バラと錠剤(8/15)〜アメリカ人との交際の物語

お互い付き合っていると認めてそれほど月日が経ってない、一軒家からキャシーと共にホイットニーがマンションに引っ越したばかりの春さ がり。ちょうどいい機会だと思い、ホイットニーは日本語の勉強を始めていた。日本にやってきて二年半近く。英語では、the most、や the best の単語が頻出する為、どこまで間に受ければ良いかタクには分からなかったが、男女を含め、しっかりと友達になりたい、心から興味を そそられる日本人は、タクしかいないと語ったことがある。 ホイットニーのマンションから駅に向かい、右からケント、ホイットニー、タクの三人で横並びで歩いていた。

「2 年以上も日本にいて、まだこんな日本語学んでるの?」

好きな子ほど苛めたくなるたちのタクは、おちゃめ心もくすぐられ、少しからかってみた。

ドスン!

肺に裏拳。思はず息がとまった。ジムで空手も習っていたホイットニーのラリアットのようなパンチ。

「Sorry」

首をピクリともタクの方にむけずに言い放った。アルビノのように白い頭部から血管がくっきりと見えるほど硬直していた。怒りがおさまらない ホイットニーは、ATM でお金を下ろす為、早足で銀行に寄った。

「だから何だ?勉強する価値のない言語をしゃべれないで、何が悪いんだ」

ケントにむかって長いこと日本にいるのに日本語を話せないことを揶揄すると、そんな感じの返しがくると思ったタク。

「そんなにひどいこと言った、俺?普通じゃん、俺らの間じゃ、みんなやってんじゃん」

「一生懸命やってるんだから、彼氏には励ましてもらいたかったんだろう」

社交辞令のような月並みの返事。 一度もホイットニーはタクの英語の拙さを、からかったり指摘したりすることはなかった。ネイティブという出自の立場を利用し、ジョンが度をこ してタクを馬鹿にすると、ホイットニーは、まるでタクの代弁者だと言わんばかりに、ジョンに突っかかっていった。二度とホイットニーの自尊心 を傷つける類のからかいを言わないとタクは心に誓った。

太陽が頭上を炎々と照りつけていた。大学進学のため、上京した年の初夏だった。タクは西武秩父駅から御花畑駅を目指し歩いていた。お もむろにポケットから携帯電話を取り出した。前日からキャンプしているはずのニックに電話をするためだ。繋がらない。電池でも切れたのだ ろうか。電波が届かないのかもしれない。ケントにも掛けてみた。やはり、でない。とうに正午を過ぎていた。心に付き纏っていた漠然とした違 和感が的中した。今友がいるはずのキャンプ地に行くのは 2 度目で、お花畑駅から数駅くだり、そこから 20 分弱川沿いを歩かくとキャンプ地 につくはずだった。ぺちゃくちゃお喋りしながら友の跡を辿っていった以前とは違う。駅の名前すら曖昧だったタクはキャンプ地の名前も覚え ていない。ろくに準備もせずキャンプ地の名も確認せず一先ず電車に乗った。
「EASY COME EASY GO」「やらない後悔よりやる後悔」といった人生のモットーが板がついてきたなと思いつつ、無理な話...か、思わず、苦 笑い。ある思い出がタクの脳裏をかすめていた。舞台はオーストラリア人女性、ニーナのマンション。ニックの休日の木曜日、ある晩の出来 事。大学にも慣れてきた頃だった。昼過ぎ授業を終えると足早に自転車に乗り、ニックのアパートに直行した。ドアベルをならしつつ、続けざ まにドアノブを回した。 ドアを開けると共に、神秘的で異様な音楽が耳に飛び込んで来た。ニックは不思議な曲を好む。ヴォーカルの入った 曲は嫌いらしく、ボブマリーのようなレゲイ音楽に聞こえなくもないが、どこか違う。いくぶん、アボリジニーやマオリの音楽がおり混ざっている ような感じ。 上半身裸で、ニックが居間を片付けていた。かなり髭の濃いタクにも優るニック。剃った刹那から青いが、もみあげから顎の輪郭に沿って、か 細く髭を生やしている。ふわふわした、蔦のような胸毛。ケントもそうだが、乳首にニップルリングをつけている。こっそり筋トレでもしているの か、引き締まった身体。白人以外にもどことなくマオリの DNA も混じっているのか、髭の濃さも手伝って、ややアラブチックな顔つき。青では なく、栗色のビー玉のような目の色をしていた。

「Hi!」

「来たか。後少しで片付くから、その後、お酒でも買いにいこう。出るときにこっちのゴミ袋、出してくれないか。まあ、その辺にでも座っててく れ」

彼は居間のソファーに目をやった。ヴィンセントという香港系カナダ人も引っ越して来て間もなくだった。中国返還で、金持ちがこぞって海外 に移住したがヴィンセント一家もその時にカナダに移民してきた。交友を広げていくと、歴史上の事件が生々しさを帯びてくる。例えば小学生 の頃、父が中国で教鞭をとっていて、ホテル暮らしをしていた時、天安門事件が起きホテルの窓からその様子を覗いてたカナダ人の知人、ロ ーがいる。彼はフォトグラフィックメモリーの持ち主で、惰性でハッパばかり吸っていたが、テストはオール A だった。彼の何倍勉強しても彼の 方が成績がいいので馬鹿馬鹿しくなると、大学の頃から付き合っている彼女は嘆いていた。ジョンとローは同じ英会話スクールの先生だが、 日本人上司に認められて、ローが昇進したことにジョンは腹を立てていた。内気で無口でどこか生気がないローのことをジョンは認めていな かった。

