バラと錠剤(11/15)〜アメリカ人との交際の物語

ホイットニーは裸族だ。いつしかタクも裸になり、背中を合わせ体温を感じながら、幼虫のように丸まって寝るようになっていった。ホイットニ ーが仕事の日は 5 分おきに鳴るように携帯電話のアラームを設定していた。だいたい 3 回目のビープ音で起き上がった。3 回目までの猶 予、寝ているとも起きているともとれる幻想的な狭間で、片時の戯れをしていた。上向きにカールの効いた彼の長まつ毛を眺め、「Cute」と囁 いたり、目にキスをしたり、肌を確かめあったりしていた。手の甲にキス。彼もそこにキスを返すと、赤ちゃんのような満面の微笑みをあげた。 あなたの唇はやわらかくて好きだしと言い、彼女はキスを求めた。

ピピピピ ピピピ

ホイットニーは、タクと向き合ったまま、おもむろに左腕を伸ばした。視線を向けず棚の上を物色し始めた。その日の朝も彼女は、3 度目のビ ープ音で起き上がりシャワーを浴びた。ちりちりで柔らかい髪質なので、朝浴びないと都合が悪かった。彼女がシャワーを浴びている間、尿 意に襲われたタクは、眠気と格闘しながらも、起き上がった。用をたし、ベットには戻らず居間に座り、彼女のマックのパソコンでインターネッ トを嗜んだ。彼女はシャワーを済ませると、いつものようにキッチンの蛇口からポットに水を注いだ。

チロ...チロ...

いつものような水の力を感じない。ポットに視線は向いているが、まるで焦点が合っていない。頭の中は何かに取り憑かれていた。ホイットニ ーはカードゲームをすると人より腹立ちやすく、集団スポーツで足並みを合わすのが苦手だ。一つのことに集中してしまう性質だった。水が 溢れでると我に返った。

「日本の女性みたいに思われては困る」

決意固めた表情で、座ってるタクの方に振り向き、ゆったりと言った。

「・・・・・・」

ネットサーフィンをしていたタクは虚をつかれ言葉を失う。何のことだ?紅茶か?紅茶を入れるのが嫌なのか?

「あなたもいる?」

と聞かれ、

「はい」

と返すのがお決まりのパターンだった。ポットに水を注ぎ、スイッチを入れお湯を沸かし、ティーバックをカップに入れお湯を注ぎ込む、いわば 朝飯前の作業である。 そもそも日本人女性にどんな印象を抱いているのか。ノルアドレナリン放出、眠気が吹っ飛び、頭をフル回転させているタクは、未だに無言 のまま。

「私はハウスワイフじゃない。自分のことは自分でやって」

憤慨の念を露にせず噛みしめるように、己に問いかけるように、絞り出すように注意深く言葉を選んで言い放った。
彼女の言動に動揺しつつ、無意識に刷り込まれた女性像を押し付けていたかもしれない、と省みたタク。ホイットニーと同じようにタクも、保 守的で画一的な風土で生まれ育った。日本的な女性像を彼女に求めていても不思議ではない。 タクは悶々としたまま、何も言えずにいた。とにかく思考の整理をつけたかった。適当に理由をつけて彼女の家をあとにした。
家路の 1 時間で、ホイットニーの科白について、あれやこれや、思いを巡らせた。青天の霹靂だったので、内省を始めた当初は、未知なる箇 所にすがっていた。確かに、ホイットニーはよく料理を作ってくれたが、材料を切るといった面倒な作業はタクが担当していた。ご飯を作ろうと 言い出すのは必ず彼女だった。作ってくれと、無言の雰囲気を醸し出しているのか。だとしてもキャシーやショーンのような世界基準の人材 ならともかく、日本人と比べて、無言のメッセージを察知する感覚に疎い西欧の彼らに、読みとけるとも思えない。パズルのピースが揃うにつ れ、タクの淡い希望は崩れ去っていった。ただ、ひたすら寂しかった。成熟した大人であれば、この思い違いの域は、愛嬌や文化の違いでは すまされない気がしてきた。 早合点はよくない。郷に入っては郷に従え、タクは考えに行き詰まったので、ケントに相談した。西洋人であり、知的でもある。ホイットニーと 一つ屋根の下で暮らしたこともあるケントになら、タクには行き着けない観点を提供してくれるかもしれない。

「ホイットニーがお前の行動を極端に解釈したように、お前も極端になっていると思う。それに、今年の終わりには、彼女は日本をさるんだか ら、急いで決断を下さなくてもいいんじゃないか」

それまでのタクは、「別れてもいい」と思っていた。ホイットニーはタクほど異文化交流に慣れていなかった。不慣れな文化を解釈するとき、ど うしても視野狭窄な、ボタンの掛け違えた結論に行きがちだ。反省と修正を繰り返していく者、上質な経験と内省を繰り返す者のみ、たどり着 ける深遠な境地もある。それは終わりなき旅でもある。ホイットニーには、そもそもその経験値が足りなかった。時間が解決するかもしれない とタクは期待した。この、情状酌量、執行猶予期間こそ、運命の別れ道とは、その時のタクには知る由もなかった。

