人はもともと創造力と才気にあふれ、欠けることのない存在である@「コーチング・バイブル」

「コーチング・バイブル」の第2版を10年以上前に読んだ記憶がある。それまで、コーチングの書籍出版の裏には、印税狙いや顧客発掘・獲得というった、ビジネス臭が立ち込めてて、いまいち入り込めなかった。この本は、すっと心に届いた。コーチングという、生き様について記された、魂の籠もった書籍である。こういう書籍を死ぬまでに1つでも出版できたら、本望だろう。
私はデータサイエンス講座の講師も担当している。長いと数ヶ月に渡り、同じ受講生とお付き合いすることもある。講義中、息抜きも兼ねて、1日1冊は紹介するように心掛けている。
数式も、最小二乗法の式以外出てこないし、小難しいことは要らないというスタンスの本なので、触りとして読むにはお勧めの、河本薫さん著の「会社を変える分析力」によると、データ分析の素養は、「論理的思考力」「右脳的思考力」「感受性」の3つである。
その3つの素養は、コーアクティブコーチングに相通じるものがあると思ったので、受講生に紹介しようとアマゾンで検索したところ、つい最近、第4版が出版されたのを知った。ワクワクしながら、会社で図書申請し、手元に届いた。

この著書によると、コーアクティブコーチングの礎は、4つある。

人はもともと創造力と才気にあふれ、欠けることのない存在である
その人全てに焦点を当てる
いまこの瞬間から創る
本質的な変化を呼び起こす


10年前にも出会ってるはずの、一つ目のフレーズを、食い入るように眺めつつ、どきりとする自己をみいだす。

十代という、無知のなせる感覚なのか。十代の頃の私は、人に内在する創造力と才気を、信じて疑わなかった。

能力・才能には差があり、その差を競っている以上、どんなに頑張ってもプロスポーツ選手や芸術家になれるのは、ごく一部である。凄い人たちの中で、さらに凄い人たちの領域。 

十代の頃の私も流石に、頑張れば必ず実現できる、プロスポーツ選手やスーパーマンになれるとは、思っていなかった。

十代の頃の私は、心の底から周りを鼓舞する、可能性を疑わない、内から湧き上がる、情熱があった。

十代の頃の私は確かに、解釈は浅いなりに、

「人はもともと創造力と才気にあふれ、欠けることのない存在である」

という、信念を備えていたのだと思う。

当時の情熱は何処にいったのだろう。現実を目の当たりにしていくうち、情熱の灯火は、完全に消え去ったのか。面舞台からは遠ざかっているが、弱々しい灯火となり、彷徨いつつ、日の目を見ない日々に、くすぶっているだけなのか。

欠くことのない存在、とは?

スーパーマンには、誰もがなれない。プロスポーツ選手には、極々一部の恵まれた人たちしかなれない。

自分にはない、他者の才能を目の当たりにし、嘆き悲しみ、自分の運命を恨み、努力を放棄し、無気力に生きることもできる。

ないものに目を向けるのではなく、それぞれが、それぞれに、持って生まれた創造力と才知で、何かしら、自分らしい、意義を見出すこともできる。

そこは、欠くことができない存在として、他者が不可侵の、神聖な領域でもある。

そこには、動物でも可能な、快楽だけでなく、人にしか到達しえない、充実の地平が広がっている。

韓国人の親友は、かつて、ソウル大学を落ち、本気で自殺を考えだことがあるらしい。目的達成したら幸せで、未達なら不幸だなんて、人生そんなに短絡的にできているのか?

目的が全てではなく、一つ一つ、頑張っているプロセスから得られる一抹の手ごたえの連なりも、充実の地平の広がりであり、他者が不可侵の、神聖な領域であり、欠くことのできない存在、の、証ではないだろか。

うん、灯火、みーつけた。

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