バラと錠剤(15/15)〜アメリカ人との交際の物語

ホイットニーの帰国も間近。香港系オーストラリア人女性アリスの誕生会で、アリスのマンションでパーティーが開かれた。ホイットニーやアリ スが好むガールズナイトではないことを念のため確かめた後、タクは参加することにした。タクとアリスの職場仲間 1 名が日本人で、他は全 て英語圏出身で、10 人前後は来ていた。 主役のアリスの手料理が次から次へと振る舞われた。食事も済ませ、いつの間にか、手相の話しで盛り上がっていた。ホイットニーは占いの 類が大好き。手相の本を熱心に読んでいるのをタクは幾度も目撃している。

「I don’t care.」

自分の目で大雑把に確認した後、左の手のひらをみんなに見せながら、右人差し指で、それらしき手相のホイットニーは指した。

「ここのラインが、恋愛のラインで...ここ見て。これから私、また新しい恋が始まるんだ。だからいいの」

修学旅行の夜、女子部屋で恋愛話が盛り上がっているような雰囲気だった。楽しそうに、軽快に話しを進めていく。俺が横にいるその場で、 よくもまあ、そんな台詞がすらすらと出てくるものだ、と思ったタク。辛さを超えて、夢でも見ている感覚に苛まれていた。いつしかケントが言っ ていた映画「Lost in translation」のような不思議な感覚だった。ドラマの人物に同情する感覚で幽体離脱して上からガールズナイトの部屋を 眺めているかのよう。タクは目の前にいる集団とは明らかに違う生き物で、異空間にいる感覚に陥っていた。 変な空気にならないから、心配になったタクは、みんなの顔色を伺った。そのホイットニーの言葉に、タクが密かに尊敬しているショーンを除 いて、誰も違和感を覚えず、疑問にも思わず、スムーズに話しが展開し盛り上がっていた。 「類は友を呼ぶとはこのことか」タクは心に呟いた。ホイットニーだけが無神経なら、幽体離脱せず、心の動揺は凄まじかっただろう。ショーン だけがタクの顔を覗き込み、「タク、大丈夫か?」そんな言葉を彼の表情から読み取れた。10 人中、たったの 1 人しか感じ取れなかった、日 本的思慮深さがとても希薄な空間だった。

「だいたいの人にとって、ホイットニーの彼氏のタク、なんだけど、僕は逆で、タクの彼女のホイットニーなんだ。僕の友達はタクだから」

そんなことをショーンはタクに言ったこともある。この幽体離脱事件をきっかけに、ますますショーンのことを気に入ったタク。 その後、タクはタイミングを見計らいつつ勇気を振り絞ってホイットニーに尋ねてみたら、「あなたに言ってないんだから、そんなの不公平よ」 と憤慨していた。タクがそこにいようが、タクに伝えるための発言ではないので、いっこうに構わないらしい。言い返す言葉もなかった。

帰国前日。2 週間は生気を失っていたタク。ホイットニーと彼女のアイポッドを修復に渋谷のアップル本社に向かっていた。 手すりにつかまっている彼女の視点は曖昧で面長な顔だった。左を向きタクの顔を直視した。どことなく決意が伝わってくる眼差しだった。

「O.K.」

いつもより、やや早口だった。

「これ以上、あなたの悲しい顔みたくないわ。悲しませたくないのよ。望みどおりにしてあげるわ。あなたの望みはなに?」

タクは心の奥底にひそむドアのノブに初めて彼女の手が届いた気がした。

「なぜ、別れるのか納得できない」

「アメリカに帰らないと。私、もう 28 なのよ。あなたはまだ学生だからいいだろうけど、私はキャリアのこと真剣に考えなくちゃならないのよ」

あなたって子供ね、そんなホイットニーの心の声が聞こえてくる。

「帰国に反対してるんじゃないんだ」

「じゃあなによ?」

「帰国がなぜ別れと直結するか分からないんだ」

「.........」

数十秒の間。あのスイッチでも入ったのだろうか。

「それは無理なのよ。私には、遠距離恋愛なんてできやしないの」

はなから、ドアノブに手はかかっていなかった。子供のようにあしらおうとした感じがタクに伝わってきた。ハイになっているところを、崖から突 き落とされた。恋愛はドラッグと同じ、天然脳内麻薬なのだ。寂しさと相まって、僕の思考回路は麻痺していた。

「今日はふたりでいてあげるわね」

そう付け加えた彼女。
渋谷で用もすませ帰宅の電車内、ホイットニーはメールのやり取りをしていた。

「ケントとジョンが家に来るんですって」

「.........」

まだ崖の底には到達していなかったらしい。

「俺、誰とも会える精神状態じゃないんだ。一緒にマンションにはいけない」

「どうするの?」

「その辺をふらふらしてるさ。終わったら連絡して」

彼女の最寄り駅で別れた。
財布をみると数百円しかはいっていなかった。駅隣のデパートの階段に腰をおろした。とめどなく涙が溢れてくる。ニットボウで目を覆い隠 す。調子の悪いエンジンのように、泣いては止まり、降っては止んで。泣き出してどれほど経つのだろう。時間の感覚は麻痺していた。
「あれ、タクじゃん?」

「本当や。あんなニットボウあいつしかかぶっとらんもんな」

ホイットニーからもらった山吹色のニットボウ。
「ほっといたれや」

声が近づいてくる。目で確認してないがタクは声で、大学で仲のよい三人だと分かった。犬をおいはらうように、手で合図を送ったタク。
僕には遣り残したことがある。まだ、糸はきらしてはならない、そう思っていた。

<エピローグ>
帰国前夜、タクが待ち望んだはずだった、初めての「I love you」をホイットニーは口ずさんだ。

I love you. But I am not in love with you

を理由に遠距離恋愛を断たれたタク。ホイットニーの真意が言葉通りなのか、あのスイッチを押し、自分のまんまの感情に蓋をし、論理武装 した結果なのか、タクにはわからない。ホイットニーたちのお陰で、美化された西洋像は崩れ去り、逆カルチャーショックから解き放たれたタク は、Down to earth(地に足をつける)することができた。日本人として生きつつ、地球人として生きるスタートラインに立つことができた。

ハーバード大学留学時に出会った白人女性と国際結婚した、尊敬する大学の恩師がタクに言っていた
「大恋愛をしなさい」

という台詞がある。ホイットニーが種を蒔いた。(down to earth)地に足をつける切掛けをくれた。そして、次に交際した日本人女性は、羅針 盤であり、タクに立派な花を咲かせてくれた、太陽であり、水であった。

「Will you marry me?」

最後にタクの詩をこの一言に添えて終了する。

「君は僕 僕は君?」

いつも明るいあなた 社交というベール
君に触れていくうち 君の心の底に迷い込んだ
埃をかぶった扉をみつけた
どこかなつかしい
ベールに覆われていた 開かずの扉をのぞいてみると
見覚えのある空間が広がっていた
誰も入れない聖域
君だけの空間なはずなのに 鏡のように僕の孤独を 映し出していた
わかるかい
君は 僕なんだよ?
もう あの孤独には戻れない

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