないかな~と思っています。

だから、私は「漢字一文字MOJIKARA」を使って、そういう人がお互いを見つけて自由に考えたり、意見を交換できる場所を創りたい!
東浩紀さんが「知の観客」をつくることを目指しているのだとしたら、
私は「知の同志」をつくることを目指していってみようと思います(^^)


息子の入学式からここまで思考が飛んでしまう私。

世界は思考スイッチに溢れています。
今日もクルクル考えながら、
一歩ずつ自分が納得感ある人生を作ってまいりましょう!

上記内容を音声配信で聴くこともできます。

#ゲンロン戦記
#知の共創
#学びの場

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