「惚れる共通項」

好きだ とか すごい とか 気軽に言われるのは肌に合わない
でも、何よりも大切なのは 気軽に言うタイプ 言わないタイプ そんな枠組みじゃない
言葉でなんか騙されない
思いの丈を深みを心で感じとること
そう 大切なのは本物を感じ取れる器
それが惚れる共通項 そう思えるような恋がしたい

肝要なことは態度からこそ読み解けるし、大切な人には読み解けて欲しいという我儘がタクにはあった。自分を棚上げした青年臭さだった。 ケントに相談して、暫くたち、次に会った折、

「早合点はよくない。様子をみることにしたよ」

と告げたタクに、

「正直が一番。今の気持ちを素直に言った方がいい」

と、ケントの隣にいたジョンが口を挟んだ。白黒つけたがる短絡的なジョンらしさがでていた。
ホイットニーは遅番でまだ帰宅していなかったある日の事。ジョン、キャシー、キャシーの恋人ザックとタクで、ボードゲームをすることになっ た。彼女のマンションの居間で、テーブルを壁に立てかけスペースをつくり、ボードを置いた。ボード上にはマス目があり、アルファベットが点 在し、そのアルファベットと組み合わせて英単語を綴っていく。Z などレア文字ほど高ポイントがつく。ゲームで使用できる文字は、ランダムに 分配されたアルファベットを刻んだドミノのような正方形のピースである。

「ネイティブとこんなゲームして勝てるわけないじゃん」

ゲームの遣り方を理解したタクは投げやりになった。負けると分かっているゲームには参加したくない。

「なに都合のいいこといってるんだ?ネイティブ以上のボキャブラリーがあると自分で言ってたじゃないか」

「何ふざけた事言ってるんだ、却下!」とはき捨て取り合わない感じでジョンはゲームを進めようとした。 まだまだ英語圏の文化交流が浅かった、かつてのタクなら引き下がっていただろう。ステーションビアから始まった彼らとの交流も 2 年以上 は経過していた。不器用で気弱な先生を無垢な心で弄ぶ生徒のような幼き精神は、隙さえ見せれば、つけ込んでくる。大人の打算ではない 本能に近い反応。ジョンのタクへの態度は、生まれ育った環境で刷り込まれた習慣に起因するのではなく、ジョンの特徴であり、彼の幼き精 神に起因すると判断したタク。これ以上は、付け込ませたり、マウンティングさせまいと決意した。 ニューヨークマンハッタン島にある、宇多田ヒカルが卒業した名門、コロンビア大学に費用全額免除 1 名枠で、1 年間留学できるタクの通う大 学の制度があった。応募資格は TOEFL-CBT250 点以上である。TOEIC では、900 点に相当する。無料ならまた留学できると意気込んだタ クは TOEFL を受験した。267 点取得し応募したが落ちた。大学の授業がつまらな過ぎて最低限しか通わなかったので落ちて当然である。

「アカデミックな単語に限り、低学歴のネイティブよりも、ボキャブラリーがあるとは言ったが、そんなこと絶対に言っていない。実際に母国語 が英語の、シンガポール人の TOEFL の平均点よりは取れてるし」

タクは、基本的人権の尊重レベルの権利を行使したつもりでいた。ジョンはタクの人権を軽視していると感じ、それを指摘したつもりだった。 ジョンの心証は違った。初のタクのパンチがクロスカウンターで無防備なジョンの顎に直撃し、頬の筋肉が裂け、口は無作法に開き、目は充 血し今にも飛び出しそうな勢い。

「Wha-----t! So you call me a lier!」

ジョンの瞳から今にも涙が溢れそう。 周りの人は無視を決め込み、ゲームを始めていた。問題の発端はタクのクロスカウンターパンチにあるのは百も承知で、その輪に入り込み たかった。あまりの低次元さに、とにかく面倒くさかった。
夏も終わる頃、夏季休暇で 2 週間、ホイットニーがアメリカに帰省する前日、タクはお好み焼きを作った。彼女はサーモン以外の魚介類が嫌 いなので、鰹節を抜いた。好きなアニメの玩具をサプライズプレゼントされた幼児のように、ホイットニーは、るんるん気分だ。これでもかと言 うほど、「Thank you!」を連呼し、身体一杯に感謝の意をあらわしていた。 この態度こそ、ホイットニーが求めていたものとタクは思い至った。明治文学や司馬史観を好む古風なタクにとって身体一杯で表現するの は、どうしようもなくむず痒かった。感謝の意は口で述べるよりも行動で返したいというポリシーもあった。その想い自体は良かった。自分の 行動は意図で判断されて当然と見なしている癖に、相手の行動はにべもなく結果で判断する、未成熟な精神の性がある。返しているつもり のタクの行動が、ホイットニーにとっての結果として、お返しとして機能せず、タクはタクで返せている気でいた。同じ穴のむじなである。成熟 しているキャシーやショーンなら、こんな稚拙なボタンの掛け違いには陥らない。 ホイットニーには当たり前の感謝の表現を、タクは出来ていなかった。「日本人女性のように彼女が家事するのは当たり前だと思っている彼 の姿」をタクに投影していた。 それ以来、「紅茶いる?」と言わなくなった。「日本人女性のように彼女が家事をするのが当たり前だと思っているタクの姿」を投影する機会も 喪失し、うやむやなまま時は過ぎていった。