「ゴミを出すのも俺、居間を片付けるのも俺」

ニックがタクにぼやいていたことがある。それでも、ルームメイトのジョンやヴィンセントに催促するまで不快でもないらしい。日課のようにこな していた。料理後、キッチンを散らかしたままにするルームメートに苛立ちを覚えつつも、面と向かって文句も言えず悶々としていた、留学の 時出会ったタクの、韓国人の親友とは対照的な反応だった。一見すると能天気に見えがちなニックだが、実際はよくものを見ている。

「話しを引き出すのが上手い」

ケントがニックを褒めていたことがあった。観察眼が鋭く、あえて他人と対立をしない、したたかさがあった。 近くのコンビニで買い物を済ませると、その日もいつもの木曜日のように、夜を待つことなく、ワインを飲みだした。ニックは人生を嗜む天才 だ。特別なものは何も要らない。その中で十分に幸せを生み出せる器があった。その辺は、どことなく留学中に交際を始めたエニーと似てい た。長所短所は表裏一体。切磋琢磨するといった勤勉の類とは無縁に近い人種でもあった。タクはニックといると、時空はゆったりと流れ、そ の空間はまるでオーストラリアにいたときのような錯覚を起こした。

プルルルル プルルルル
ニックの携帯。

窓越しに外へ目をやると、すでに日は暮れていた。ニーナからの電話だった。彼女は 20 代半ば、カールの効いたブロンドの長髪で青い目。 ぽっちゃり気味だが整った顔をしていた。ニーナのマンションはニックのアパートから駅を跨いで反対側に位置する。とりあえず、ニーナのマ ンションから目と鼻の先にある笑笑で落ち合うことになった。ニーナのハウスメートのオーストラリア人ジェイミーも加わり、四人で軽く食事を 済ませた。ジェイミーも 20 代半ばで、母はマレーシア系、父がオーストラリアの白人系のハーフで、出自がわからないエキゾティックな容姿を していた。ニーナのマンションで飲み直すことになった。帰り道のコンビニでワインボトル2本に、酎ハイの缶を数本購入した。 適度に飲み交わしながら 8 マイルという映画を見ることになった。白人ラッパー、エミネム主演の映画だ。当然の如く字幕なしで、しかも、タク にとって聞き慣れない黒人英語も頻出し、聞き取れないことも多く、いつの間にか寝入ってしまった。 夢見心地に、どこからか、喘ぎ声が聞こえる。セックスシーンでもやっているのだろうか。中々やまないので、気になって寝付けない。どことな く臨場感が伝わってくる。目を開くとラップを刻むエミネムがブラウン管上に映っていた。喘ぎ声は激しさを増すばかりで、エミネムの声が掻き 消されていく。周りを見渡しても誰もいなかった。左を向くとニーナの部屋の襖がラップのようにリズムを刻み震えていた。彼女の部屋は和式で襖を挟んで居間と繋がっている。予期せぬ事態に目が覚めきってしまった。何とも気まずさを感じ、帰ろうと思った。ジェイミーはどこにいる のだろう。そうこうしているうちに、ジェイミーがバスルームから出てきた。シャワーを浴びた直後で髪は濡れており、顔にも水滴が残ってい る。明らかにバスタオル一枚しか着ていない。
.........
オーストラリアでは家内で所構わずバスタオル一枚で歩き回るのか。少なくとも留学中に経験した記憶はない。ジェイミーは、タクが遠距離恋 愛中と知っていた。ジェイミーにもオーストラリアに彼氏がいるのをタクは知っていた。ジェイミーにとって、さっぱりした肉体関係を持つにはタ クが都合よく見えたのかもしれない。典型的日本人ではなくタクもエキゾチックな容姿をしているので、ジェイミーのタイプかもしれない。ニー ナの声で性欲を駆り立てられたのかもしれない。汗をかくような季節ではない。なぜ、このタイミングでシャワーを浴びようとおもったのか。ど う解釈すればいいのか。

「帰るは」

立ち上がったタク。いくぶん驚きを取り繕っているような表情を浮かべたジェイミーは、タクの腕を掴んだ。

「本当に帰るの?」

念押しで確認してきたが、かまわず玄関に向かった。靴を履こうとしていると、禁断の襖が開く音がした。タオルケット一枚で、ニーナが居間 に立っていた。汗をかいていた。タオルのみ、濡れた女性二人の競演、異常な風景。ニーナは靴を履き終えたタクに手を振った。喘ぎ声が聞 かれていたのは知っているはずだが、すっきりした微笑みを浮かべ、まったく恥ずかしそうな素振りをみせない。玄関口から襖は垂直方向に あり、ニーナの部屋の中は見えない。ニックは部屋から上半身を乗り出した。

「bye bye.」

タクに別れを告げた。
マンションを去った。ニーナとニックの、あの満足げな笑みがタクの脳裏に焼きついている。それからもニックとニーナの間で色々あったが、 付き合うことはなかった。その半年後、ニックはホイットニーと付き合うことになる。その後ほどなくタクは、ニーナやジェイミーと再会したが、 以前と全く変わらぬ態度で接してきた、後腐れない感じが爽快だった。

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