バラと錠剤(14/15)〜アメリカ人との交際の物語

コートを着ないと寒くなってきた、砂の音がタクの脳裏に蘇った頃。ベットタウンだけのことはあり、彼女の最寄り駅西口にある夜の商店街は にぎやかだ。タクは二人乗りでママチャリをこぐのをあきらめ、押しながら商店街の人並みの中を歩いていた。

「私が去るとき、このチャリ、あなたにあげるね!」

「.........」

自転車が盗まれて家に帰るのも一苦労、そんな話しをしていた矢先だった。台詞自体は彼女らしい、いたって平凡なものだが、普段と変わら ぬ口調で、タクに好い事をしてあげるという誇らしげな態度に、なんとも言葉にしがたい辛さが込み上げてきた。

ひとまず、
ありがとう
この台詞は、脳裏に浮かんでいた。それでも、
ありがとう
その台詞を発するには、あまりにも、感傷的で、あまりにも、複雑すぎたタクの心境。

すねたガキのように、
チャリなんて、いらねいよ...

彼女が気づかないほど、微かにはにかんだタク。ここまでカッコつけ背伸びしてきたタクの口から、とても言える訳がない、稚拙な台詞を吐い ている自分の姿をタクは思い浮かべていた。この手の含意を読み取れない彼女に、この台詞を伝えても真意は届かず混乱だけが生まれる 疑念にかられた。混乱するならまだよい。「徒歩も健康に良いんだから自転車はいらないんだ」そのレベルの解釈すらありえた。こんなとき の、タクの繊細な気持ちなど感じ取れる感覚など秘めてはいない。日本的なのか、はたまた、タクが繊細すぎるだけなのか。ホイットニーは、乙女心的な感じで、繊細なところは繊細なのだろうが、日本的な忖度や思慮深さが欠けていた。タクの心意を感じ取れない彼女は、日本人 ではないかなら仕様がないと、どうしても割り切れないところがタクにはあった。キャシーやショーンならば、タクの心の機微を察し、慮ってくれ る。少なくとも、あのタイミングで、誇らしげに言うなんて絶対にありえなかった。ホイットニーよりもキャシーの方がタクのことを深く理解してい た。キャシーやショーンには、あの西洋産のスイッチは搭載されていなかった。論理を駆使するが、論理武装はしない。論理で感情を隠した り、誤魔化したり、蔑ろにしたり、欺いたりしなかった。論理的正しさ、自分の正義に拘泥せず、飾らず、自分自身のまんまを感じ、知り、受け 入れて大切にしていた。だからこそ、相手の気持ちも大切にし、慮り忖度できた。タクの理想の自然体がそこにはあった。グローバルスケー ルで、失敗と反省、自分に正直に懸命に生きた結果として伴う良質な経験と内省を繰り返した先に辿り着ける世界。粘着質にまとわりついて くる呪縛から抜け出し、何度も何度も殻を破っていく先に辿り着ける境地だろう。

「優しい隙間」

たくさんいろんな話もしてきた たくさん楽しい時間も共に過ごした
本当は、心の奥底で、もっと もっと 伝えたいことがあるんだ
でも
君には、この声が この声のままこの声として 聞こえないと思う
伝わらない、決して語られることのない この声が積もりに積もって
時や空間では埋めることのできない 君のいない 心の隙間が広がっていく
ふと振り返ると 相手の思いをくんであげ あわせてあげる
優しい人に 成り下がっている 自分がいた
愛ゆえに 優しく 愛ゆえに 際立つ そんな 隙間

タクのガラスのハートの葛藤は、ホイットニーのハートには届かない。恋愛をゲームに喩えるなら、ホイットニーを愛してしまった時点で、より 繊細で、より柔軟で、より視野が広いタクが敗者となる。当時のタクは、いないよりましのお付き合いは御免で、理解し合えなければ虚しくな るだけと考えていた。肉体関係の重なりは情を深める。タクは論理武装でバリケードをはり、結局のところ、ホイットニーとタクとのようなゲー ムを本能的に回避していたのだろう。傷つきたくないのだ。

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