日本人と韓国人の女性を除けば、ありふれた日常で念入りな化粧をしない。ホイットニーもそうだった。陽に晒されると白人の肌は、容赦なく 赤に染まる。しみやソバカスもできやすい。 ある日、珍しくめかし込んだ彼女。膨らみがちな髪を念入りにセットし、しみ、ソバカスも化粧で綺麗さっぱり消している。

『容姿を褒めることに慣れていないんだ。胸中では今日の君を見て、「You’re so beautiful.」 と思ってても、いざ言葉にしようとすると...口に出せない。君たちは、すらっと、そして、しつこいほど、パートナーを褒めるよね』

外出し電車に揺られ、化粧映えしている彼女の端正な横顔に見とれながら、タクはホイットニーに呟いた。

「そうだと思う。でも、言葉で表現されなくても、そういうことはひしひしとあなたの心から感じるわ。だから全然気にしたこともないわよ」

ゆったり微笑んだ彼女。タクは感情が表情に出やすいたちだった。その当時のタクはまだそんな自分の性質に無自覚だった。スイスのインタ ーナショナルスクールに通っている生徒に冬休み帰国している間だけ、タクは家庭教師をしたことがある。日本人と違ってはっきりと伝えない と外国人は理解できないから、言葉にして伝えないと始まらないとその生徒が語っていた。そんなエピソードを思い出し噛み締めながら、幸 せな気持ちが胸中に広がっていった。
ホイットニーがタクをボーイフレンドと言い出し、まだタクはガールフレンドと呼ばない春さがりだった。気心知れたタクの日本人の親友二人を ホイットニーに合わせた。キャシーやケントとのように質量を伴った関係をタク以外の日本人と築けていなかった彼女。人格的に魅力があり、 杓子定規じゃない、目に輝きを帯びた、真っ直ぐな日本人と対面させたかった。三人でファミレスでお酒を嗜んでいるところに、仕事終わりの 彼女を誘った。片言の英語でも、誠意、人柄は通じるようで、ホイットニーはふんだんに雰囲気を楽しんでいた。

「Do you love him?」

「I really like him. But I don't as much as love him yet. まだ彼を知りきれていないもの。外見だけではなく内面にも魅力を感じたから、彼と一緒にいたいと思ったし、もっと知りたいと思ってるわ」

のちに放たれることになる、一生忘れることのない最強の英語、

I love you. But I am not in love with you.

と似たフレーズを口にした彼女。その時のタクは、「like と love の違いって何?」と想い巡らせる程度だった。
軽快にホイットニーがニックに「I love you.」
といい、「I love you too.」と返しているのを、何度も目撃したことがあった。ニックが彼女を捨て帰国し、タクがエニーを捨て、タクとホイットニー の関係が深まっていき 3 ヶ月は過ぎたが、ホイットニーはタクに「I love you」と告げなかった。半年が過ぎても、一向に言う気配はなかった。 ホイットニーがニックを僕より愛していたとタクは認めたくなかった。ニックのように白人で、英語圏で生まれ育ち、大学も卒業し社会人として 働いていたら、彼女は僕と結婚を考える自信がタクにはあった。この関係の始まりに、真剣な、別れの時に傷つくような付き合いはしない、日 本だけの限定された関係と定義付けた彼女の計画書。タクの存在は、彼女が草案した、「日本の章」と共に、思い出として封印する気でいる とタクは思った。心情が変われば、計画も変更するタクにとっては、共感しようがない神業だった。それでも、せめて、一緒に過ごせる泡沫の 刹那だけでいい、彼女と素直に

I love you.

と口ずさみ合いたかった。

「もう会うの止めればいいのに。これからもっと辛くなるよ」

タクは学友に諭されたことがある。

「どうころんでも、これ以上、辛くなることはない。少しでも、意味のある時間を過ごしたいと思ってる。それが、僕が唯一できることだ」

と返した。
頑なに「I love you」と言わないゲームに、ホイットニー自身気づいていない節がタクにはあった。タクには、別れたとき、彼女が日本を去るとき の、自己防衛線の一つが、このゲームだと思えてならない。溢れんばかりに胸一杯に広がり、口から漏れでそうな「I love you」を、彼女の傷 口に塩を塗る、広める行為として戒めたタク。理性を剥ぎ取った、生まれ出たまんまの感情の源泉では、彼女のほうから言い出すことを、待 ち浴びていた。別れのために、日本を去るときに備え、自分の気持ちを誤摩化すのは卑怯だという思いもあった。

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