見出し画像

「まずい」という違和感を忘れずに

作った方に対しては、大変失礼な話なのかもしれないが、すごくまずいコーヒー粉を買ってしまった。とにかく酸っぱい。コーヒーとは別の飲み物のように感じるぐらいだ。牛乳を混ぜて、少しでも酸味をやわらげようとするが、あまり意味がない。むしろ雑味が増す。やはりまずい。300gのもので、大体20杯〜30杯分ぐらいある。あまりのまずさにもう捨ててしまおうかと思った。これが1ヶ月前ぐらいのことだ。

しかし毎日飲み続け、あと数杯でなくなるところまできた。なぜ毎日飲み続けられたのかというと、途中からあまりまずく感じなくなったからだった。あれだけ酸っぱいと思っていたのに、今ではコーヒーってこういうもんだよなとどこかで納得している自分がいる。うまいとは言えないが、捨ててしまうほどまずいことはない。普通に飲める。毎日飲み続けたことで、そのように思うようになった。

他にもはじめはまずいと思っていたのに、それが普通だと思うようになったものはたくさんある。ビールを初めて飲んだときは、なんでこんな苦いものを大人はうまいと言って飲んでいるのか甚だ疑問だった。たばこなんて一生吸わないと思っていたのに、喫煙者になってしまった。ビールもたばこも、この味がいいんだと思うようになった。

本当においしいものなのかどうかはわからないのだが、たぶん味に慣れてしまったのだと思う。まずいと思っていたはずなのに、継続的に口に入れるようになり、それが当たり前になってしまった。そしていつからかうまいと感じるようになった。

もしかしたらいま飲んでいるコーヒーも、このままずっと飲み続けていればうまいと思うようになるかもしれない。これがいいんだと思うかもしれない。そうなってしまうのが少し怖い。


「人間は何事にも慣れる存在だ」とドストエフスキーが残した言葉がある。はじめは違和感を抱いていたのに、それに慣れ、いつしか忘れてしまう。それが人間であるらしい。まずいと思っていたコーヒーを、これが普通の味だと認識し、いつからかうまいと思うようになってしまう自分。これが人間の性なのかと飲み込むこともできるのだろうが、違和感をもっと大切にするべきではないだろうか。

戦争にも慣れて、これが当たり前だよねと思う自分にはなりたくない。小さな違和感をまずは大切にすること。そこからどうしたら変化できるだろうかと考えること。実際に行動に起こすこと。それが大事なような気がする。

近い内にコーヒー豆を買ってみよう。そうしたらきっと抱いていた違和感を思い出すかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?