バラと錠剤(13/15)〜アメリカ人との交際の物語

夏雲が壮大にそびえていたタクの誕生日。タクは誕生日の興奮も手伝い、早朝に目が覚めた。タクのボロアパートには冷房がない。蒸し暑 かった。特に会う約束の時間は決めてなかったので、そのままホイットニーのマンションに出向いた。アメリカではあり得ないらしいが、カナダ では玄関の鍵をかけないらしい。カナダ人キャシーも住んでいるからか、いつも玄関の鍵は空いたままだった。玄関のドアを開け、ホイットニ ーの部屋のドアをノックした。

「What the hell are you doing here?」

目を擦らせながら、彼女は容赦なくタクに不快感を剥き出してきた。タクを部屋に入れずドアをしめ寝直した。タクは自分の誕生日を過大評 価していた。高揚していたタクの気持ちは萎えた。ホイットニーが目が醒めるまで、居間を抜けてベランダ沿い、キャシーの左隣りの空き部屋 の畳に寝そべった。
自分の空間への浸食を嫌っていたホイットニーだが、二人で過ごす空間が積み重なるうち、変化がみられた。

「こんなにも、長い時を無理なく過ごせた人ってはじめてたわ」

ホイットニーはタクに呟いた。彼女は彼と背中合わせに寝ないと、安心して寝れなくなっていった。ホイットニーは音に敏感な方だが、精神面 の影響だろう、タクのいびきは気にもならなかった。

「別れの時」
本当に好きな人ができたらこの人が最後だって思う
でも実際は... それが叶うことなどごく希で
だからこそ思う!
僕と出会ったしるしを 彼女の心の奥に 刻みたい
そう、
僕と出会い 一緒に成長できたとしたならば
僕は彼女の中に 彼女は僕の中に 生きつづけることができる
だからこそ思う!
そう思わせるような恋をしたい そう思えるような恋をしたい

あんなにも自分の空間を侵食されるのを嫌ったホイットニーの内的変化をみて、タクは微笑ましかった。一生の伴侶と末永く幸せを築く為の、 とても大切な内的変化だと、確信していた。確信せずにはいれなかったタク。しがみつく何か、意義を見出したかった。彼女の心に、僕と過ご した証が、刻まれていれば、本望だった。
「おでこ」の日から数日が過ぎた。

「南アメリカ旅行するのに、お金いるから、11 月末まで働くことにするわ」

どれだけタクに精神的動揺を与えたかなど、いっこうに御構い無しの彼女は、あっさりさっぱりと撤回した。タクは振り回されたと思ったが、少 しも嫌な気持ちはせず、止めどなくあふれでるマグマのような情熱で、嬉しさが込み上げてきた。鮮明に刻んでいた砂時計の砂が落ち、ぶつ かり合う音がタクの脳裏から消えた。少なくとも 2 ヶ月ほど、二人の未来は繋ぎとめられた。

「仕事終わりにジムに寄って帰る予定だから、9 時半頃に駅の西口で会いましょ」

「分かった」

ホイットニーの誕生日前夜、メールを交わした。アメリカから帰ってきて、1 ヶ月と少し、一度はタクの脳裏に焼き付けられた砂時計は消え、泡 沫の愛が豊熟を迎える貴重なひととき。キャシーとケントと彼女で、なにやら誕生日の計画をしていたが、タクには検討がつかなかった。
タクの誕生日には、ホイットニーからのプレゼントはなかったが、彼女がデート代全てを負担した。彼女は友達の誕生日には、プレゼントを買 っていた。タクはプレゼントを買うべきか悩んだ。ケントに相談した。

「簡単なものでいいから買った方がいい。女の子女の子している所があるホイットニーのようなタイプは、べただが花束とか喜ぶよ」

どことなく古風なタクは花を贈った経験がない。泡沫の生を可憐に全うする生花。タクは二人の関係にぴったりな気がした。物理的なことに大 雑把なタクは、約束の 5 分前に、待ち合わせの駅隣りのスーパーで赤いバラを一輪かった。21 時半になってもホイットニーは現れない。この 周辺には大学の知人が沢山いる。バラを持ち続けるのが恥ずかしくなってきた。いつ着きそうか確認のメールを入れる。部屋で外出の準備 中で、居酒屋で食事し、表参道近くのクラブに行き朝まで楽しむ予定という返信が来た。今すでにむず痒いのに、バラを朝まで持ち歩くなど あり得なかった。今から彼女のマンションに寄ると伝えるため、彼女に電話したが出ない。シャワーでも浴びているのかと思ったタクは、彼女 のマンションに足早に向かった。中間地点で向こうから来る彼女が見えた。急いでジャケットの脇にバラを隠した。彼女はタクに気づいた。

「Sorry I am late. Why are you going this way?」

むず痒ゆさを堪えつつ、バラをさし出す。

「これを私に!?ありがとう!なんてラブリーなの。花なんて、パパ以外の男性から貰ったことないわよ」

安っぽい一輪のバラを皺くちゃな笑顔で噛み締めていた。全身に染み渡る喜びように、この笑顔にふさわしい、満杯の花束を贈れば良かっ たと悔いた。

「朝まで花を持ち歩かない方がいいと思って、君の家まで行ってたんだ」

「それじゃ、一緒に戻りましょう」

彼女のマンションに着いた。タクはグラスに水を入れバラをさした。彼女はリョックのジップをおろし、タクに見えるようにして、遠足を待ちわび る園児のような無邪気さで中を見やり顎で指した。

「いいものがある。あなたの分も買ってあるから」

透明の袋の中には 2 錠のピルが入っていた。タクは固まる。オーストラリアで ADHD の子供に処方される薬と成分は同じピルなので、タバ コよりは害はない。ただ、タバコと同様、常用すると依存性はある。タバコも吸わない健康オタクの彼女が、「私の誕生日に保守的な殻を破る 儀式を、私と同じ境遇のあなたと一緒にしたいの」と、語ってるようにみえる。タクには、さらなる世界に受け入れられる為の踏み絵にも見え た。

「I see...」

否定も肯定もせず、地蔵のように硬直した無機質なタクの表情。彼女はタクの喜ぶ姿を想像していた。タクの気を悪くさせてしまってないか勘 ぐっていた。
ピル好きのオーストラリア人ナンシーと駅前で合流し表参道に向かった。

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