不幸せな四つ葉のクローバー
「四つ葉のクローバーを見つけると幸せになれる」
誰しもが一度は聞いたことがあるだろうし、一度は探したことがあるだろう。
ぼくもよく小さい頃は探し回った。
その辺に生えているクローバーを見つけると、四つ葉はないかな? と探したものだ。
そして見つけると、宝くじでも当たったかのように喜んだ。
これで幸せになれるのだ!! と思っていた。
でもそれがいつの間にか、四つ葉のクローバーを見つけたら本当に幸せになれるんだろうか? と疑問を抱くようになった。
いや、もはや、そんなのただの迷信だよねと思うようになった。
だってそれが本当だったら、みんな学校とか仕事とか行かずに、四つ葉のクローバーを探すはずだ。
いままでに見つけた四つ葉のクローバーをみんな大切にとっておくはずだ。
とっくにみんな幸せになってるはずだ。
でも四つ葉のクローバーなんか探さずに、みんな幸せになるために必死ではないか。
そんなことを考えていたら、ある結論に至った。
四つ葉のクローバーはもしかしたら、幸せの象徴なんかではなくて、不幸せの象徴なのかもしれない。
四つ葉のクローバーがそもそもなんで幸せの象徴と呼ばれるようになったのだろう。
簡単な憶測でしかないのだが、「存在が特別だから」ではないだろうか。
三つ葉のクローバーはどこにでも生えているのに対して、四つ葉のクローバーは珍しい。
なかなか見つけることができない。
だから見つけることができたら幸せ。
そんなとこではないか。
簡単なロジックだ。
そもそも三つ葉が四つ葉になる理由は、突然変異もあるだろうが、成長の過程で傷つけられたことによるものが多いらしい。
人間などによって傷つけられた部分から分裂した葉っぱが四枚目として生える。
それが四つ葉のクローバーの正体だ。
傷つけられて生えてきたのに幸せの象徴?
むしろ不幸せではないか?
別に否定をしたいわけではない。
四つ葉のクローバーを見つけただけで本当に幸せになれたら、それはそれでいいと思う。
幸せになれなくても、見つけただけでテンションが上がって、少しでも気分が上向きになるだけでもいいと思う。
でも四つ葉のクローバーの気持ちを想像してみたら、ふざけんなっ!! という感じではなかろうか。
だって、だってだって、葉っぱが一枚多いだけなのに、人間どもに引きちぎられちゃうじゃないか。
傷つけられて生えてきた葉っぱのせいで、引きちぎられちゃうじゃないか。
幸せだと勝手に背負わされて、引きちぎられちゃうじゃないか。
大切にされるんでもなく、引きちぎられた上に、人間たちに見せびらかされるだけだ。
その後は捨てられちゃうじゃないか。
せっかく大きく育ったのに……。
人間どもは四つ葉のクローバー探しを始めると、これだ! あれだ! と言いながら、クローバー狩りを始める。
四つ葉を探して、それっぽいクローバーを端から順々に引きちぎっていきやがる。
「あっ、なんだ、これは三つ葉か……」
間違えられた三つ葉は無残にも引きちぎられ、そのまま捨てらちゃう。
「三つ葉が次々に狩られてる……私のせいで……ごめんね……」
自分のせいで狩られた三つ葉たち。
四つ葉の心の中は罪悪感でいっぱいだ。
それに次は自分の番かもしれない。
そう思うと、怖くて怖くてたまらない。
「どうして人間たちはこんなひどいことをするのだろう」
考えてみるけれど、そんなことわかりっこない。
笑顔で次々と仲間を引きちぎっていく人間どもだ。
人間どもは必死になって探す。
そして見つけたらなんの躊躇もなく引きちぎっていきやがる。
その後、押し花にしてくれるならまだしも、ほとんどがすぐに捨てやがる。
「四つ葉のクローバー見つけたよ!!」
「わぁ、本当だ! すごいね!! これで幸せになれるね!!」
「うん!!!」
そんな会話をして、10分、15分もすればポイッと捨てるんだ。
おい、おいおい、待て待て。
勝手に引きちぎりやがって、くっそ。こちとらお前らを幸せにするために生えてるんじゃねーんだよ。
好きで四つ葉になったわけでもねーのに、たまらんわ。ちくしょー。ごめんな、三つ葉たち。……無念。
四つ葉のクローバーの気持ちはこんなものだろう。
想像しただけで可哀想ではないか。
幸せではなくて不幸せのクローバー。
それが四つ葉のクローバー。
見る視点を変えてみると、幸せの四つ葉のクローバーも不幸せの四つ葉のクローバーに思える。
それと一緒で、ぼくら人間にとっての幸せも他人が勝手に決められるものではないのだ。
こうしたら幸せになれる。こうしたら不幸せになる。
そんなものは誰かが決めた勝手なイメージだ。
その人にとって幸せだって思えるかどうかはその人次第ではないか。
四つ葉のクローバーが幸せかどうかなんて本当のことを言えばわからない。
ぼくはクローバーではないから、どんだけ考えてもわかりっこない。
もしかしたら幸せの象徴として引きちぎられることが、クローバーにとっても幸せなのかもしれない。
でもそれと同じようにクローバーにとっては不幸せな可能性だって十分ある。
他者が作り上げた幸せのイメージを闇雲に信じないようにしよう。
その幸せを強要されて、不幸せになっているものもいるかもしれないのだから。
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