バラと錠剤(12/15)〜アメリカ人との交際の物語

「おでこ」

薄暗がり、ベットの上 横たわる二人
見つめ合う視線
不意に、青い瞳を流れた すう滴の雫
悲しいとき つらいとき 感動したとき
そんなありふれた 雫ではなかった
どこまでもジュンスイで、何よりも 透き通っていた
君の真っ直ぐ懸命に生きようとする 繊細な心のように
どこか、爽やかで
とても、愛らしい
そんないとおしい雫 そしてぼくは、オデコにそっとキスをした

この詩に語られたホイットニーの涙の舞台裏を語る。夏の終わりに 2 週間ほど帰省したが、慣れ親しんだ自国の雰囲気は心地よく、「電話す るね」とタクに約束しておきながら、一度も電話しなかった。異国の地で張りつめていた糸が、自国に戻り切れてしまった。
2 週間が過ぎ日本に戻ったホイットニーに生気はなく、苛立つ惰性の日々が 1 週間ほど続いた。タクが学友と遊んでいたある晩、彼女の最 寄り駅脇のスーパーで、疲弊しきった彼女に遭遇した。遭いたくない人に出くわしてしまった、と表情が訴えてくる。寡黙だった。学友に「なん で彼女、怒ってたの?喧嘩でもしてるの?」と聞かれるほど、負の感情が充満していた。そんなホイットニーの姿を目の当たりにし、タクは悲 しくもあり、自分の存在価値を疑った。

「日本に住んで 3 年近く。充分すぎるほど居過ぎだから、来月仕事を辞めて、国に帰ろうと思う。このことをはじめにあなたに伝えたかった」

そんなある日、ベットの縁に座りホイットニーがタクに告げる。

「そっか」

それ以降の言葉はタクの耳には届かなかった。
始めからタクは二人に与えられた砂時計の存在を自覚していた。そして、ホイットニーの唐突に帰国を早めた決断を告げられた刹那、砂が 減っていく音、無くなっていく音が、鮮明に、刻々とタクを襲った。目の前の出来事としてタクの脳裏に刻まれる。死と一緒だ。みないつか死ぬ もの。そのことを受け入れつつも、己の死を目の前の出来事として、自覚した瞬間、己にとって死という存在は、まったく異なる次元へと移っ ていく。なんとなく、見たことないこと見たさから始まった二人の関係だったが、それほどタクは、ホイットニーを愛するようになっていた。
数日が過ぎ、覚悟を決めたタクは、メールを送った。

『僕たちの関係が始まってまもなく君は、「あなたがその気ならほかの誰とでも付き合っても、好きになってもいいからね」と言っていたよね。 あるときはまた、「私は気軽にセックスができないの。試そうとしたけど無理だったわ。それでも、あなただからいいと思った意味、わかるわよ ね?」とも言っていたよね。これって、君の心情、そして僕たちの複雑な関係を如実に表してると思うんだ。君は、意味のある、真剣な付き合 いをしたいと願っていた。それでも、国に帰るのが分かっていた。別れの際、傷つきたくないし、僕に傷ついてほしくもない。そんな状況に、罪 悪感も覚えている。アンビバレントなあの二つの台詞は、そういうことだと僕は受け取めてる。君と一緒にいた日々は、充実していた、幸せだ った。そんな過去を否定するきはない。だから後悔することはないよ。君もそうじゃないの?だから、君は悪いと思わなくていいんだ』

心の奥の方ではやるせなさが充満しているタクは、自分に言い聞かせるように文章を綴った。

「あなたほど、私の気持ちを分かってくれる人、初めてだわ。こんなにも深く私を理解してくれてありがとう。別れはつらいものよね。置いてい かれたことのある私だから、あなたの辛さも想像できるつもりよ。その辛さの分だけ、次の人生の章を期待しましょう。一度会って、じっくり語 り合わない?」

