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「ガウディ現象」を恐れずに。

推敲を繰り返し過ぎて、記事が最後まで完成しないことを「ガウディ現象」と呼んでいる、と知り合いの方から教えてもらった。ガウディが設計を手掛けたサグラダ・ファミリアは1882年に着工し、140年経ったいまでも完成していない。もともとは完成までに約300年かかると言われていたのだが、現在では、2026年に完成する見込みなんだそうだ。

さすがに140年経っても完成しない記事なんてたぶんないだろう。だから「ガウディ現象」なんて言うのは大げさなのかもしれない。けれども、この言葉を聴いたときに、わかるなと思った。


そもそも記事の完成とはどんな状態を指すのだろう。依頼先に提出できるぐらいまで書き終えたときだろうか、依頼先に提出したときだろうか、それとも記事が公開されたときだろうか。ぼくは記事が公開されたときが完成したときだと思っているのだが、やや疑問が残る。公開された記事に対しても、修正点はいくらでも見つかるからだ。「もっとこういう内容も書けばよかった」「ここは違う表現のほうがいい」などなど。見つけようと思えば、いくらでも見つかる。それなのに完成と言ってしまっていいのだろうか。

仕事で書いている記事には、必ずといっていいほど締め切りがある。だからそれに間に合うように記事を書きあげなければいけない。もちろん頑張って書いてはいるものの、もっとできたのではと思う記事も少なからずある。自分ではもうこれ以上はできないと思えるぐらいまで推敲を繰り返した記事は、正直に言うとほとんどない。本当はそこまでやるべきなんだろう。


そう考えると、記事の完成とは「自分ではもうこれ以上はできない」と思えるぐらいのところまで書きあげたことを言うのかもしれない。もちろん編集者のフィードバックもあるし、取材した記事であれば取材対象者のチェックも入る。完成と言うには一足も二足も早い。でもとりあえずは、そこを完成だと思って、ライターは記事を書くべきなんだろう。公開されればOKみたいな態度で書くべきではないのだろう。

自分はまだまだ未熟なライターだ。ガウディ現象に陥ることを怖がらずに、「自分ではもうこれ以上はできない」と思えるぐらいまで記事ともっと向き合わねばと思う。



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