バラと錠剤(6/15)〜アメリカ人との交際の物語

玄関を抜けた所に、キッチン付き居間があり、その奥、ベランダに面した 2 部屋のうち左側がニックに割り当てられていた。ニックの部屋のド アが開くと、料理のときに流していた、ニックお気に入りの音楽が飛び出してきた。

「最近よそよそしいんじゃないか。友達は友達だ。恋人ができようが、関係ない。会いたいから会うんだ。今までのように連絡してくれ」

ニックはそう言い、タクにハイタッチを求めた。

「そうよ」

と言い、ホイットニーは微笑を覗かせた。
彼らと交流を深めていきタクが感じたこと、それは親しい友のために、是が非でも時間を確保しようとする姿勢だ。徹底的に友達を大切にす る姿勢はタクも見習いたいと思った。

薄着だと肌寒くなってきたある平日の夕方、タクは学友たちとカラオケを嗜んでいると、

『風邪。家に帰ってアラン(の)料理を作る予定』

というホイットニーからのメール。

『大丈夫?』

『大丈夫よ』

肥満大国出身の癖に、健康志向のホイットニーは、出勤する前に「スムーディー」という飲み物を作って飲む習慣がある。果物と飲み物をミキ サーにかけたものがスムーディーで、バナナ、イチゴ、ブルーベリー、皮ごとキューイに 100%パイナップルジュース、もしくは、豆乳がホイット ニーのお気に入りのレシピだ。パーティーでは、贅沢をしてココナッツや、テキーラ、スコッチなどのアルコールも入れる。 カラオケを終えた。ホイットニーのマンションはそう遠くなかったので、見舞うことにした。改札前で友達に別れを告げ、駅隣のスーパーマーケ ットに寄った。風邪にはなんといって果物だろう。ホイットニーお気に入りのレシピの材料を買った。 事前に伝えず不意に訪問したほうが喜びも倍増すると思ったタクは、ベルも押さずドアを開けてみると玄関口からホイットニーの姿が目に飛 び込んできた。 コタツにもなる足の低いテーブルに置いてあるノートパソコンでインターネットでもしていたのだろうか。居間に仰向けでねころがり、腿を持ち 上げ、いじけた餓鬼がだだをこねるように、それでもゆっくりと、ばたばた膝から足にかけて動かしていた。誰かと電話をしている最中だった。 柔軟体操か?いや、むしろ、エアロビックスに近い。どこをどうみても、元気な姿。カチャというドアの開く音に気づき左を向いていたホイットニ ーは、タクを見て一寸もニコリともしないで、不意をつかれた猫のような、一瞬の驚きが伺えただけだった。すぐに、正面へ向きなおした。天井 を見ながら、電話に応対していた。電話を切った。

「What the hell are you doing here?」

あなた一体こんな所で何してるの、といった具合で、彼女の表情からは不快と困惑の入り交じった色がにじみ出ていた。

「風邪だって聞いたから見舞いにきたんだ」

「私が風邪なんじゃないよ。風邪をひいたのは、アレンよ。彼に野菜スープを作ってあげてたの」

アレンとはどこぞやの地名で、どこぞやの郷愁料理でも作るのだろうと勘違いしていたタク。そういえば、ロンドン出身のそんな奴いたなと思 い出した。一緒にサッカーをしたことがある。

「果物を買ってきた。これで好きな時にスムーディーでも作って飲んで」

みごとに表情が一変した。

「私が風邪だと思って、わざわざ買ってきてくれたの?なんて優しい人なの、ありがとう」

そう言い放つと、抱きついてキスをしてきた。

「明日の朝にでも、スームーディーを作らせてもらうわね。今日は一人でいたいから、家に帰ってね。今から、彼の家にスープ持って行くところ だったから、一緒に出ましょう」

喜びようと、帰れという言葉のギャップにタクの胸は締め付けられた。子供の残虐で無垢な一言のようにためらいを知らない、すんなり出てく る、帰れ、を聞いていると、侘しさが込み上げてきた。海底へと沈没していく船のように、沈んでいったタクの眼差しの果てに、数世紀の時を 越えて海の底に横たわった船の残骸、静寂さに包まれていた。

「plans plan plans.」とケントに喩えられたこともあるホイットニーの性格。「今日は友達の料理を作ってあげて、一人でテレビを見る日なの」こ の日はだれ、あの日はだれと、お友達リストからスケジュールに当てはめていく。そんなホイットニーのリストの一部にタクが割り当てられて いた。異文化圏で育ったのだからしかたがないと、タクは頭では理解しつつ、「その中のひとりにすぎない僕は彼女にとってそんな存在でしか ないのか」、と感傷的にもなった。相対的にみると、タクに一番多く時間を割り当てられていた。そう思うと、「僕は彼女にとって掛け替えのな い特別な存在だ」と感じられた。いや、感じずにはいられなかったのかもしれない。事実の断片を継ぎ接ぎ、都合のいいパズルのピースを創 り出し、はめ込む。これはもしかすると、後に語られることになる、あるスイッチの仕業かもしれない。

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