「明後日の晩、落ち合おう」

「分かった」

明後日の晩、前々から学友と飲む約束をしていた。ホイットニーも仕事終わり、その曜日はジムに通う習慣があったので、早くても 22 時半ぐ らいに帰宅すると読んでいたタク。話し合いの前に、飲んで気持ちをほぐしておきたかった。明くる日、珍しくホイットニーからのメールは来な かった。あえてタクからもメールをしなかった。約束の日、仕事が終わる 18 時半過ぎには、メールが来るとタクは予想していたが、未だ来ず。 学友と約束している 19 時を回った。何事だろうと内心では思いつつ、メールが来るまで、とりあえず友達と飲み続けるぞと決めた。会って話 すのがそこはかとなく怖くて逃げだしたい衝動が、タクにそんな着想を呼び起こした。22 時を過ぎた。電話が来た。

「どこにいるの?今日の晩に会う約束してたでしょ。8 時ぐらいから、家であなたを待ってるのよ」

「馬場で飲んでるよ。メールが来ないから、いつも通りジムに行っているかと思った」

「携帯代滞納してたから、さっきまで止められてたの。受信はできたから、あなたの連絡を待ってたのよ」

ケントにキャシーにジョン...彼らには、なにかと滞納癖がある。ホイットニーも例外ではなかった。タクの誕生日に彼女は昼から夕方までマン ションの掃除をしていたことがある。連休の初日が誕生日だったので、掃除は明日でも全く支障はなった。掃除のせいで、タクの誕生日の半 分は吹っ飛んでしまった。一度思いついたら、やらないと気が済まない質だった。そんなマイペースな彼女だ。今日もジムへ行くと疑わなかっ た。

「分かった。切りがいいところで抜け出して、そっちに向かうよ」

電話を切った。
終電まで飲んでしまったタク。1 時をちょっと過ぎたところで彼女のマンションに着いた。マンションに入ると最近引っ越してきたシェアメイトの イギリス人アンと居間で話しをしていた。アンにおやすみを告げ、部屋に入った二人。ベッドの上に横たわると、泡沫の刹那、見つめ合った。

「あなたにとって私は、大切じゃないのかと思った」

そのとき、投げやりになる訳でも、タクに当てつけるわけでもなく、自然と流れ落ちた雫。そのありのままの感情の露出が美しかった。こんな 美しい雫をタクはみたことがない。悲しいはずが、いとおしい瞬間へと変わっていた。タクはホイットニーを抱きしめ、

「Off course not.」

と、微かに微笑みながら、彼女の雫に語りかけるように、そっと静かにささやきながら、赤ちゃんのように広く弧を描いたおでこにそっとキスを した。会話をするつもりで落ち合った二人。もう、言葉はいらなかった。

夏雲が壮大にそびえていたタクの誕生日。タクは誕生日の興奮も手伝い、早朝に目が覚めた。タクのボロアパートには冷房がない。蒸し暑 かった。特に会う約束の時間は決めてなかったので、そのままホイットニーのマンションに出向いた。アメリカではあり得ないらしいが、カナダ では玄関の鍵をかけないらしい。カナダ人キャシーも住んでいるからか、いつも玄関の鍵は空いたままだった。玄関のドアを開け、ホイットニ ーの部屋のドアをノックした。

「What the hell are you doing here?」

目を擦らせながら、彼女は容赦なくタクに不快感を剥き出してきた。タクを部屋に入れずドアをしめ寝直した。タクは自分の誕生日を過大評 価していた。高揚していたタクの気持ちは萎えた。ホイットニーが目が醒めるまで、居間を抜けてベランダ沿い、キャシーの左隣りの空き部屋 の畳に寝そべった。
自分の空間への浸食を嫌っていたホイットニーだが、二人で過ごす空間が積み重なるうち、変化がみられた。

「こんなにも、長い時を無理なく過ごせた人ってはじめてたわ」

ホイットニーはタクに呟いた。彼女は彼と背中合わせに寝ないと、安心して寝れなくなっていった。ホイットニーは音に敏感な方だが、精神面 の影響だろう、タクのいびきは気にもならなかった。

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