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普段話せないようなことを話せる時間。

自然体な生き方を考えるメディア「ソラミド」で、ラジオ収録を2週に一度行っている。編集後記やソラミド編集部の内情なんかについて話すこともあれば、編集部員が気になったテーマで話すこともある。今日はその収録日で、「死生観」や「お金」について話した。

「死生観」「お金」というテーマで、誰かと話すことはあるだろうか。ぼくはない。友だちとも、家族とも真剣に話したことはない。とても扱いづらいテーマだと思う。「死ぬこと」「生きること」「お金」の話なんて友だちとすれば、その場が冷めてしまう気がする。家族においても同様だ。「いきなりどうしたの?」「変な宗教にでも入ったの?」なんて心配されるだろう。そんな普段話せないようなことを話せる時間がとても貴重だと思った。

話したいけど、話す相手がいないという思いを抱いたことはないだろうか。ぼくはある。例えば、これから生きることがどうしても不安になったとき、誰かに吐露したいけれど、誰に伝えればいいのかわからない。だから一人ベッドで布団にくるまり、ああでもないこうでもないとひたすら悩む。どれだけ悶々としても、スッキリするような答えはでない。そもそも結論なんて出るはずがない。だから不安が消えることはないのだけれど、とりあえずその気持ちが落ち着くまで、とにかく考え続ける。心の中に膨らんでパンパンになった不安を、しぼむまでじっと待つ。そんな感じでいつもやり過ごしている。

ラジオで話してみても、「死ぬこと」や「生きること」、「お金」に対する結論のようなものは全く出ない。ただ話すことで心がふっと軽くなる感じはする。同じ不安を共有できたことで、自分だけではないのだと思え、少し安心するのかもしれない。

ラジオの収録は仕事だ。仕事でこのような時間を設けてもらえるのはとてもありがたい。ただ仕事以外でも、話しづらいテーマを話せる時間がもてたらいいのにと思う。

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